いったい氷河はどんな“証拠”を見せてくれるというのでしょう。
どきどきしている瞬王子を椅子に座らせると、氷河は部屋の扉に向かって、
「誰か」
と、誰かを呼びました。
読み書きができるので数人だけ残っていた女官たちが、瞬王子の身のまわりの世話という仕事を氷河ら取られて手持ち無沙汰にしていたらしく、すぐに瞬王子の居室に飛び込んできます。
「何かご用ですか」
と、気負い込むように尋ねてきた女官たちに何を命じることもなく、氷河は、椅子に腰掛けている瞬王子の肩に無言で手を置きました。
途端に、女官たちが、
「きゃーっ !! 」
と、ものすごい悲鳴を室内に響かせます。
瞬王子が何もしていないというのにですよ。

瞬王子はもちろん、とってもびっくりしましたとも。
彼女たちに悲鳴をあげさせるような危険も異変も、その場にはなかったのですから。
だというのに、彼女たちの悲鳴は一向にやむ気配を見せません。
「きゃーきゃー、なに、いかがわしい! あやしい! いやんいやん、あやしすぎて素敵ーっ !! 」
「まあ、どうしましょう、眼福眼福、目の保養!」
瞬王子が悲鳴と思ったものは、実は甲高い笑い声でした。
女官たちは頬を紅潮させ、瞳を爛々と輝かせて、瞬王子と氷河の姿に(?)興奮して笑っていました。

そのことに気付いて、瞬王子はきょとんとすることになったのです。
瞬王子がきょとんとし、そして あっけにとられることになった理由は他でもありません。
彼女たちの笑いの対象が、自分一人ではなく、氷河と自分だということに気付いたから。
おかしいのは自分一人だけではなく、どうやら自分たち・・らしいと思わざるを得ない事態を、瞬王子は驚き訝ることになったのです。
瞬王子の目には、氷河は おかしなところなど一つもない青年と映っていましたからね。
氷河は、けれど、自分が女官たちの笑いの対象になっていることを、全く不思議に思っていないようでした。

あまり機嫌がよさそうには聞こえない声で彼が女官たちに退室を命じ、女官たちが きゃーきゃー笑いながら瞬王子の部屋を出ていくと、氷河は、女官たちの悲鳴のような笑い声など謎でも何でもないというような顔をして、
「な? 何でも笑うだろう?」
と、瞬王子に尋ねてきました。
確かに事実は氷河の言う通りでしたので、瞬王子は氷河に頷きました。
けれど、新たな謎に見舞われていた瞬王子は、一度 氷河に頷いてから首をかしげてしまったのです。
「で……でも、どうして彼女たちは あんなに騒ぐの。何がおかしいの」
「何でも面白いんだ。おまえだって、庭に咲いている花を見ていて、つい笑ってしまったことがあるだろう。花の方は、自分はどうして笑われているのかと、戸惑っているかもしれないぞ」
「あ……」

思い当たることがないでもなかったので、瞬王子は、氷河のその説明を聞いて、こくりと小さく息を呑むことになったのです。
「そ……そうなんだ……。僕、お花に悪い事してたかも」
「戸惑うのは子供の花だけだ。事情がわかれば、花もおまえの笑顔を喜ぶようになる」
「それならいいのだけど……。あ、じゃあ、僕が氷河の綺麗な お顔を見て、嬉しくなって笑っても、氷河は僕を怒らない?」
「それはまあ……俺は子供ではないからな」
氷河の大人な返事を聞いて、瞬王子はほっと心を安んじたように笑い、そんな瞬王子の笑顔を見て、氷河は大いに戸惑いました。
けれど、もちろん氷河は大人でしたから、瞬王子を怒ったりはしませんでしたよ。


その日、氷河は、瞬王子のたっての希望で一緒に夜の食事をとり、瞬王子の就寝の時刻になるまで、二人は一緒に過ごしました。
瞬王子が常日頃から不思議に思っていたことを――その大部分は、氷河には他愛のないことだったのですけれど――を話し合いながら。
氷河が多少のこじつけを交えつつ、その謎を解明してやると、瞬王子はそのたび感心したり驚いたり。

そんなふうに 瞬王子と過ごす時間は、氷河には全く不快なものではありませんでした。
自分がそう感じてしまうのはなぜなのかと、次々に解明される謎に歓声をあげる瞬王子とは反対に、氷河の方は新たな謎を一つ抱え込むことになったのですけれど。

「氷河、ありがとう。僕、ずっと、僕の身体におかしいところがあるんじゃないかって不安だったの。ほんとにありがとう」
それが、その夜、寝台に入った瞬王子が彼の侍従長に告げた『おやすみなさい』でした。
「いや」
実兄である一輝国王からは想像もできないほど素直な瞬王子の笑顔に、氷河は大層 面食らいながら(とはいえ、その日、氷河は既に何度も面食らったあとだったのですけれどね)、瞬王子に『おやすみ』を告げたのでした。
それから、氷河は、なんだかとっても奇妙な気分で自室に戻りました。

不思議な気分というのは、他でもありません。
好きで就いたわけではない瞬王子の侍従長の役職。
なのに、氷河は、瞬王子に『おやすみ』を言った時、できれば朝までずっと瞬王子の眠りを見守っていてやりたいと思っていたのです。
氷河は、そんなふうに感じている自分が不思議でなりませんでした。

自分を不幸不運不遇と拗ねている人間は、素直な優しさに弱いもの。
その素直さに反発するには、瞬王子はあまりに可愛らしく優しすぎました。
自分が我儘を言うと、召使たちが困ることになることを知っていた瞬王子は、これまで たくさん、いろんなことを我慢してきていましたから、大変辛抱強く、そして、人を思い遣ることを知っていました。
氷河は、瞬王子の素直さ優しさが、不幸を知らない無知から生まれたものではないということがわからないほど愚鈍な人間でもなかったので、瞬王子を嫌うことはできなかったのです。






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