「奢るのは構わないが、代金請求は適正な金額以外 受け付けないぞ。どうせ、こんな店にある酒など、どれも偽物に決まっている」 「氷河……」 名前(?)を呼んだところを見ると、二人目の異邦人は瞬の知り合い、もしくは保護者らしかった。 さすがは瞬の知り合い、もしくは保護者と言うべきか、そいつが瞬以上にとんでもない男だということは、俺には一目でわかった。 いかにも北方系の明るい金髪と ゲルマンかスラブ系の体格――は、生来のものだから仕方がないだろうが、アメリカのマフィアを気取っているような黒のスーツはいったい何なんだ。 この島では、星付きホテルのスィートに泊まるような客のSPでさえ、ネクタイを締めたりはしない。 二人目の異邦人は、どう見ても、堅気の一般人を装おうとして失敗しているロシアのスパイか、ドイツの軍人だった。 それにしては少々若すぎるから、堅気の一般人を装おうとして失敗しているロシアのスパイもどきか、ドイツの軍人もどき――と言うのが正しいだろう。 周りを見ろ。 完全に浮いている。 金髪男の浮きまくった姿が気に入らなかったのか、店への侮辱が気に障ったのか、店主が安物のグラスにドンペリを注ぎ、それを無言で金髪男の前に差し出す。 それを一口飲んで、奴は目をみはった。 「驚いた。こんな店で」 その驚きは妥当なものだったろう。 ヴィンテージのドンペリなんて、本土の都会でも、高級ホテルのバーか観光客専用のバーくらいにしか置いていない。 庶民は、ウーゾあたりの安酒を水に薄めて飲むし、中流になって、やっとワインかビールといったところだろう。 こんな底辺の店になぜ――と、奴が疑うのも当然のこと。 だが、この店にある酒はすべてどれも本物だ。 なにしろ、高級星付きホテルからの横流し品だからな。 ホテルの宿泊客がバカラのシャンパングラスで飲んでいるものの方が偽物なんだ。 無論、そういうことは客の舌のレベルを判断してするが、アジア系の客は偽物の安酒を飲まされていると思って、まず間違いはない。 ともかく、金髪男は酒の出自には納得したようだった。 その様子を見て、瞬が、面倒な事態にはならないらしいことに安心したような顔になる。 「氷河、どうしてここに」 「どうして?」 瞬は安堵したが、金髪男の方はそうはいかなかったらしい。 奴は、苛立たしげな態度で、安物のグラスをカウンターテーブルの上に置いた。 そのグラスの音が何かの合図だったように、瞬の周囲に群がっていた若い連中が、潮が引くように一斉に瞬の側から引いていく。 まあ、賢明な判断と言えるだろう。 雰囲気もツラの出来具合いでも、この金髪男は 奴等の敵う相手じゃない。 軟弱なツラをしているわりに、全く隙がない。 身体も鍛えてある。 その上、実力にふさわしい自負も備えているらしい所作振舞い。 勝てる見込みのない敵からは さっさと逃げるのが、奴等のやり方だ。 その見極めがつくから、こいつらはこの島でやっていけているんだ。 もっとも、奴等のそんな賢明など、氷河と呼ばれた金髪男は 気にかけてもいないようだったが。 取るに足りない雑魚になど感心してやる義理も義務もないと言わんばかりに――奴の目は、瞬の姿をしか映していなかった。 「おまえの行くところになら、俺はどこにでもついていくぞ」 こいつは金魚のフンか。 「あの……僕はただ……」 「そう言っておいたのに、なぜ一人で来た。俺を置いて」 それとも、映画に連れていってもらう約束を反故にされて機嫌を損ねている我儘なガキか。 フンでもガキでも、そんなことは俺の知ったことじゃないが、この氷河とやらが瞬に強い執着心を抱いているのは事実のようだった。 こんな色気のない子供を相手にしなくても、女ならいくらでも寄ってきそうな男なのに。 「だって……」 氷河の登場で、瞬が浮かべる表情は少し変わった。 我儘な子供をなだめようとする親の表情と、傲岸な保護者に甘えようとする子供のような表情。 瞬は、保護者の立場と被保護者の立場のどちらに立てば より良い対処ができるのかを迷っているように、俺には見えた。 対する氷河の方には、全く迷いがない。 金髪男は、自分の気に入らないもの、気に入らない事態は、徹底的に排除排斥する構えのようだった。 つまり、この俺を。 いや、俺が瞬と同じ空間にいる事態をか。 「俺は、おまえが兄に会いにいくと言ったから、『行くな』とは言わなかったんだぞ。それを何だ。こんなところで、他の男を引っ掛けて――」 「氷河!」 ちらりと俺の方を見て、瞬が慌てたように金髪男の放言を制する。 金髪男は、意地を張った子供のように 一度 唇を引き結んでから、その顎をしゃくった。 「弁解したいことがあるなら、聞いてやってもいいが」 本音は、『弁解を聞いてやってもいい』じゃなく『弁解してくれ』だろう。 高飛車な態度を装ってはいるが、要するに、この男は瞬の熱愛者、崇拝者――でなければ腰巾着というところのようだった。 いずれにしても、俺は瞬に粉をかけようとしていたわけではなく、逆に粉をかけられていた方だ。 この状況を、瞬はいったいどう弁解してのけるのか。 俺は興味津々で、だが、表面上は無関心な振りをして、次の展開を待っていたんだ。 本来 俺は 男女のいざこざには関心を抱かない男なんだが、当事者二人がこれほど特殊な二人となると、話は別だ。 美男美女しか主役になれなかった古い時代の映画を観ているようじゃないか。 よくまあ、こんな綺麗な二人を見付けてこれたものだと、プロデューサーに敬意を表したくなる。 その美形の片割れの瞬は――瞬は、だが、氷河に弁解らしい弁解をしなかった。 そうする代わりに、何を考えているのか、俺を氷河に紹介するという暴挙に出た。 「こちら、一輝さん」 この氷河って野郎は、いったい何なんだ? この馬鹿野郎は、俺の名を聞いた途端、チャップリン演じる道化よろしく、大々的にその場で 比喩じゃないぞ。 比喩じゃなく、本当に、バナナの皮を踏んづけて滑った阿呆みたいに 身体のバランスを崩し、尻餅をつきかけ、態勢を整えようとして手をのばした先で空気を掴み――結局、奮闘空しく その場に尻餅をついた。 そのついでに、奴の背後にあった、立ち飲み用の単脚の円卓に右の肩をしたたかに打ちつけるという念の入れよう。 格好をつけていた二枚目俳優が、何をとち狂ったのか、突然 三枚目に大転落。 あげく、氷河は、こけた態勢のまま俺を指差して、その場に 素頓狂な悲鳴を響かせた。 「嘘だろう! これがーっ !? 」 これとは何だ、これとは。 「彼が一輝さんです」 瞬が、再び、俺の名を繰り返す。 「し……信じられるものか! こんなむさ苦しい男が!」 いったいどんな権利があるのか、氷河は、俺が一輝だということを全面否定してくれた。 そして、自分のギャグそのものの振舞いを恥じた様子もなく素早く立ち上がり、瞬の腕を掴みあげた。 「言い訳はホテルで聞く。こんな観客の多いところで、そんな馬鹿げた話を聞いてられるか!」 「氷河……!」 俺に相当 未練があるようだったが、氷河に腕を引っ張りあげられて、結局 瞬は掛けていたソファから立ち上がることになった。 「す……すみません。お騒がせして」 瞬が氷河と この店を出る気になったのは、自分の連れに これ以上 道化た真似をさせないためだったのかもしれない。 まあ、俺としては、ドンペリの代金を払ってもらえさえすれば二人の唐突な退場にも文句はなかったし、実際に瞬は自分の務めをちゃんと果たしたが。 つまり、瞬は、2002年のヴィンテージのドンペリのロゼ1本分の代価をカードで ちゃんと支払ったんだ。 この店の主人のことだから、サービス料や場所代を勝手に上乗せして、それでなくても高い正規価格の倍はとっただろう。 おそらく、この島のホテルの従業員の1ヶ月分の給与相当額。 物価の違う外国から来たのなら大した額ではないかもしれないが、ギリシャ本土在住なら、貨幣価値は この島のそれと大きな違いはないはず。 要するに、二人の旅行者は、経済的には相当恵まれた状況にあるということだ。 「何だ。あれは」 二人の姿を呑み込んだ店のドアを睨んで俺がそう呟いたのは、『 |