氷河との恋を、瞬は、注意深く避けた。
自分に与えられた二度目の生の目的は、仲間たちの命と仲間たちの生きる世界をハーデスの手から守り抜くことなのだと、自身に言い聞かせて。
ハーデスと共に“瞬”が死ぬ時、自分の二度目の生の目的は達せられる。
瞬は、その目的を必ず果たすつもりだった――ハーデスと共に死ぬつもりだった。
だとしたら、そんな自分が氷河と恋し合うことは、氷河を不幸にすること。
そんなことができるわけがないのだ。

「あのさ、余計なことかもしれないけどさ、おまえ気付いてるんだろ? 氷河はおまえを好きだぜ。あいつは おまえが好きなの。天秤宮や宝瓶宮で おまえにいろいろ助けられたし、そのせいもあるだろうけど、あいつはガキの頃から――」
星矢が一向に進展しない仲間たちの恋に焦れて“余計なこと”を言いにきた時、瞬は、氷河の気持ちに気付いているどころか、既に彼に好意を告白されたあとだった――彼を拒んだあとだった。

『氷河、好きだよ。大好き。でも、駄目なんだ。なぜ駄目なのか、きっと氷河は もうすぐ理解する。きっと もうすぐ、氷河にも わかるから』
こんなにもすぐに死という別れを余儀なくされる人間と恋などしなくてよかったと思う時が きっとくるから――喉まで出かかった言葉を 無理に胸の奥に押しやった時、瞬は一度目の生を生きていた頃 彼に抱きしめられた記憶に責め苛まれていた。

瞬の拒絶の訳がわからず――彼に わかるのは、彼が“瞬”に拒まれたという事実だけだったろう――つらそうな目をする氷河の前で、瞬は、これが奇跡でなかったら何が奇跡だろうと思えるほど強靭な力で、ついに涙を耐え切ったのである。
そして、思った。――疑った。
一度目の人生を生きていた時、他のどんな人より、他のどんなことより、“瞬”に『生きたい』という心を強くさせてくれた あの甘い陶酔を拒絶してまでハーデスと死ぬことだけを願っている今の自分は、一度目の生を生きていた時より強い人間になっているのだろうか――と。
仲間の命を救うため、仲間たちの生きる世界を救うため、氷河を不幸な恋人にしないために、氷河を拒むことさえできる今の自分は、戦闘力や小宇宙の力はともかく、心は強くなっているのだろうか――と。

そうなのかもしれない――と思う。
同時に、そうではないような気もした。
人間が強いということは、希望を持っているということ、希望を持つ力を有しているということである。
二度目の生を生き始めた時から、瞬の希望は“自分の死の実現”だった。
それを、果たして“希望”と呼ぶことができるのかどうか。
瞬には、それが わからなかったのである。

「星矢、僕は今はそんなこと考える余裕はないんだ」
仲間の心を案じてくれている星矢に そう答えながら、それは嘘ではないが真実でもないと、瞬は心の内で思っていたのである。
二度目の生は、“瞬”という人間を変えた。
そして、“変わってしまった瞬”は、“瞬”を取り巻く人々の境遇までを変えた。
多くの人々の生死の運命を変え、彼等の価値観までをも変えた。
氷河自身も、一度目の人生で出会った氷河とは違っていた。
今の彼は師を失っていない。
自らの手で師の命を絶ったという悔いを抱いていない氷河は、一度目の人生で瞬が恋した氷河とは 何かどこかが違っていた。

宝瓶宮で、瞬は、師と二人きりで戦うと言った氷河の言葉を聞かず、師弟の許に残った。
そして、氷河と戦おうとしているカミュの前で、
「カミュ。あなたは、氷河と戦えば氷河に敗れます」
と断言した。
「なに……?」
不快の念を露わにしたカミュに 委細構わず、瞬は、二度目の生を与えられた者が為すべき義務を遂行した――水瓶座の聖闘士の説得に取りかかった。
かなり挑発的な言葉で。

「氷河はアテナに守られています。真実のアテナに。今、この聖域で生死の境に置かれている少女が真実のアテナであるかどうかを確かめようともしない愚かなあなたが、氷河に勝てるはずがないんです」
クールを標榜している氷河の師が、到底クールとは言い難い目で、生意気な口をきく小さな青銅聖闘士を睨み、氷河が、彼の師であり黄金聖闘士でもある人間に対して そんな口をきく仲間に驚いて瞳を見開く。
だが、瞬は すべてを無視した。

「氷河と戦いたいのなら、まず城戸沙織という少女が真実のアテナかどうかを、自分の目と小宇宙で確かめなさい。その上で、彼女をアテナでないと思うなら、彼女の聖闘士である氷河と戦ってもいい」
「君は――何を偉そうに言っているのだ。私は、この宮を守らなければならない。それがアテナの聖闘士である私の務めだ。私は私に課せられた務めを全うするのみ」
「この宮をあなたに与えたのはアナテです。僕は、氷河の先生に後悔をさせたくないんです。あなたはなぜ、アナテが真実のアテナかどうかを確かめることができないの。あなたはアテナをないがしろにする逆賊ですか。それとも聖闘士としての務めを怠る、ただの怠け者なの」
「――」

そんな調子で挑発し、説得し――結果的に カミュは氷河と戦うことなく、今も生きている。
同じように、シュラもアフロディーテもサガも、瞬は説得してのけた。
デスマスクだけは言葉で説得することができず、アスガルドの神闘士やポセイドンの海闘士たちと戦い勝利した経験を持つ者の力で捻じ伏せることになったが、彼は強い者には敬意を払う美徳だけは有していたらしく、今では自分がアテナの聖闘士であることに不満を抱いてはいないようだった。

そんなふうに、黄金聖闘士たちの命は守り抜いたのだが。
瞬は迷っていた。
カミュと戦わなかった氷河は、カミュとの戦いを経験した前回の彼ほど強い闘士になっていないのだ。
その点は、星矢も紫龍も、瞬の兄ですら同じだった。
自分はもしかしたら間違ったことをしてしまったのではないかと、瞬は不安を抱えていた。
だが、もはや時間を元に戻すことはできない。
瞬は、瞬の仲間たちが養い損ねた力の不足を、彼が生き延びさせた黄金聖闘士たちの持つ力で補うことのできる未来に賭けるしかなかった。






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