瞬は、懲りるということを知らない人間らしい。 ひどい悪態と共に追い払われたというのに、瞬は翌日も氷河を 今度は、あの店ではなく、俺の家まで。 俺の家は、島の中心から離れたところに建つ、ほとんど小屋といっていいような古い一軒家だ。 そして、ここは以前エスメラルダが住んでいた家。 その気になれば どんなところでも――たとえば例の星付きホテルの一室を年間契約で借り、ホテルの従業員たちを召使い代わりにして暮らすこともできるんだが、エスメラルダを失ってから、俺はずっとこの家で暮らしていた。 ここは、この島で、俺が初めて足を踏み入れた、屋根のある場所だ。 俺は、おそらく、孤児か、親にとって邪魔な子供だったんだろう。 だから、この島に捨てられた。 そんな俺を見付けたエスメラルダが、俺を招き入れてくれた家。 それが、この小屋のような古ぼけた家だった。 「なぜ、ここがわかった」 「あのお店に行って、一輝さんに会いたいと言ったら、一輝さんのお友だちが教えてくれたの。ここには、一輝さんの大切な思い出があるのだと――教えてもらいました」 あの馬鹿者共は、瞬に何を吹き込んだのか――。 俺を見詰める瞬の瞳は、まるで生きていた頃のエスメラルダのそれのように、涙で潤んでいた。 「俺には、オトモダチなんてものはいない」 俺の吐き捨てるような声に、瞬が切なげに 眉根を寄せる。 微かに首を横に振り、瞬は、 「一輝さんは多分、いろいろなものを わざと見ないようにしていると思います」 と、独り言を呟くように、俺に言った。 「あの人たちから友人を奪うつもりはないの。僕の思う幸せを一輝さんに押しつけるつもりもない。でも、僕は一輝さんに 僕と一緒に来てほしいんです」 すがるような眼差し、涙で潤んだ瞳――。 これは、うぬぼれではないと思う。 いったい俺の何が瞬の心を捉えたのかは わからないが、瞬は俺に尋常でない好意を抱いている。 俺を思い、俺を愛し、俺に抱きしめてもらうことを願っている――。 そう感じてしまう俺は、何かを見誤っているのではないか。 何か決定的なサインを見落としているのではないか。 俺は幾度も、そう自問した。 瞬はエスメラルダに似ている。 だから、俺は何か錯覚を起こしているのではないかと、幾度も幾度も。 だが、その自問の果てに導き出された答えは、 『瞬は、汚してはならないエスメラルダじゃない』 『この異国の素人娘を汚しても、俺の良心は汚れない』 ――だったんだ。 だから、俺は瞬を抱きしめた。 瞬は、嬉しそうに俺の胸に頬を押し当ててきた。 そうして、次の瞬間、俺の身体は、目に見えない突風に煽られでもしたかのように部屋の壁に叩きつけられていた。 「誰であろうと、瞬に触れることは許さん!」 不可思議な突風に数秒遅れて、俺の家の中に氷河の怒りに満ちた声が響く。 俺と瞬の邪魔をしてくれたのは、言わずと知れた、あの金髪男だった。 氷河――こいつは何者だ? 指1本触れることなく、この俺を――人間の身体を一つ 吹き飛ばすなんて、尋常の人間にできることじゃない。 こいつは何者だ。 いや、そんなことはどうでもいい。 どうでもよくはないが、そういうことは この際 問題じゃない。 こいつが何者であろうと、この俺がやられっぱなしでいるわけにはいかないんだ。 俺は、背中の痛みをこらえて立ち上がり、氷河と睨み合い、互いに間合いを取って牽制し合い――そして、 この家には銃や刃物もあったが、そんなものを取りにいっている時間は 俺には与えられなかった。 与えられたとしても、素手の男を相手に、俺だけが得物を使うわけにはいかない。 そして、俺たちの殴り合いは五分五分。 俺が氷河に感じる“何か妙な力”の まもなく、気付いた。 俺が、氷河に手加減されていることに。 その屈辱的な事実に気付くや、俺は頭に血が昇り――氷河を本気にさせたくて、俺自身も本気になった。 やがて、電気に触れた時のような鋭い痛みが俺の感覚を刺激するようになり――その痛みに幾度か身をさらしているうちに、俺は、それが電気ではなく冷たさ――凍気だということを認めるに至った。 凍気──そんなものがなぜ、どうして、どこから──? 「やめて! やめて、氷河。氷河が一輝さんにそんなことをするのは暴力だよ。一輝さんは普通の人なの」 それはいったい どういう制止の仕方だ。 俺が“普通の人”とは。 だが、俺には、瞬の言うことの意味がわかった。 氷河が“普通の人”ではないことがわかった。 「瞬、しかし、こいつ、一般人にしては強すぎるんだ。力の加減ができない。そんなことをしたら、俺の方がやられる……!」 それはそうだろう。 俺は本気だった。 氷河の攻撃の前に命の危険を感じて、ほぼ正気を失い、氷河を殺そうとしていた。 おそらく、氷河も俺とおなじタイミングで完全に本気になっていた。 氷河の拳から――何か 得体の知れない巨大な力が、俺に向かって放たれる。 俺は ここで死ぬのかと覚悟を決めた瞬間、 「やめてーっ!」 瞬の悲鳴が氷河を吹き飛ばした。 氷河が俺を壁に叩きつけた時同様、氷河の身体に指1本触れずに。 “普通の人”でないのは、どうやら瞬も氷河と同じだったらしい。 あっけにとられ――既に立っているだけで精一杯だった俺は、その場にがくりと片膝をついた。 そんな俺に―― 「兄さん……! 兄さん、大丈夫っ !? あ……あ、ごめんなさい。みんな、僕が悪いの……!」 泣きながら、俺を兄と呼んで、瞬が俺の胸にすがりついてきた。 |