スパルタの民会が催される会議場は、スパルタの都の中央に建つ巨大な大理石の建物の中にあった。 建物自体は方形だが、演説や討論が行なわれる会議場は円形。 中央の一段低いところに演説者の立つ平らな場所があり、その演壇を、スパルタの成人男子市民の代表たちから成る民会議員用の席が四重の円を描いて取り囲んでいる。 席に着いている市民は四百人ほど。 上位機関として民会の決定に拒否権を持つ長老会があったが、この民会が現在のスパルタの事実上の意思決定機関――ということになる。 「演壇の正面中央の席に着いている あの男がもう一人の五百人隊長だ。名はイッキ」 ヒョウガがそう言って視線で示した男は、黒い髪黒い瞳の、ヒョウガとは対照的な容貌の持ち主だった。 鋭い眼光は まるで世界のすべてを憎んででもいるかのように ぎらつき、覇気とも攻撃性ともつかない緊張感を周囲に発している。 シリュウの手引きで、アテナと共に会議場に入り込んでいたシュンは、民会の控え室に通じる通路の陰から、全身を覆い隠す黒い被布をずらして、もう一人の五百人隊長の姿を確かめた。 「今日は――いや、今日も、と言うべきか――俺の演説、奴の演説、そして自由討議があって侃々諤々したあげく、シリュウが適当に場を収めるというのが、いつものスパルタの民会のお決まりの展開なんだが――」 「恐そうで、強そう」 「まったく、シュンの観察眼は正確で、その判断は的確無比だな。その通り、奴は強くて恐くて――厄介な男だ。俺が呼ぶまで、ここにいろ。シリュウ、シュンとアテナを頼む」 市民たちのざわつきで到底 静粛とは言い難い会議場。 民会開催の宣言が為され、今日の最初の演説者であるヒョウガが中央の演壇に上がった時も、場内はざわついたままだった。 今日の民会も、いつと変わりばえのしない演説と討議が いつもと同じように為され、いつもと同じように何も決まらぬまま散会になるのだと、その場にいる者たちは決めつけていたに違いなかった。 そのざわめきを一瞬にして静寂に変えたのは、ヒョウガの演説ではなく、ヒョウガの演説を封じる もう一人の五百人隊長の発言だった。 「今日の演説の前に、皆に一つの情報を提供したい。我が国にとって非常に重要かつ重大な問題だ。先日、俺の許に、なにやらアテナイからの客人の周囲で不穏な動きがあるという密告があった」 市民たちが私語をやめたのは、イッキの発言の内容に驚いたからではなく、いつもと同じように進行し終わると思われていた民会で、いつもと違うことが起こったから――のようだった。 いつもと違うことをした 主戦論者の五百人隊長が、自席から ヒョウガのいる演壇の上に飛び下りる。 静かになった会議場をひと渡り見回してから、彼は再び声を張り上げた。 「俺が内偵を入れたところ、昨々晩、アテナがアテナイから連れてきた女の一人を 自分の部屋に招き入れ、一晩中 乳繰り合っていた五百人隊長がいたという報告がきた」 スパルタには、五百人隊長は二人しかいない。 イッキの報告は、“アテナがアテナイから連れてきた女の一人を 自分の部屋に招き入れ、一晩中 乳繰り合っていた”人物はヒョウガだと名指ししたも同然のものだった。 スパルタに二人しかいない五百人隊長の一人が、もう一人の五百人隊長を告発するという異常事態に、場内が騒然となる。 しかし、ヒョウガは、イッキの告発を受けても涼しい顔をしたままだった。 彼は、むしろ、その目に笑みさえ浮かべていた。 騒然となった議場が再び静まりかえったのは、ヒョウガがイッキに告げた、 「その内偵の報告は間違っている」 という反論のせい。 彼の反論が、演説者の声ではなく、告発者個人に向けられたものだったからだった。 被告発者の発言を聞き逃さないために、その場にいた者たちは私語をやめ、耳を澄ませなければならなくなったのである。 ヒョウガの反論に、イッキもまた、演説者のものでない声で応じる。 「言い逃れをするつもりか。見苦しい」 「言い逃れをするつもりはないが、誤認は正さなくてはな。俺が一晩中抱いていたのは、女ではなく男子だ。シュン、こちらへ」 ヒョウガに差し招かれても、シュンは、ヒョウガの側に行っていいのかどうかが わからなかったのである。 シュンが会議場の演壇に立つことになったのは、ヒョウガの立場を悪くすることを恐れて尻込みしていたシュンを、シリュウが壇上に導いたからだった。 ヒョウガがシュンの全身を覆っていた被布を取り除き、その肩に手を置いて シュンの身体を手近に引き寄せる。 「どうだ。俺が夢中になるだけあって、美しいだろう。名はシュンという。俺は今、シュンなしでは夜も日も明けないありさまでな。シュンと離れて戦場に出ることなど、とてもできない」 「ぬけぬけと恥知らずなことを」 不愉快そうに舌打ちをしたイッキが、すぐに恥知らずな男と その恋人から目を逸らす。 そして、彼は、会議場全体に響く声で、正式にスパルタの五百人隊長を告発したのだった。 「アテナイの色仕掛けの罠に落ちた愚か者な裏切り者の処刑と 貴族の身分の剥奪、財産没収を提議する!」 |