その夜、瞬は夢を見た。 夢だとわかる夢だった。 その夢の中には、ここにいるはずのない人、二度と会うことができないはずの仲間がいたから。 氷河だけが、そこにいたから。 もし もう一度 氷河に会うことができたなら、『ごめんなさい』と『ありがとう』の二つの言葉を、何を置いても氷河に告げるのに。 叶わぬ夢だと思っていたことを、夢の中で叶えることができるかもしれない。 瞬の胸は弾んだのだが、なにしろ、相手は 非常にきまりの悪い別れを別れた氷河である。 彼に話しかけるには勇気が要った。 それでも瞬が何とか勇気を奮い起こすことができたのは、それが夢だとわかっていたからだったかもしれない。 二度と会うことはできないだろうと思っていた氷河。 この僥倖も二度と訪れることのない僥倖なのかもしれない。 夢だから――この出会いは すぐに終わってしまうかもしれない。 氷河はすぐに消えてしまうのかもしれない。 そんな焦りのせいもあったかもしれなかった。 「氷河、ごめんね。ごめんなさい。氷河は、僕のために言ってくれたのに、僕、あんなふうな態度をとって――ほんとに ごめんなさい……!」 何はさておいても、『ごめんなさい』を(夢の中でとはいえ)告げることができたと 瞬は安堵し、同時に、(夢の中でとはいえ)氷河は自分を許してくれるのだろうかと、瞬は不安を覚えた。 これは夢だとわかっているのに、瞬は 本気で安堵し、本気で案じていた。 そんな瞬に対する氷河の答えは、瞬の期待に応えるものでも、瞬の不安通りのものでもなかった。 しかし、妥当かつ自然なものではあったろう。 彼は彼の目の前にいる瞬を不思議そうな目をして見詰めながら、 「瞬。なんで、おまえがこんなところにいるんだ? ここはシベリアだぞ」 と、瞬に尋ねてきたのだ。 「ここは、アンドロメダ島だよ」 城戸邸でいちばんの泣き虫だった子供が いる場所なのだから、ここがアンドロメダ島以外のどこかであるはずがない。 決して氷河の言葉に異議を唱える意図はなく、瞬は氷河に答えた。 「そんなことがあるわけない。俺は昨日、シベリアに来た。雪と氷の――」 言いながら、氷河が辺りを見まわし、氷河につられるように、瞬の目も氷河の視線を追う。 二人の周囲には何もなかった。 シベリアの雪と氷も、アンドロメダ島の砂と乾いた風も。 「そうか……。これは――ここは やはり夢の中なのか。おまえも……俺が勝手に作り出した、俺の夢の世界の瞬か……」 氷河が、悔しそうに唇を噛みしめ、つらそうに眉根を寄せる。 この氷河も、僕が勝手に作り出した、僕の夢の世界の氷河なのだ――。 わかっているのに、氷河が笑顔でないことが つらい。 瞬は、弱虫の仲間から視線を逸らしてしまった氷河の横顔を見上げ、見詰め、そして、必死の思いで訴えた。 「ご……ごめんなさいって、僕、氷河に謝りたかったの! 氷河は僕のために言ってくれたのに」 「瞬……?」 「どうしても氷河に謝りたくて、きっと、だから僕は こんな夢を作ってしまったの……!」 「何を言っているんだ。これは俺の――」 『俺の夢だ』と、氷河は言おうとしたようだった。 だが、彼は なぜか、言いかけた言葉を途中で途切らせ、しばらく瞬の顔を無言で見詰めてから、その首を横に振った。 「いや、俺もおまえの気持ちを考えていなかった。俺は、最初から おまえは生きて帰れないものと決めつけていた。おまえを先に侮辱したのは俺だ。謝らなきゃならないのは俺の方だ」 「そんなことないよ! 僕がいけなかったの」 「おまえが悪いはずがない。ただ俺は……俺は、おまえに死んでほしくなかったんだ。だから、おまえの気持ちも考えず、あんなことを言ってしまった」 「氷河……」 瞬がこれまでに見たことのある夢は、いつも 瞬が望まぬ夢ばかりだった。 得体の知れない化け物から逃げ惑っている夢、恐い大人に見付からぬよう 物陰に隠れて息を殺している夢、兄や仲間たちに見捨てられる夢――。 それらの夢に登場する人物たちが、(夢の中の瞬自身も含めて)瞬の望む通りのものであった ためしがない。 自分が望む通りの氷河、自分の望み以上の氷河の前で、瞬は ぽかんとしてしまったのである。 『僕は、夢でも見てるんだろうか……?』――と。 氷河は、こんなに優しかっただろうか。 それとも、氷河に優しくしてもらうことを、自分は そんなにも強く望んでいたのか。 「氷河が こんなに優しいなんて、僕 知らなかった……」 夢でもいい。 夢なら覚めないで。 夢のように嬉しい出来事に遭遇した時に 人が必ず その胸中で呟くだろう呟きを、瞬もまた同じように呟いたのである。 そんな瞬に、瞬が作った夢の中の氷河は、瞬には思いがけない言葉を告げてきた。 「おまえは、いつも一輝しか見ていなかったからな……」 「え……」 それは 本当に思いがけない言葉だった。 言われてみれば、確かにそうだったろうと首肯するしかない言葉だが、それでも思いがけないことに変わりはない。 「夢ってやつはいいな。おまえが俺だけを見てくれる」 呟くように言って、氷河が瞬の髪に触れてくる。 「氷河……」 「こんな夢なら、いくらでも見たいな。おまえが つらい目に会ったり、悲しい思いをしたりした時、おまえが俺の夢の中にいてくれれば、俺はおまえを慰めて、励まして、『それでも死ぬな』と言ってやれる」 「あ……」 氷河は本当は こんなにも優しかったのか。 それとも、氷河に優しくされることを、自分はこんなにも望んでいたのか。 自分が作った夢の中の出来事だというのに、瞬には その謎の答えがわからなかった。 いずれにしても、瞬が その夢によって、『生き延びて、再び氷河に会い、その答えを手に入れたい』という欲を一つ与えられたのは事実だった。 |