「じゃあ、俺は……俺はいったい何のために あんな苦労を40日も――いや、39日間も続けてきたんだ……!」
苦しく呻くことになった氷河が、それでも自分の発言に訂正を入れたのは、神との契約に関わることでサバを読むのはよろしくないことだろうと考えたゆえのことだった。
実際のところ、氷河は、その40日間なり39日間なりに、ほとんど苦労らしい苦労をしていなかったのであるが。
彼の忍耐の日々は、瞬のために何かできることが楽しく、瞬が見せてくれる笑顔が嬉しく、その歓喜に懸命に耐える日々だった。
要するに、氷河は、ただただ楽しいだけの日々を過ごしていたのである。

氷河の律儀な訂正を聞き咎めた紫龍が 僅かに眉根を寄せ、唖然呆然状態の白鳥座の聖闘士に確認を入れてくる。
「今日が40日目? おまえが あの馬鹿げた恋の質問を星矢にした日が、おまえの忍耐開始の第1日目か?」
「あ? ああ、そうだ」
それがどうしたというのか。
40日が50日でも30日でも、それが無意味な日々であったことに変わりはない。
半ば以上 自分の愚かさへの怒りに支配されながら 頷いた氷河に、紫龍は改めて訂正を加えてきた。
つまり、
「ならば、今日は40日目ではなく、41日目だろう。おまえは、7月を30日で計算しているんじゃないか?」
と。

「今日が41日目?」
紫龍の言う通りだった。
頭の中で再計算をして、氷河は、紫龍の指摘が正しいことを確認した。
だとしたら。
「だとしたら――」
そうなのだとしたら、運命の41日目の朝、氷河の前に最初に現われたのは瞬だった――のではないだろうか。
『現われた』というのなら、城戸邸を襲撃してきた敵たちもそうだったのだが、むさ苦しく邪悪で弱っちい あの敵たちの中に、キグナス氷河ほどの男が真に愛すべき者などいるわけがない。

氷河は勝手に(自分に都合よく)そう思った。
そう思ってしまったのである。
アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の今朝の邂逅こそが、神の啓示、神の望むことなのだと。
神がこの恋を許し、祝福しているのだと。
もし仮にそうでなかったとしても、それが何なのだというのだろう。
『瞬の笑顔を見ると嬉しくなって、その笑顔が俺に向けられでもしたら 天にも昇る心地になる。瞬が泣いていると、瞬を泣かせたものを憎まずにはいられなくて、一生 瞬の側にいて、瞬を悲しませるもの すべてを俺の手で払いのけてやりたい』と、氷河はずっと思っていたのだ。
たとえ瞬を泣かせているものが神であったとしても、氷河の“恋”に例外はなかった。

となれば今は、優雅に自分の計算ミスなどに落ち込んでいる時ではない。
今は、一刻も早く瞬を掴まえ、瞬の誤解を解き、瞬に『ずっと好きだった』と告げ、瞬を抱きしめる時なのだ。
今こそ、その時だった。

「瞬ーっ!」
もちろん氷河は神の啓示を受け入れ、運命の恋に身を投じることを迅速に決断した。
氷河の恋の速度は、音が空気中を進む速度より速い。
瞬の名を呼ぶ氷河の声がラウンジに響き渡ったのは、瞬を掴まえるために行動を起こした氷河の姿が ラウンジから消え去ってからのことだった。
そして、瞬より はるかに素頓狂な氷河の行動にあっけにとられていた星矢が なんとか気を取り直したのは、瞬の名を呼ぶ氷河の声の木霊がラウンジから消え、室内が静けさを取り戻してからのこと。
「なんだ? 要するに、40日間 瞬に優しくし続けたら、瞬に惚れてもらえるって願掛けでもしてたのか、氷河の奴」
「そのようだ」

事実がどうだったのか、氷河の当初の予定がどうだったのか、そんなことは大して重要なことではない。
大事なことは、結果であり、結論・結末であり、成果である。
『終わりよければ すべてよし』と、英国の大文豪も言っている。
40日間の清貧と忍耐の末、氷河の恋は実ったのだ。
氷河の忍耐は、かくして見事に報われることになったのである。


イギリス政府は、ヴィクトリア朝時代に制定された反同性愛法を2002年に撤廃した。
反同性愛法として名高いドイツの刑法175条は、20世紀の最後の年に撤廃された。
今は、21世紀。
誰が誰に恋をしようと、人間も神様も気にしない時代。
気にする方が問題視される、いい時代です。






Fin.






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