人はどこから来て、どこへ行くのか。 それは、人間が誰でも一度は胸中に抱く疑いで、決して答えの見付からない疑いでもあるそうだ。 考えるのは危険。 その問題に囚われて、考えることを止められなくなると、人は狂気に陥りかねない。 あるいは、死の中にしか答えを見い出せなくなる危険な命題なんだとか。 なら、これはどうだろう。 『自分はどこから来て、どこへ行くのか』 イエスは、ヨハネによる福音書の中で、自分はそれを知っていると自慢していたようだけど、確かに それは、正しい答えを知っているのなら、自慢するに値する素晴らしい知識だと思う。 僕は、僕がどこから来たのかを知らない。 形而上学的にはもちろん、形而下においても。 僕は、僕をこの世界に送り出してくれた母を知らないし、父も知らない。 気がつくと、この世界にいたんだ。 僕は、本当に ある日突然、この世界に投げ出された生き物だ。 僕が、この世界に自分がいることに気付いたのは、200年ほど前のこと。 アフリカの真夏の真昼の大地に、僕はひとりで立っていた。 粗末な白い麻の貫頭衣を身につけていて、裸足。 15、6歳の少年の姿で。 頭上にある空を視界に映し、これは何だろうと ぼんやり思ったことを憶えている。 もちろん、僕に答えを与えてくれる者はなく、僕は“空”の名を知らないまま、『これは何のためにあるものなのだろう』と考え始めていた。 僕の姿は、あの時と全く変わっていない。 今も僕は15、6歳の少年の姿をしている。 肌はクリーム色。 髪はあまり濃くない茶色。 瞳の色も同じ。 背は、15、6歳の男子としては高くもなく低くもなく。 特に際立った特徴のない姿をしている。 僕が その場から移動することを思いついたのは、太陽のせいだった。 太陽が作る影のせい。 僕自身は動いていないのに、僕の影が少しずつ長くなって、東の方に伸びていくのを見たから。 僕は、この世界は動いているんだと思った。 だから、僕も動こうと考えたんだ。 そうして歩き始めた僕は、日が暮れる前に ひとつの町に辿り着いた。 黒人と白人のいる町。 僕とは肌の色の違う人たち、僕より大柄な大人や僕より小さな子供を見て、僕は中間の人間なのだと思った。 その町には、主に黒人たちが暮らす素朴な家の立ち並ぶ地域と、白人たちの住む洋風の建物が並んでいる地域があった。 何もかもが初めて見るもので、僕は好奇心から その町をあちこち歩きまわった。 半月くらいの間、僕の原始的な好奇心は持続した。 僕がいちばん不思議に思ったのは、その町の人たちがものを食べたり飲んだりしていること。 その様子を飽かず眺め、僕は、彼等は何のためにあんなことをしているのだろうと思った。 僕は、飢えも乾きも覚えることがなかったから。 人間は、外界から体内にエネルギーを取り入れ、変化成長する“生き物”なのだということを知ったのは、それから かなりの時間が経ってからだったと思う。 僕が成長しない“もの”なのだということを自覚するようになったのは、更に 2、3年の月日が経ってからだった。 その町は 少数の白人が黒人を支配している植民地で、両者は激しく対立していた。 住民の中には――主に黒人だが――家や家族を持たない者が多くいたから、僕が帰るべき家を持たず町をふらついていることを怪しむ者はいなかった。 ううん。怪しんでいる人はいたのかもしれないけど、でも、彼等は、“肌が黒くないのに家を持っていない子供”として、僕を怪しんでいたんだと思う。 黒人でもなく白人でもない――言ってみれば どっちつかずの僕は、その町では異分子だった。 黒人からも白人からも同胞として見てもらえなかった。 まあ、『おまえは何者だ』と問われても何も答えられないような人間を 仲間として認めろと言ったって、それは無理な話だったろうけど。 僕は、今でこそ 20を下らない数の言語を操ることができるけど、その時には、彼等が口にする言葉の意味がわからなかったんだ。 言葉が、自分の考えや感情や状況を 他人に知らせることのできるツールだということすら わかっていなかった。 もっとも、言葉というものがどういうものなのかを知っていても、そして、彼等の話す言葉を理解し話すことができていたとしても、僕は語るべきことを持っていなかったんだから、結果は同じだったろうけど。 異分子――人と人の対立があり、争いの絶えない町で異分子でいることは、とても危険なことだった。 僕は、気の荒い黒人に暴力を振るわれ、高慢な白人には銃を突きつけられた。 何もしていないのに――何もしていないからこそ。 僕は、でも、彼等を恨んではいない。 彼等の敵でも味方でもない僕は、そうされても仕方のない存在だったのだから。 それに、そういう乱暴な人たちのおかげで、僕は、自分の尋常でない運動能力と特殊性を知ることができたんだ。 僕は、強い腕力を持つ大男に殴られても怪我ひとつしなかったし、そもそも痛みを感じなかった。 僕は、銃で撃たれても死ななかったし、そもそも銃弾が体内に入り込むことができなかった。 もちろん、血が流れることもなかった。 僕の命を虫けらのそれのように扱おうとした彼等は、そんな僕を化け物を見るような目で見詰め、そして逃げていった。 そういう経験を積んで、僕は我が身に暴力が及ぶ前に 僕自身が逃げることを覚えた。 僕は、とても素早く動くことができて、僕の逃げ足は素晴らしく速かったから、逃げることを覚えてからの僕は、死の恐怖にかられることはなくなった。 死の恐怖――。 今となっては、それは、僕の中で、とても甘く魅惑的なもの、ほとんど憧れの対象になってしまっているけど。 人と人が争っているのを見るのが嫌で、暴力沙汰や差別を見るのも嫌で、僕は、2年後には その町を出た。 それは賢明な判断だったろう――判断というより、直感というべきか。 成長しない人間は、一つところに留まっていることはできない。 そんなことをしたら、肌の色のせいではなく、人外のものとして、僕は人々の迫害を受けていただろう。 その町を出たあと、僕は行く当てもなく ふらふらとアフリカ大陸をさまよった。 そうして、やがて欧州に渡った。 エジプトからアラビア半島を経由して、欧州まで徒歩で。 もちろん何年もかかったけど、僕は急ぐ必要はなかったから。 いろんな人間の姿を見た。 害意を持つ人は勘でわかった。 暴力に抵抗する力はあったけど、大抵は 暴力を振るわれる前に さっさと逃げた。 僕は、最初のうちは、人間というものは 力で他人を支配しようとする者と 他人に無関心な人しかいないものだと思っていた。 そのうちに、そうではないことを知った。 争いを好む人間ばかりではないことを知った。 十字架のある建物に行くと、食べ物や衣類を分けてもらえることも知った。 食べ物なんて僕には不要のものだったし、分けてもらえる衣類は古着ばかりだったけど、彼等の善意(慈善事業と言うべきなのか)は、僕にはとても有難いものだった。 何より、攻撃的でない人の側にいると、僕の気持ちが安らいだから。 何年も何年もの時間をかけて、僕は、普通の人間の振りをする術を身につけていった。 生態、言葉、習慣。 それぞれの国のそれぞれの人々が、異なる価値観を持つことも知った。 そういう知識は手に入れることができたけど、僕は“大人”にはなれなかった。 100年が過ぎても200年が過ぎても、僕の姿は子供のまま。 200年間、僕の外見は何ひとつ変わらなかったというのに、世界の様相は激変した。 道路が整備され、その上を馬車に変わって自動車が走るようになり、汽車や飛行機が発明・実用化され、お金さえあれば どこにでもいける時代になった。 もちろん、僕が生まれたのが あと100年も遅くて、戸籍制度や国民認識番号制度等 人間個人に関する情報が法によって厳しく管理されている時代だったなら、僕が社会にどういう扱われ方をしていたのかは わからないけど、そうなる前に――いってみれば、どさくさに紛れて、僕は人間が人間社会で生きていくのに必要なものを手に入れた。 今の僕は、戸籍や国籍は持っていないけど、パスポートなら3冊 持っている。 成長しない化け物は 一つところに長く留まって友人を作ったりすることはできないから――それは、決して してはならないことだから――だから、僕にはパスポートが必要だったんだ。 僕は、いろんな国で、いろんな人を見た。 人の死も幾度も見た。 老人、病を得て苦しんでいる人、貧困に喘いでいる人、聖職者と呼ばれる人たちにも出会った。 仏教の開祖である釈迦は、老人に会い、病人に会い、死者に会い、最後に出家沙門に出会って、出家の意志を持つようになったそうだけど、僕がブッダのように俗世を捨てようとしなかったのは、自分が死ねない人間だということを自覚していたからなんじゃないかと思う。 悟りは、死すべき人にこそ必要なもの。 生の苦しみと死への恐れを克服するために必要なものだ。 いわば、人が幸福に至るための手段だ。 死ねない僕が悟りを開いても何にもならない。 死ねない人間は『死ねない』という一事だけで、決して幸福になることはできないのだから。 僕は永遠に死なない。 まだ 永遠を見たことはないから断言はできないけど、老いることができず、病を得たり、怪我をしたりすることができないのだから、多分。 普通の人間なら死ぬようなことは ほとんどすべて試したけど、どんなことをしても僕は死ねなかった。 『僕はどこから来て、どこへ行くのか』 へたをすると僕は、この地球が滅んだあとも、一人で宇宙を漂っていたりするのかもしれない。 考えただけで ぞっとする話だ。 僕が 人間の世界に『不死』の概念があることを初めて知ったのは、20世紀に入って間もないイギリス。 当時 あの国ではちょうどブラム・ストーカーの『ドラキュラ』が舞台化され、話題になっていたんだ。 もちろん、僕は吸血鬼じゃない。 人の血なんかなくても生きていける――死なない。 老いることなく生きていられるのは吸血鬼と同じだけど、僕は十字架も平気だし、日光も平気。 銀の弾丸は、僕の身体にのめり込むことすらできない。 人の血はもちろん、どんな食べ物も必要としない自分は エネルギー保存の法則の外にいるのか、あるいは空中にある何かからエネルギーを得ているのか――。 そんなことを考えたこともあったけど、僕はその謎の解明に時間を費やすことは早々にやめてしまった。 答えを得られないことを考え続けることの無意味を悟って。 人間が吸血鬼なんてものを想像し創造したのは、もしかしたら彼等が“不死”を諦めるためだったんじゃないかと、僕は思う。 不死の吸血鬼でも幸福になることはできないという物語を作って、いつかは死ぬ存在である自分の心を慰めるため。 逆説的に言えば、人間は“不死”に憧れているんだ。 自らの心身が滅び消滅することを恐れて。 でも、不死ほど詰まらないものはない。 不老なんて、憧れるのも無意味なものだ。 人間は、死ねる幸福や老いることのできる幸福を もっと自覚すべきだよ。 僕はそう思う。 不老不死の僕が、吸血鬼と違うところがもう一つある。 僕は仲間を増やせない――んだ。 吸血鬼のように、血を吸うことで普通の人間を不死にすることはできない。 つまり、僕は永遠に一人なんだ。 そんな人間は、生きて存在することにさえ意味がないだろう。 僕は、食べ物を必要としない。 暑いのも寒いのも平気だから、家もいらない。 人間社会の中に在ろうと思ったら、衣類が必要なくらいかな。 でも、僕は、どんな場所でも生きていられて どんな衝撃にも耐え得る身体と、尋常でない運動能力を有しているおかげで、身支度を整えるのにも苦労するような貧困は味わったことがない。 砂金や宝石なんてものが、根気と体力があれば手に入れられる時代に、それなりの資産を築いてしまったんだ。 昔は どこで野宿をしていても怪しまれることはなかったけど、最近は そういうのって警察や犯罪者に目をつけられることが多いから、今の僕はホテルを転々として暮らしている。 人間社会が未成熟だった頃には、未成年でもお金があれば住宅を買うこともできたし、実際に購入してもみたんだけど、一つところに留まることのできない人間が定住する場所を手に入れても、結局は放棄することになるだけだから。 ここ 50年ほど、僕が いちばん長い時間を過ごす場所は図書館になっている。 大抵の国、大抵の町にある図書館。 そこで、古今東西の不死人や不老に関する伝説なんかを読みあさっている。 『僕はどこから来たのか』を知るためじゃなく、『どこかに行く』術を探すために。 つまりは、死ぬ方法を求めて。 |