その瞬間、昨日 出会ったばかりの人に、僕は『殺されてもいい』と思ったんだ。 確かに、そう思った。 そう思ったのに。 僕の首筋に触れた氷河の手は、すぐに僕から離れてしまった。 代わりに、臆病にも思えるほど気遣わしげな声が、僕の耳と瞼に触れてくる。 「瞬、大丈夫だったか」 「え?」 「あ、いや。気分が悪そうだから。加減をせずに腕を掴んだから、俺は瞬の腕の骨を折ってしまったのではないかと――」 怪物退治の英雄でも、神に遣わされた刺客でもない、ごく普通の男性の氷河が、僕に馬鹿なことを訊いてくる。 それは、氷河が普通の人間なのであれば、馬鹿げた笑い話でしかなかった。 「い……いくら細くても――氷河が僕の腕の骨を折ろうと考えていたっていうならともかく、軽く掴まれたくらいで、僕の腕の骨が折れたりなんかするわけないでしょう」 「それは……。ああ、そうだな。君が風の精のように華奢で儚げな姿をしているので、錯覚した」 とんでもない誤解だ。 でも、確かに、今の僕は、何の力もない風の精のようなものなのかもしれない。 望んで得た力じゃなかったけど、常人には持ち得ない あの力は、少なくとも僕の身の安全を保障するものではあった。 その力を失ってしまった僕は、どちらに向かって吹けばいいのかがわからなくて迷走する風のような心を抱えて、ホテルに戻ったんだ。 “風の精のように頼りない”僕を、氷河が その日の予定をすべてキャンセルして、ホテルまで送ってくれた。 |