アンドロメダ島に行って、瞬が最初にしたことは、兄の手前 それまで捨てることができずにいたハーデスのペンダントを南の海に捨てることだった。 瞬の身体をハーデスに結びつけていた『 Yours Ever 』のペンダントを。 もちろん、それで自分がハーデスの呪縛から逃れられるだろうとは、瞬も思ってはいなかったのであるが。 二度目の生は、瞬を死んだ人に巡り会わせてくれた。 ケフェウス座のアルビオレ――黄金聖闘士二人になぶり殺しにされた瞬の恩師に。 大人の目を持ってアンドロメダ島での修行を(もう一度)始めた瞬は、一度目の生では漠然と感じていただけだった師の穏やかな強さと聡明を 明瞭に認めることになり、一度目の時よりも更に彼への尊敬の念を深めることになった。 アルビオレは、瞬が特別な子供だということを、出会いの時から感じ取っていたようだった。 それが、瞬がいずれ この島の名を関する聖衣を身につける聖闘士になることを予感していたからなのか、あるいは、瞬が大人の目を持っている子供だということに気付いているからなのかは、二度目の生を生きている瞬自身にもわからなかったのではあるが。 彼は、瞬に、一人で修行をすることを許してくれた。 それを瞬の仲間たちは、バトルの訓練をするには瞬が未熟すぎるからなのだと考え、瞬を侮っているようだったが、瞬にはそれは好都合な誤解だった。 瞬は、アンドロメダ島での仲間たちを 修行体練という大義のもとに傷付けるようなことはしたくなかったから。 だが、聖衣を手に入れるためには、どうしても瞬は他の候補生と戦わなければならず、その事態だけは一度目の人生を生きていた時同様、避けることはできなかった。 瞬は、致命的な怪我を負わせることなくレダに勝ち、サクリファイスに挑む権利を得た。 そして、その試練を難なく乗り超え、一度目の時と同じようにアンドロメダ座の聖衣を我が身にまとう資格を手に入れたのである。 「おまえなら やり遂げるだろうと思っていた」 手に入れられることは 初めから わかっていたアンドロメダ座の聖衣。 冥府の王以上に強い力をもって自分を縛ることになるだろう聖衣と共に 瞬が故国に帰る日、アルビオレは瞬にそう言った。 そして、瞬に尋ねてきた。 「おまえは最初から他の子たちとは違っていた。……おまえは何者だ」 「――先生の未熟な教え子です」 へたな作り話をして、結果的に恩師に嘘をつくことになる事態を避けるために、事実だけを答える。 アルビオレは、瞬の真意を探るように正面から 瞬の瞳を見詰めてきた。 師の視線を避けようとしない弟子を見て、短く吐息する。 「私がおまえにアンドロメダの聖衣を与え、日本への帰国を許すのは、おまえの中に邪悪な心がないことがわかるからだ。でなかったら……おまえは帰らない方がいいような気がする。この島にいた方がいいような気がする。私は、この島を出たら、おまえは これから つらい思いばかりをすることになるような気がしてならないのだ」 「そんなことは――」 「おまえは、この6年間、どうあっても その優しさを手放さなかった。それがおまえの強さなのだということはわかっている。だが、それは、おまえを苦しめることにしか役立たないかもしれない。私はそれが心配でならない」 「先生……」 つらく不幸で不運な人生。 瞬は、自分の一度目の人生を そういうものだと思っていた。 同じ境遇にある仲間たちが 自分と同じだけの不運と試練に耐えていることは知っていたが、親に愛され守られている世の中の多くの子供たちは、自分たちより はるかに幸福で安穏とした人生を生きているのに――と。 それは、一度目の生を生きていた時の瞬が、自分の周囲の人間の強さや優しさに気付く洞察力を持っていなかったからだったのだと、二度目の瞬にはわかっていた。 愛してくれる親のない“瞬”という子供が、どれだけ多くの人間に愛され守られていたのか、歳相応の“子供”だった瞬は気付いていなかったのだ。 6年の間、おそらく奇妙な子供だったろう自分を 静かに見守っていてくれた師の前で、瞬はきつく唇を引き結んだ。 そうしないと、泣いてしまいそうだったから。 「先生。これから1年以内に、蠍座の黄金聖闘士が、聖域から 先生の命を奪うために この島にやってきます。苦戦することになるだろうけど、先生が勝てない相手ではありません。ただ、彼は一人ではやってこないんです。彼には知らせず、もう一人の黄金聖闘士が この島に渡る。そして、先生と蠍座の黄金聖闘士との勝負が膠着状態に陥った時、もう一人の黄金聖闘士が 毒でできた薔薇の花を先生の心臓に向けて投じるでしょう。その毒花をよけてください。先生は、決して死んではならない人です」 「瞬……おまえは何を――」 「僕、未来が見えるんです。今は信じなくていいですけど、蠍座の黄金聖闘士がこの島にやってきたら、その時、僕の言葉を思い出して。決して死なないでください。油断さえしなければ、先生ならきっと黄金聖闘士にも負けない」 「――」 「そして、彼に言って。いいえ、二人に言って。聖域に降臨したアテナが本物かどうか、自分たちの目と小宇宙で確かめろって。その上で、アテナを真実のアテナと認められず、どうしてもケフェウス座の聖闘士を倒すべきだと考えるのなら、その時もう一度 勝負してやろうって、啖呵を切ってやってください。黄金聖闘士ともあろう者たちが、真実を見極めることもできず、歯車として利用されて、それで満足なのかって」 瞬の告げた言葉は、ケフェウス座の白銀聖闘士にとっては――誰にとっても――突拍子のないものだったろう。 だが、アルビオレは笑って、 「……黄金聖闘士相手にそんなことを言ってのけるのは 気持ちがよさそうだな」 と応じてきた。 彼が瞬の言を信じたのかどうかは わからない。 だが、もし瞬の予言が根拠のない戯れ言でなかった時、二人目の黄金聖闘士のことを知らずにいたら 自分がどうなっていたのかを察し、彼は瞬の言を一笑に伏してしまうことができなかったのかもしれなかった。 「信じよう。だが――」 アルビオレが、彼の未熟な弟子に優しく厳しい眼差しを向けてくる。 そして、彼は、不安定な心の持ち主である息子を案じる父親のような口調で、瞬を諭した。 「瞬、おまえも死んではいけない。死に急いでも、生き急いでもいけない。人間には、その人間に ふさわしい生きるスピードというものがある。自分の命を自分だけのものと考え思いあがると、人はそのスピードを見誤る。一人の人間は多くの人々に支えられて生きているのだ。そのことを忘れるな」 「胆に銘じます」 良い師に恵まれたと思う。 瞬は、彼には、絶対に死んでほしくなかった。 「幸運を」 未熟な弟子の旅発ちに、アルビオレが与えてくれた最後の言葉。 “幸福”は、それぞれの人間が自分の手で掴まなければならないものだから、人は 別れゆく人の“幸運”を願うのだろう。 師の願いが叶えばいいと思いながら、瞬は、聖闘士になった仲間たちと戦いが待つ故国への帰途に就いたのだった。 |