沈黙の中で、やがて夜が明けた。 「不法侵入で、俺を成敗するか」 氷河は恋人の兄に尋ね、 「俺は、瞬に恨まれたくない」 瞬の兄は、そう答えた。 それが彼に言える、唯一正確な、そして正直な答えだったろう。 「貴様には、もうどんな特権もないな」 「ああ」 瞬の兄は、その事実を確かめてから、ゆっくりと、見るからに諦め顔といった表情で、口を開いた。 「なら、俺は、力に屈して言うのではない。俺は、貴様と貴様の家を好ましく思うことはできないが、貴様と瞬が会うことは妨げない。瞬がそれを望むのであれば」 瞬の兄の寛大な許しを得て――まあ、実際のところ、瞬の兄の腹の中は、最愛の弟を奪われたことへの怒りで煮えくりかえっていただろうが――氷河は、再度 強く、彼の恋人の身体を抱きしめた。 当時、我が国で最も美しいと言われていた二人の男子のラブシーンだ。 その出来事を見ていた者たちが、その感動を戯曲や詩に残そうと考えたのも 尤もなことだったろう。 おかげで、私も研究資料に事欠かない。 まあ、残されている資料が多いと、その取捨選択に悩むことになるのだがね。 ともあれ、そうして、運命の春分の日は終わった。 P家とT家に降りかかった幸運と不運が どんな悲劇を生むのかと 固唾を呑んで運命の日が終わるのを待っていた都の人々は、事の次第を聞いて、皆 一様に安堵の胸を撫でおろした。 そして、彼等の安堵の思いは、やがて大きな喜びに変わっていった。 P家に その出来事は、言ってみれば、ありふれた恋の成就でしかなかったのだが、人々は、その出来事について様々な立場から考察をしたのだよ。 一般の庶民も、特に貧しい生活に苦しんでいる者も、貴族も、王族も。 彼等は それまで、我が国のくじ引き制度は、国民の不満を抑えるために王家が採用した方便――程度にしか思っていなかった。 だが、くじ引き制度が意味するものは それだけではないのではないかと、人々は考え始めたのだ。 人間の人生は、公平でも平等でもない。 一人の人間が、どの国に、どの家に、どんな環境に生まれるかということは、その人間の一生を大きく左右する。 その人間の人生を縛り、制限する。 人間の誕生は、天のくじ引きで始まるが、生まれたあとも それは同様だ。 思いがけない幸運に出会う者、不運に見舞われる者、人の人生は様々だ。 人は、毎日 くじを引きながら生きているようなものなのだ。 だが、その結果生じた事態をどうするかは――良くするのも悪くするのも、それは 天から降ってくる力ではなく、人の意思と力だということだ。 ここにいる諸君等も、恵まれた環境に生まれ、順当にこの席に座っている者、貧しい家に生まれ努力に努力を重ねて この場にいる権利を手にした者、様々だろう。 恵まれた環境に生まれた諸君は、家の財や力に溺れず切磋琢磨するという くじを自らの意思で引き、貧しい家に生まれた諸君は、その貧しさに流されず努力するという くじを自らの意思で引いたのだ。 そして、諸君等は、ここにいる栄誉を手に入れた。 諸君等は、諸君等自身を誇りに思ってくれたまえ。 ただし、諸君等のくじ引きは、これからも続くのだということを忘れずに。 さて、氷河と瞬の、ありふれた恋の成就の話に戻ろう。 それは、確かにありふれた恋の成就にすぎなかった。 しかし、それが結果的に くじ引き制度廃止の決定に大きく寄与することになったのだよ。 くじ引き制度が始まってから初めて、何ひとつ悪いことが起きなかったその年。 なぜ悪い事が起きなかったのかを考え、一つの答えに行き着いた当時の国王は、くじ引き制度の廃止を決意した。 更には、緩やかに国王の特権を家臣たちに委譲していき、議会の召集と選挙の開始を決定した。 最後に、王は王位の放棄を宣言した。 彼は、天のくじ引きによって与えられた自らの特権を放棄することで、天のくじよりも、人間が自らの意思で引く くじの方に価値と意味があることを、彼の国民に示そうとしたのかもしれない。 我が国最後の国王は、実に賢明な人物だった。 くじ引き制度の廃止、共和制開始の決定は、国民に歓迎された。 国民のためを思い、天のくじ引きによって与えられた特権を放棄し、自らの意思で くじを引く人生を選んだ王のために、誰もが愛情と援助の手を差し延べた。 かくして、我が国は、無血で政体の変換を行なってのけた人類史上 最も稀有な国となったのだ。 国に大きな変化をもたらした氷河と瞬は、もちろん幸せになった。 二人の恋は、くじの力によって成ったものではなかった。 二人の恋を成就させたものは、二人の愛であり、意思であり、誠意であった。 努力や誠意で得た幸福や成功は、人に妬まれ憎まれることはない。 逆に賞賛さえ受ける。 愚かなほど真面目に努力することは、結局、最も賢い生き方なのだ。 諸君等なら、私のこの考えに賛同してくれると思うのだが、どうだろう? さて、私の講義もそろそろ終わりかけている。 この講義――いや、物語から、諸君等らが何かを得てくれれば、私は大変嬉しい。 そういえば、我が国のこの物語に想を得て、イングランドのウィリアム・シェイクスピアという劇作家が『ロミオとジュリエット』という作品を書いたそうだ。 イングランドでは人気を博しているらしい。 おや、シェイクスピアの名で眉をひそめた学生諸君がいるね。 まあ、彼の作品は、到底高尚と言えるものではないからね。 特に彼の書く喜劇は下品なジョーク満載だ。 真面目な努力家の諸君には認められない部分があるのかもしれないな。 だが、あの下品なシェイクスピア作品とて、300年も経てば、名作古典として もてはやされることになるかもしれないぞ。 今、この時、この場で起こったことが、100年後には歴史書の1ページとして記されていることもあるかもしれない。 ありふれた恋の成就が 一つの国を大きく変えたように、その時には ささやかな出来事としか思えなかったことが、あとになって どれほど意味深く大きな影響力を有する出来事だったのかということに気付いて、人は驚嘆するのだ。 歴史とは、人の世の時の流れとは そういうものだ。 あと数年で、17世紀がやってくる。 新しい世紀が我が国の飛躍の世紀になることを祈り、諸君等の中から 我が国の歴史――いや、世界の歴史に名を残す人物が多く出ることを期待しつつ、今日の私の講義はここまで。 諸君等の努力に期待し、諸君等の成功を祈る。 Fin.
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