それは10年の時を経て、ついに辿り着いた感動の時――のはずだったんだけど。
沙織さんが その言葉を言い終えた その瞬間、僕は実にあっさりと 僕の記憶を取り戻していた。
不思議な光が辺りを包むとか、感動的な楽の音が流れるとか、最低でも、記憶を取り戻す僕自身が軽い目眩いに襲われるくらいのことはあるだろうと思っていたのに、ごく あっさり。

でも、そんな特殊効果による大袈裟な演出なんかなくても。
星矢、紫龍、氷河――。
懐かしい大切な人たちを、再び この手の中に取り戻した僕は、嬉しくて嬉しくて胸がいっぱいになった。
10年間 自分を孤独な化け物と思い込み、あの人を失うことで、本当に孤独になってしまったと信じるしかなくなっていた僕が、彼等のためなら命をかけても惜しくないと思える仲間たちを、この手の内に取り戻したんだから。
ただ一人、その場にいない人がいたけど。

「あの……兄さんは……?」
焼きもち焼きの氷河の耳を はばかって、僕が小声で尋ねると、
「ああ。一輝はもう4年も前に人間に戻ってる。肉体の年齢だけなら、元の年齢差より更に4歳、俺たちより年上になっているぞ」
“紫龍さん”ならぬ紫龍が、僕に兄さんの選択を教えてくれた。
うん。
そうだろうと思ってたよ。

「おまえが人間に戻ったんだから、そのうち会いにくるだろ。面白いぜー。俺たちより4つも老けたはずなのに、一輝の奴、見た目が全然変わってねーの。老け顔の奴って、ほんとに歳とらねーんだな」
「これで、神々が この試練を課した5人全員が、人間であることを選んだ――というわけになるわね。こうなるに決まっているのだから試すことなど無意味だと、神々には何度も言ったのだけど、彼等はどうしても信じようとしなくて――」
おそらくはギリシャの神々の中で最も人間の心がどういうものであるのかを知っている女神アテナが、僕たちの10年に詫びるように言う。
でも、僕は、アテナを責める気にはなれなかった。
アテナは僕たちの選択を信じていて――だから彼女は 僕たちに この試練を課すことに同意したのだろうと思えるから。

「そうですね。僕はむしろ、不死で孤高の神々が、人間になりたがらない訳がわからない」
「強大な力と不滅であることに、愛と幸福以上の価値を見るのが神というものなのよ。その力の使い方は神によって違うけど」
「沙織さん――アテナは、人間になりたいとは思わないんですか」
「地上の平和と安寧が実現してから、ゆっくり考えるわ」
「ああ……そうですね」
神には神なりの生きる・・・目的と楽しみがあるのかもしれない。
他の神々は いざ知らず、僕たちの女神アテナは確かに生きている。

「10年の間、僕の時間は止まっていたことになるんですね。肉体的には変化も成長もなくて――僕たちは この10年間、生きていなかったことになるのかな……」
「一概に そうとは言えないだろう。実際、おまえは10年前のおまえのままではない。少し大人っぽくなっているぞ。俺の記憶が正しければ」
僕の この10年は無意味なものではなかったと、紫龍が僕に教えてくれる。
紫龍に そう言ってもらえて、僕は少し嬉しくなった。

「氷河でなくても、みんなでなくても、僕を愛してくれる人がいて、愛せる人がいたから――」
「俺でなくても……?」
あの人はそんなんじゃなかったって、夕べ何度も言ったのに、氷河がまた不機嫌そうに片眉をぴくりと引きつらせる。
氷河は本当に――いつでも、どんな時でも氷河だ。
もう、おかしくて、嬉しくて、楽しくてたまらない。

きっと、人間というのは、“不滅”の代わりに“愛”を手に入れた存在なんだろう。
不滅であることより、愛を選んだ存在。
精一杯 生きて、誰かを愛して、死んでいく。
それが、人間の幸福で、正しい生き方なんだ。多分。

あの人が僕に『瞬』という名前をくれたのは、ただの偶然だったんだろう。
運命的な偶然、奇蹟のような偶然だ。
『いつか どこかで――100年後くらいのいつか、こことは違う世界で君にまた会えたらいいのだが』
あの人は 僕にそう言って、違う世界に旅立っていった。
そうだね。
僕が不滅より愛を選んだ人間である限り、その時は いつか必ず訪れる。
その時、あの人の前で恥ずかしい思いをしないように、あの人の前に幸せな目をして立てるように、自分に与えられた時間を 精一杯生きていこうと、僕は思った。
氷河と、懐かしい仲間たちと一緒に。






Fin.






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