「む……」
それまで氷河王子に対して絶対的優位に立ち 勝ち誇っていたクールでかっこいい魔法使いカミュは、氷河王子のその答えを聞いて、声を詰まらせることになりました。
まさか、そうくるとは。
氷河王子は、自分が愛している者の命は渡すが、自分を愛してくれている者の命は渡さないと言い出したのです。
瞬は渡すが、瞬は渡さない――と。

今度 どちらかを選ぶことができなくなったのはクールでかっこいい魔法使いカミュの方でした。
クールでかっこいい魔法使いカミュが 氷河王子が『渡す』と言ったものを受け取れば、氷河王子は、クールでかっこいい魔法使いカミュの行為の矛盾を突き、クールでかっこいい魔法使いカミュを責めてくるでしょう。
クールでかっこいい魔法使いカミュは、深刻なジレンマに陥ることになりました。

クールでかっこいい魔法使いカミュのジレンマは、解決できるジレンマではありません。
おかげで、その場は膠着状態。
これではいつまで経っても、問題は解決しないでしょう。
つまり、いつまで経っても、マーマ女王は氷の棺を出ることはできないのです。
氷河王子は、瞬とマーマ女王のどちらかを選ぶことができず、クールでかっこいい魔法使いカミュは、氷河王子を愛する者と 氷河王子が愛する者のどちらかを選ぶことができない。
北の国の家臣たちも、氷河王子の恋人とマーマ女王のどちらかを選ぶことができずにいました。

長い膠着状態を破ったのは、その場で動くことのできる ただ一人の人物――氷河王子への愛を選べばいいだけの瞬でした。
「クールでかっこいい魔法使いカミュ。氷河を愛している者の命も捧げます。どうか、お后様を助けてください……!」

瞬の提案に、クールでかっこいい魔法使いカミュは ほっとしました。
これで、出口の見えない迷路を抜け出すことができると、クールでかっこいい魔法使いカミュは思ったのです。
「そうしてくれると助かる。なに、簡単なことだ。熱い血のしたたる君の心臓を、氷の棺の上に置くだけで、あの棺はすぐに――」
「瞬、やめろ!」
せっかく見えてきた迷路の出口を、氷河王子が塞ごうとします。
氷河王子としては、それは当然のことだったでしょう。
氷河王子にとって、瞬は、誰よりも愛する、誰よりも大切な人でしたから。

「氷河……。でも、僕には、他に氷河のためにできることがないの」
「駄目だ! 駄目だ、駄目だ、駄目だ! 俺は、おまえに何かをしてもらいたいわけじゃない。ただ生きて――そして、俺の側にいてほしいだけなんだ!」
誰にも渡せない瞬の命を抱きしめるように、氷河王子は瞬の身体を抱きしめました。
そして、クールでかっこいい魔法使いカミュを睨みつけました。
「そんなことをするくらいなら、俺の命をやる。貴様は、もともと俺の無礼が気に入らなかったんだろう!」
「その通りだが……。残念ながら、おまえの命には この氷の棺を溶かす力はない。おまえが重度のナルシストで、自分を誰よりも愛しているというのなら、おまえは『おまえが誰よりも愛している者』という条件にあてはまるが、どうやら おまえはナルシストではないようだしな」
氷河王子の命で、この事態を脱却できたらどんなにいいか――そう思っているのが明白な態度で、悔しそうに、クールでかっこいい魔法使いカミュは氷河王子の提案を退けました。

「そんなこと、絶対にだめだよ。氷河は生きていて。でないと、僕は……」
クールでかっこいい魔法使いカミュが無力無価値と断じた氷河王子の命。
けれど、それは、瞬には何より価値のあるものでした。
氷河王子の命を庇い守るように、瞬は クールでかっこいい魔法使いカミュにすがっていったのです。
「クールでかっこよくて慈悲深い魔法使いカミュ様。氷河とお后様を助けてください。代わりに僕の命を捧げます」
「うん?」

『クールでかっこよくて慈悲深い魔法使いカミュ様』。
『クールでかっこいい』に『慈悲深い』という形容詞と『様』の敬称が加わって、クールでかっこいい魔法使いカミュは、ちょっといい気分になりました。
しかも、そんな気分のいいことを言って涙ながらに訴えてくるのが、氷河王子と北の国の家臣たちの大部分が『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明』と認めている美少女――もとい、美少年なのです。
クールでかっこいい魔法使いカミュは、強大な力を持つ北の国いちばんの魔法使いでしたが、彼の審美眼は至って普通かつ一般的でしたので、瞬にすがられることは、彼にとっては決して不快なことではありませんでした。

「そうだな。そこまで言うなら、考えてやってもいいが……」
それまで強硬姿勢を崩そうとしなかったクールでかっこいい魔法使いカミュが、初めて態度を軟化させます。
クールでかっこいい魔法使いカミュが なぜ急に機嫌がよくなったのか、その場にいた者たちは皆、すぐにピンときました。
彼等は、マーマ女王と氷河王子の恋と北の国を救うため、早速 瞬に倣って、クールでかっこいい魔法使いカミュを口々に褒めそやし始めたのです。
曰く、『クールでかっこいいはかりでなく、高潔無比な魔法使いカミュ』『世紀の美男子カミュ』『人類の叡智の化身カミュ』等々。
氷河王子までが、
「俺はあなたに礼節を尽くすべきだった」
と、自分の非を認め、クールでかっこいい魔法使いカミュの前にこうべを垂れることをしました。

クールでかっこいい魔法使いカミュは、すっかり いい気分です。
褒め言葉に酔ったような恵比須顔で、彼はみんなに言いました。
「誰の命も奪わずに許してやりたいのだが、術者が一度 口にした魔法解除の条件を変えることはできないのだ。私より強い力を持つ魔法使いが、私のかけた魔法に更に魔法をかけたなら、話は別なのだが」
「この大間抜けのド阿呆魔法使い!」
と、氷河王子は思わずクールでかっこいい魔法使いカミュを怒鳴りつけそうになってしまいました。
『口は災いのもと』という言葉が身に染みる1ヶ月を過ごしてきた氷河王子は、かろうじて その言葉を喉の奥に押しやることができましたが。

自分の命は氷河のもの――物心ついた時から そう思っていた瞬は、クールでかっこいい魔法使いカミュのその言葉で、いよいよ その誓いを現実のものにする時が来たのだと、覚悟を決めることができました。
もともと路傍に打ち捨てられていた命。
その命を今まで守り育んでくれたのは、氷河王子と氷河王子のお母様でした。
その二人のために死ねるのなら、瞬にはそれは本望の死だったのです。
「お后様。僕の心臓を捧げて、今 この棺から出してさしあげます。氷河のために、蘇ってください」

大切な氷河王子と、優しい お后様。
二人の側にいられて、これまで どれほど幸せだったことか。
でも、だからこそ、この別れは瞬にはつらいものでした。
幸せで つらくて、嬉しくて悲しくて――それら すべての思いが『愛』と名付けられるもので、その思いを確かに我が物と感じることができている自分は 今 誰よりも幸福な人間なのだと、そして、生まれてきてよかったと、瞬は心の底から思っていました。
そうして、瞬は、マーマ女王の気高く優しい姿が閉じ込められている氷の棺に、そっと指で触れました。

途端に。
次の瞬間。
「ああ、瞬。早まらないで。私のために あなたが死ぬことはないのよ!」
瞬は、優しい お后様に しっかりと抱きしめられていたのです。






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