それから数日、俺はぼんやりと暮らしていた。
文字通り、ぼんやりだ。
何をしようという気にもならなかったから。
一日に一度 マーマのところに行って花を捧げることだけは、習慣になっていたから続けていたが。
聖衣のある場所はわかっていたが、そんなものがなくてもマーマに会いに行くことができるようになっていた俺には、聖衣なんて無用の長物だった。

――瞬の死を知ってから、何日目の夜だったろう。
俺に、不可思議な出会いがあったのは。
まるで天をオローラが覆い尽くしているような夜だった。
地磁気がよほど激しく乱れていたんだろう。
色も形も千変万化。
その激しい変化は、音もないのに うるさく感じられるほどだった。

俺は、俺が暮らしていたログハウスの外に出て、雪の上に仰向けに寝転がり、空を見上げていたんだ。
深夜だぞ。
明かりといえば、家の窓から洩れてくる照明の光と、実は明るさを持っていないオーロラの光だけ。
しかも、季節は、まだ十分に冬。
そんな時、雪原の中に建っている一軒家を訪ねてくるのは、キツネかテンか、せいぜい雪女くらいのものだ。
でなければ、場所柄からして雪の女王とか。

その訪問者がキツネでもテンでもないことは、一目でわかった。
それ・・は人間の姿をしていたから。
雪の女王ではないこともわかった。
それ・・は、俺の名を知っていたから。
しかも、どういう聞き方をしても日本語のイントネーションとしか思えない口調で、それ・・は俺の名を呼んだ。

「氷河……? こんなところで何してるの?」
「おまえは誰だ」
雪の女王にしては若すぎる。
死神にしては可愛らしすぎる。
俺が尋ねると、その不思議な訪問者は、まるでこれが初対面ではないというかのように、
「わからない?」
と、俺に反問してきた。

その時、俺は、それ・・が誰なのか わかったわけじゃなかった。
わかった上で、その名を口にしたわけじゃない。
俺はただ、俺がその時 いちばん会いたい人の名を口にしただけだったんだ。
「瞬……?」
――と。
「うん」
あろうことか、その不思議な訪問者は、自分がその名の持ち主だと認め――俺の頭を千変万化するオーロラのように混乱させた。

「瞬は死んだはずだ。おまえは幽霊なのか」
きっとこれは夢だ。
後悔が見せている夢なんだ。
そう、俺は思った。
気温、時刻、場所。
常識で考えれば、それは、幽霊か 夢の世界の住人ででもなければ為すことのできない訪問だったから。
自分を“瞬”と認めた その訪問者は、自分が幽霊だということも 実にあっさりと認めてくれた。
「幽霊? うん、そんなものかもしれない。氷河の言う通り――僕は死んでいたはずの人間だから」

幽霊が自分を“死んでいたはずの人間”と称するのも おかしな話だが、この世をふらついている幽霊なんて、皆 そんなものなんだろうと、俺は思った。
多分、瞬は、自分が いつ どんなふうに死んだのかを、明確に憶えていないんだ。
『たった今、自分は死んだ』と自覚して、『今から自分は生きている人間ではなく幽霊になった』と意識する死人なんて、そうそう いないだろう。
意識が遠のいて、次に目覚めたら、自分がそれまでとは違う何かなっていることに気付く――そんなふうにして、人は死んだものになるんだ。多分。

ああ、でも、幽霊でも、もう一度 瞬に会えるのは嬉しい。
俺は、幼い頃の俺が勇気のない子供だったことを、瞬に責めてもらいたかった。
そして、瞬に謝りたかった。
幽霊でも何でもいい。
そこに、瞬の心があるのなら。
俺は雪の上に身体を起こした。
そして、立ち上がった。
幽霊でも――6年分 大人になった瞬の顔をできるだけ近くで見たかったから。
瞬は、この世に未練や恨みを残して死んでいった幽霊とは思えないほど、幼い頃の面影を残して優しい面立ちの大人になっていた。
大人といっても、まだ10代の少女――もとい、少年なわけなんだが。






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