予定とも予想とも かなり異なる展開になってしまったが、とりあえず氷河の目的は達せられたことになるのだろう。
何はともあれ、最後に残った僅かばかりの麦の穂を持って、瞬は完全に日が暮れる前に、彼の居城である粗末な苫屋に帰ることになったのだから。

「おまえ、おかしなことばっかり言いまくりだけど、瞬の言う通り、悪い奴じゃなさそうだな。ほんとのこと言えよ。おまえ、何者なんだ? あんなことができるなんてさ! それこそ地獄から来た悪魔だったとしても、俺、おまえのこと 歓迎するぜ! なんたって、これで しばらくパンには困らずに済みそうだからな」
氷河の起こした奇跡を目の当たりにした星矢の興奮は、一行が家に帰ってからも収まらなかった。
そして、数刻前までとは 打って変わった好意全開の笑顔を、星矢は氷河に向けてきた。
どうやら彼は、氷河が この地獄での仕事をさっさと終えたくて為したことを底意のない親切と思い込み、氷河への態度を改めることにしたらしい。
その笑顔には全く屈託がなく、星矢も“悪い奴”ではなさそうだと、氷河は思うことになったのである。

瞬の清澄とは また違う、悪意のない明るさ。
その すがすがしい明るさに免じて、氷河は、これまで幾度も繰り返してきた言葉を もう一度星矢のために口にしてやったのだった。
「言ったろう、女神アテナの使いだと」
自己紹介は これが最後のつもりで自分が何者なのかを星矢に告げると、氷河はすぐに、今度は自分の知りたいことを地獄の王主従に尋ね返したのである。
大きな疑念を抱えているのは こっちの方だと言わんばかりの口調で。
「そんなことより、なぜ、この地獄の王が こんなボロ家で暮らしているんだ」

氷河の質問に答えてくれたのは、“こんなボロ屋”に住んでいる地獄の王当人ではなく、瞬の従者だった。
彼は、自分が仕えている王の居城が“こんなボロ屋”であることを 特に屈辱的なこととは考えていないらしく――むしろ、当然のことと考えているようだった。
「そりゃ、親がなくて、金も家もないんだから仕方がないだろ。この家だって、ほんとは瞬の家じゃなくて、空き家を使わせてもらってるだけなんだ。持ち主が戦に駆り出されて帰ってこなかった家が ほとんどなんだけど、俺たちみたいに親のない子供が そういう空き家を使うのは、村の奴等も大目に見てくれてる。ちなみに、隣りが俺の借りてる家。どんなボロ屋だって、屋根があるだけ ましってもんだぜ」
「そんな おかしな話があるか。瞬ほど美しく清らかな魂を持つ者は、オリュンポスでも十二神に次ぐ地位を与えられるはずだ!」
「おまえ、頭はおかしいくせに、見る目はあるじゃん。すげー まともだ。でも、これは仕方のないことだからな。たまたま俺たちには親がいなかった。それだけのことなんだ」
「たまたま親がなかったくらいのことで、これほど高潔な魂を持つ者が、こんな貧しい生活に甘んじていることなど あってはならない!」

気負い込んで そう断言してから、その“あってはならない”ことがあるから、ここは地獄と呼ばれているのかもしれないと、氷河は思い直すことになったのである。
そう思いながら、改めて瞬の上に視線を巡らす。
清らかな瞳をした地獄の王は、今日初めて知り合ったばかりの異邦人を、その澄んだ瞳に 優しさと温かさまでを加えて微笑み見詰めていた。
「今日は本当にありがとうございました。あの……すぐに帰らなくていいのなら、今夜はここに泊まっていってください。寝台は一つしかないけど、詰めれば なんとか二人眠れると思うの」
瞬の親切な(?)申し出に、氷河は大いに戸惑い、そして なぜか ひどく胸が高鳴ったのである。






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