「瞬はどうにかすると言っていたが、これは瞬にどうにかできる問題なのか?」
「確かに。沙織さんが動いてくれないことには、どうにもできないことのような気がするな」
「でも、沙織さん、女子校の男子在籍実績捏造に、やたらこだわってるみたいだったぜ」
「うむ……」

翌日の昼休み、氷河たちが 中庭の芝生の上に車座になって、アテナの聖闘士たちの今後を憂えていた時だった。
決して楽観できない未来に暗澹たる表情を浮かべていた氷河たちの耳に、
「氷河! 星矢! 紫龍!」
という、瞬の明るい声が飛び込んできたのは。
こんなところで瞬の声が聞こえてくるはずがないと訝りながら顔を上げた氷河の視界に、まさかの瞬の姿が映る。
瞬は、この学園の制服こそ身につけていなかったが、まるで1年も前から この学校の生徒だったように 遠慮やためらいのない様子で、氷河たちの方に駆け寄ってきた。

「瞬!」
事情や経緯がどうであれ、間近で瞬の姿を見ていられるのなら それで何の不満もなかった氷河は、勢いよく その場に立ち上がった。
「瞬、どうしてここに!」
「しーっ!」
ついに仲間たちとの合流を果たした瞬が、唇に人差し指を当てて、芝生の上に座り込む。
それにつられて 元の場所にあぐらをかいた氷河に、瞬は声を潜めて、
「僕のこと、校内では瞬って呼ばないで」
と告げてきたのだった。

「瞬と呼ぶなとは……」
アテナの聖闘士全員が城戸姓を名乗っている学校内で、まさか『城戸くん』と呼べというのではないだろう。
瞬の制止の意図が理解できず 怪訝な顔をした氷河に、瞬は、実に にこやかに明るく、彼が堂々とこの場にいられる理由を教えてくれたのだった。

「僕、兄さんの代わりに、城戸一輝として、ここの3年Aクラスに紛れ込んだんだ。だから、学校にいる時は、僕のこと、一輝って呼んで」
「なんだとぉーっ !? 」
氷河たちは、いかにも この学校の生徒然とした様子で瞬がここにいる理由は、即座に理解した。
瞬は、つまり、『今更 高校生なんて商売、馬鹿らしくてやってられるか』と吐き捨てて いずこかに姿を消した兄に成りすまして、この学校に潜り込んでしまったのだ。

一輝が人間で、瞬も人間。
瞬が一輝に成りすますのは、確かに不可能なことではない。
しかし、それは、あくまでも、二人を 人類という大きなくくりの中に存在する2個の生き物として見た場合の話。
人類であること以外 一輝とどんな共通項も持っていない瞬が、人類であること以外 瞬とどんな共通項も持っていない一輝の振りをすることには、どう考えても無理がある。
常識を覆す超離れ技を実行に移してのけた瞬の大胆さには感嘆しつつ、しかし、瞬の仲間たちは胸中に生まれてくる不安と懸念を どうしても消し去ることができなかった。

「一輝の振りをして紛れ込んだと言ったが……編入時に提出した書類には一輝の写真が貼られていたはずだろう。言ってはなんだが、おまえとは似ても似つかない一輝の写真が」
「あ、それは、間違って父の写真を貼ってしまいましたって言ったら、事務員さんも先生も納得してくれたよ。高校生の写真にしては老けすぎてるから、変だと思ってたんだって」
「……」
ここは、やはり笑うところなのだろうか。
笑って済ませたいのは山々だったのだが、氷河たちの顔は苦しく引きつるばかりだった。

「でもさ、瞬。おまえは本来なら、俺とおんなじ1年生のクラスに入るはずだろ。ばれないはずが……」
「大丈夫だよ。僕のクラスには僕より背の低い人も何人かいたもの。急な転校で制服は間に合わなかったってことにしたんだ。あと たった1ヶ月の在学のために制服を作るのは 無駄だと思ってもらえたみたいで、特別に私服通学を許可してくれたよ。この時季に、しかも3年生のクラスに転入なんて、異例すぎるでしょ。事情があって学校生活を送ることができなくて、でも どうしても学校生活っていうのを経験してみたかったんですって言ったら、もともと沙織さんから、いろんなことを大目に見るように指示が出てたらしくて、すんなり僕の席をもらえたの。3年生は、この時季、もうほとんど授業もないから、勉強の方で心配するようなこともないし」

「まあ、受験も そろそろ終盤だしな。しかし、4月からはどうするつもりなんだ。3年に編入ということは、おまえは あと1ヶ月もしないうちに この高校を卒業することになるんだぞ」
「それは、沙織さんに善処してもらって、今度は城戸瞬として、2年生に編入させてもらうつもり。誰かに何か言われたら、3月に卒業した城戸一輝とは歳の離れた双子だとでも説明するよ」
仲間たちに そう告げる瞬の顔は至って真剣。
瞬が仲間たちに笑ってもらうために そんな馬鹿げた話を創作したのでないことは確かな事実のようだった。
瞬は、万難を排して 自分と自分の仲間たちの学校生活を守るつもりでいるのだ。
だから紫龍は、無謀にも思える瞬の計画に、
「たった1ヶ月間だけのイレギュラー措置なら、何とかなるかもしれないな」
と言ってやらないわけにはいかなかったのである。

「うん! なんとかなるよ!」
“楽観的”の一言で片付けてしまうには あまりにも強い力と熱がこもった瞬の声。
その真摯な熱意にほだされて、瞬の仲間たちは、瞬の意思を尊重し、その願いを叶えるために協力することにしたのだった。
――のだが。

瞬と瞬の仲間たちの学校生活を守る。
瞬の その切なる願いを現実のものとするには、解決しなければならない幾つかの問題もしくは懸念がある――ように、星矢には思われたのである。
「でも、大丈夫なのかよ。ここ、男子校だぜ?」
「どういう意味?」
「いや、だからさ……」
星矢がはっきり口にできない懸念を代弁したのは、氷河と共にグラード学園高校2学年に編入を果たした龍座の聖闘士だった。
彼は、その瞼と眼差しに憂色をたたえ、慎重に言葉を選んで、瞬に星矢の懸念の内容を翻訳し 伝えることをしたのである。

「つまりだ。俺たちは、おまえが その辺に転がっている どんな男より強いことは よく知っている。俺たちは、おまえを女のようだと思ったことは一度もない。おまえは、一般的な“男”の概念を はるかに超越した強さを持つ、心身共に強靭な人間だ。そうであることを、俺たちは知っている」
「紫龍……」
それは、瞬には――特に、女子校に放り込まれそうになったばかりの今の瞬には――素晴らしい賞賛の言葉だった。
感激して、その瞳が潤み始めるほどに。

そんな瞬の前で――アンドロメダ座の聖闘士を“男の中の男”ならぬ“男の外の男”と評した紫龍は、更に慎重に言葉を選び、彼が本当に言いたいことを瞬に告げたのだった。
「俺は、おまえを女のようだと思ったことはないが、おまえが 一般的な“女子”の概念を はるかに超越した容姿と性格を備えた稀有な存在であることもまた、厳然たる事実だと思っている」
「え?」

言い方があまりに婉曲的すぎて、自分が褒められているのか 貶されているのかを、瞬はすぐには判断できなかったらしい。
微かに首をかしげた瞬の様子が、一般的な“女子”の概念を はるかに超越して可愛らしいという事実に、星矢は思い切り顔を歪めることになったのである。
そして、紫龍の慎重かつ遠回しな言い方では、瞬には仲間の懸念は わかってもらえないと判断し、星矢は 直截的かつ具体的に 彼の懸念を口にした。
つまり、
「危険だって、絶対。こんな むさい男ばっかりいるとこに、おまえみたいな見てくれした奴が紛れ込むのは。おまえ、一見した限りじゃ、大人しくて気が弱そうに見えるし。絶対 ちょっかい出す奴が出てくるって」
――と。

紫龍の讃辞に感激して潤みかけていた瞬の瞳が 一瞬にして乾き、険しいものに変化する。
一度きつく唇を引き結んでから、星矢の馬鹿げた懸念に 瞬は反駁した。
「星矢は、誰かが僕に危害を加えることがあるかもしれないって思ってるの? 僕に勝てるような人がこの学校にいるとでも?」
「そりゃ、そんな剛の者は、俺たちを含めて、この学校には一人もいねーだろうけどさ」
「なら、問題ないでしょ。ここは男子校、ここにいるのは男子ばかりなんだもの。女子校と違って、胸に触られそうになって、その手を払いのけるくらいのことをしても、問題になることはないでしょう。星矢たちが何を心配しているのかは知らないけど、男子校なんて、女子校に比べたら――」

この学校で自分に勝てる者などいないと豪語する瞬が、女子校の恐怖を思い出したのか、ふいに苦しそうに眉根を寄せる。
瞬は、だが、すぐに気を取り直し、伏せかけていた顔を雄々しく上げてみせた。
「大丈夫だよ。まだ1日も過ごしてないから、断言するのは時期尚早かもしれないけど、僕のクラスの人たちは、ノヴグラードの女の子たちに比べたら、みんな礼儀正しくて、すごく親切だったよ」
「すごく親切?」

瞬の その言葉に、氷河がぴくりと こめかみを引きつらせる。
そして、氷河は、その“親切”とは どういう親切だったのかを瞬に問い質そうとした――おそらく。
だが、氷河はそうすることができなかったのである。
中庭の芝生で円陣を組んでいたアテナの聖闘士の許に、瞬のクラスメイトとおぼしき男子生徒がやってきて、
「城戸くん、この学校に友だちがいたの?」
と話しかけてきたせいで。

芝生に座り込んでいた瞬が、声の主を振り仰ぐ。
瞬の視線を受けとめた声の主は、これを親切と言わずして何を親切と言うのかといわんばかりに親切なことを、瞬に告げてきた。
「ウチのクラス、今日の午後は美術室で卒業記念のモニュメントを作ることになってるんだ。城戸くんが美術室の場所がわからないんじゃないかと思って捜してたんだよ」
親切極まりない その男子生徒は、転校生の世話を頼まれたクラス委員といった風情をしていた。
おそらく4月からの進路も決定済み。
その気になれば学校をさぼって遊んでいても誰にも責められることはないに違いないのに、律儀に登校してきているのだろう。
彼が親切で気配りができるだけでなく 真面目な生徒であることを、瞬の仲間たちは誰ひとり、一瞬たりとも疑わなかった。
ただ、瞬の前に立つ そのクラス委員(推定)の頬が妙に上気しているのが、少し――否、大いに――気になっただけで。

「ありがとうございます。タナカさん。わざわざ迎えにいらしてくださったんですか?」
「あ、いや、城戸くんの面倒を見てくれって先生に頼まれたから、僕には責任が……」
「責任感が強いんですね。僕も見習わなくちゃ」
初めて会った その日から異様に親密に遠慮なくスキンシップを図ってきた女子高生たちに比べ、適度な距離を保ち、礼儀正しく、その上“すごく親切”なクラスメイトに、瞬はすっかり ご満悦らしい。
親切なクラスメイトに、瞬は心から嬉しそうに特上の笑顔を向けた。

「そ……それほどでも……」
瞬に にっこり微笑まれたタナカサンが、どぎまぎした様子で視線を落ち着きなく あちこちに泳がせ始める。
タナカサンが落ち着きを失っているのは、瞬の笑顔に目が眩んだせいばかりではなかっただろう。
一般的な“女子”の概念を はるかに超越した容姿と性格を備えた稀有な存在であるところの瞬に、一般的な“女子”ならば決して口にしないだろう丁寧な敬語で感謝と尊敬の念を示されたなら、一般的な男子高校生は、その事態と そんな自分に戸惑うのが普通である。
“それほどでもない”自分が、“一般的な女子”の概念を はるかに超越して可愛らしい人物に感謝と敬意を示されている この事態は、現実のものなのか、夢ではないのか、何かの冗談なのか、何者かの企みなのではないかと。
瞬の常識を超えた強さを知らない一般的な男子高校生には、ある意味、瞬は理想の女の子なのだ。

「クラスのみんなで卒業記念のモニュメントを作るなんて素敵。学校って、そういうこともするんですね」
「そ……そんな大したものじゃないんだ。3年の担任の先生たちの顔の浮き彫りで――」
「先生方の? それはきっと先生方も喜ぶでしょうね。僕、早く見てみたい。どれくらいできてるんですか?」
(噂によると)卒業記念に恩師の聖衣を破壊してのけたというアンドロメダ座の聖闘士は、己れの所業を反省した様子もなく、タナカサンの語る卒業記念品の話に瞳を輝かせた。
そして、
「じゃ、放課後、またね」
仲間たちに そう言って立ち上がり、視線でタナカサンに美術室への移動を促す。
タナカサンは 水飲み鳥のように こくこく頷き、操り人形のように かくかくした足取りで、瞬を美術室のある校舎の方に案内し歩き始めた。

「あれが同性のクラスメイトを見る目かっ!」
氷河は、そんなタナカサンの後ろ姿に、眉を吊り上げて毒づくことになったのである。
「確かに危険だな。あのタナカとかいう生徒、瞬を見る時の氷河と大差ない目をしていたぞ」
「いや、タナカサンは 氷河よりずっと純粋だろ。絶世の美少女を、ひたすら憧憬の目で仰ぎ見てるって感じだったぜ」

紫龍と星矢には、氷河を挑発する意図は全くなかった。
どんな他意もなく、正直な見解を口にしただけで。
しかし、それは、氷河の神経を逆撫でするものだったらしい。
「ちょっと、釘を刺してくる」
氷河は、怒りに燃えた目で そう言って立ち上がり、本当に二人のあとを追おうとした。

こんなところでダイヤモンドダストなど披露されてしまっては困るので、もちろん星矢と紫龍はすぐに氷河を引きとめようとしたのである。
が、怒れる氷河の足を止めたのは、彼の仲間たちではなかった。
氷河の足を止めたのは、新たな登場人物。
つまり、礼儀正しく“すごく親切”な2人目の瞬のクラスメイトだったのである。

「なんだ、タナカ、来てたのか。あー、その、なんだ。城戸くんは美術室の場所を知らないだろうから、案内しようと思ってさ。あの、俺、スズキっていうんだ。覚えてくれるかな」
「もちろんです。ありがとうございます。タナカさんといい、スズキさんといい、クラスメイトが親切な人ばっかりで、僕 嬉しい」
「いや、それほどでも――」
瞬の2人目のクラスメイトが、瞬の感謝の言葉に、絵に描いたような照れ隠しのポーズをとる。
頬を上気させ、右手で後頭部を がしがしと掻いてみせる瞬の2人目のクラスメイトの様子を、瞬の仲間たちは、色気づいた若いチンパンジーのようだと思った。

「じゃ、みんなで行きましょうか」
瞬が そう言って、生真面目なクラス委員と 色気づいたチンパンジーを嬉しそうに促す。
そうして 再び歩き出した瞬たち一行の瞬の前に 飛び出てきたのは、もちろん 瞬の3人目のクラスメイトだった。
「なんだ、タナカにスズキ、来てたのか。城戸くんが美術室の場所を知らないだろうと思ってさー。俺、サトウってんだけど、城戸くんにお見知りおきいただけたら嬉しいなー なんて思ってみたり してみたり〜」

3人目の親切なクラスメイトは、言葉を覚えたばかりのオウムか九官鳥。
お調子者を装ってはいるが、その調子のよさの陰に何らかの下心があることは、瞬の仲間たちの目には明白だった。
もちろん瞬は高校3年の男子として この場にいるのであるから、一般的な男子高校生たちの下心は 氷河のそれとは違い、『(可愛くて礼儀正しい)城戸くんとお友だちになれたらいいな〜』程度のものなのだろう。
とはいっても、『だから その下心は無害である』と思うことは、氷河のみならず、星矢にも紫龍にもできなかったのである。


「危険だ」
「うん、危険だな。いろんな意味で」
ぴくぴくと こめかみを引きつらせている氷河を見、瞬と瞬に群がってる一般的な男子高校生たちを見、最後に、礼儀正しく親切なクラスメイトたちに ご満悦の笑顔を浮かべている瞬を見て、紫龍と星矢は 口許と目許を引きつらせた。
まもなく、植物や動物たちが長い眠りから目覚め、再生する春がくる。
新しい生命と新しい希望を感じて しかるべき この場この時、星矢と紫龍の胸を支配しているのは、ただただ悪い予感ばかりだった。






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