「あの学校は大学進学率100パーセントで、うち半数は旧帝大か早慶上智の 結構な進学校と聞いていたんだが、意外に のんきなものだな」
のんきに そう呟く紫龍にも苛立つほど、氷河の苛立ちは激しいものになっていた。
「しかし、こんなことになっても、俺たちが心配しなければならないのが、瞬の身ではなく、瞬にいかれた男共の身の方だというのが、実に情けないというか、日本の未来が不安というか」
氷河の苛立ちはわかっているのに、紫龍が のんきな呟きをやめないのは、どれほど苛立っても この事態が解消することはないという事実を、彼が承知しているからだったろう。
その件に関しては、星矢も同じ見解でいるらしい。
「一輝ちゃんファンクラブでもできそうな勢いだぜ」
呆れた顔で そう言って紫龍に頷く星矢にも、神経を尖らせている気配は皆無だった。

「その方がいいかもしれん。瞬にいかれている者たちに紳士協定を結んでもらって、瞬に手を出すことのないように牽制し合ってもらえれば、瞬も傷害や過剰防衛の前科者にならずに済む」
「それで大きな事件が起きないうちに卒業式がきてくれれば御の字。山を一つ越えたことになるってわけだ」
そのあとのことまでは今は考えたくないらしく、星矢は、そうして越えた山の向こうに新たに出現することになるだろう更に険しい山に言及することはしなかった。

氷河はといえば、4月になれば再び出現するだろう大連山以前、今 現在 彼の目の前にある山への苛立ちに耐えるだけで精一杯。
否、氷河はむしろ、今の山への苛立ちに耐えることができなくなりつつあった。
こんな馬鹿げた状態が卒業式まで、あと20日近くも続くのかと思うと、それだけで氷河の脳の血管はブチ切れてしまいそうだったのである。

氷河が何にもまして耐えられないのは、瞬が何かするたびに 湧き起こる、
「一輝ちゃん、かーわいー!」
の大合唱だった。
世界でいちばん嫌いな名が、世界でいちばん好きな人に冠せられている。
氷河は、その事態が 吐き気を催してしまいそうなほど気持ち悪くて、これ以上 ただの一日も“有意義な学校生活”に耐えられそうになかったのである。

「卒業式まで待っていられるか!」
「待っていられるか……って、待つしかないだろ。他に どんな手の打ちようもないんだし」
心中穏やかでないにしても、それまで仲間たちの のんきな会話を黙って聞いていた氷河が、突然 掛けていたソファから立ち上がるのを見て、星矢は肩をすくめた。
そんな星矢を上から見下ろして、氷河が逆に肩を怒らせる。
「打つ手はある! 当人に直談判する!」
「当人って誰だよ?」

直談判して この騒動が収まる“当人”が誰なのかが、星矢にはわからなかった。
沙織なら、“(可愛い)一輝ちゃん”をグラード学園高校から除籍することはできるだろうが、自分が理事を務める学校の売名計画に情熱を燃やしている彼女が、氷河の願いを聞き届けるはずがない。
学校生活を有意義なものと固く信じている瞬も、それは同様。
まさか“(可愛い)一輝ちゃん”に血道をあげている一般的な男子高校生たちを一人一人説得してまわる氷河でもないだろう。
そして、他に この騒動の当事者はいない。――少なくとも、星矢は思いつけなかった。
だから、星矢は、氷河のその宣言は、現状に対する苛立ちを持て余した氷河が 何かを言わずにはいられなくて、何かを言うために口にした意味のない怒声にすぎないと思い込んでしまったのである。

その当然の結果として、星矢は――紫龍も――、氷河が この騒ぎを収束させるための具体的な計画を胸に秘めていると考えることができず、ゆえに、氷河の無思慮無謀な計画を制止することをしなかった。
この“(可愛い)一輝ちゃん”騒動に もう一人、非常に重要な当事者がいることを、星矢たちは すっかり失念していたのである。






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