「あのね。こういうのは無理かな。星の子学園に、遠くで働いてる お母さんが面会に来てくれなくて不安がってる子がいるの。お母さんは、1年前に『必ず迎えにくる』って言って、その子を学園に預けていったんだけど、それから1度も面会にきてくれてないの。それで その子は、自分がお母さんに捨てられたんじゃないかって悩んでるみたいなんだ。その子はまだ たったの4つで、お母さんは できるだけ早く二人で暮らせるように旅費も節約して頑張ってるんだけど、そういう事情って 子供にはわからないでしょう。わかっても不安は消えない。だから、僕、その子をお母さんに会わせてあげたいんだ」 「できるか」 瞬の願いを氷河が朝顔の精に中継し、 「できるわ」 その願いを聞いた朝顔の精が頷く。 氷河の願い(= 瞬の願い)(= 母に捨てられたのではないかと不安がっている子供の願い)は即座に叶った。 母に捨てられたのではないかと不安がっていた子供は、自分の身に何が起こったのか わかっていないらしい母親から(彼女はそれを夢と思っているのかもしれなかった)、『もうすぐ迎えにくるからね』という言葉と抱擁を手渡され、不安を消し去ることができたようだった。 「あのね。星の子学園にいる両親のない子のことなんだけど、小さい頃に ご両親と行った思い出の遊園地が閉園になってしまったっていうニュースを聞いちゃったみたいなの。その子は、その遊園地のメリーゴーラウンドにもう一度 乗りたかったって言ってて――。その子は今9歳で、たった9歳なのに、両親はもう帰ってこないんだってことを ちゃんとわかってる。思い出の場所に行って、切なく思うことはあっても、悪い方に苦しむことはないと思うんだ。む……無理かな?」 「できるか」 瞬の願いを氷河が朝顔の精に中継すると、 「できるわ」 と朝顔の精は即答した。 そして、氷河の願い(= 瞬の願い)(= 両親との思い出を懐かしむ子供の願い)が即座に叶う。 朝顔の精は、動かないはずのメリーゴーラウンドを いともたやすく動かしてみせた。 人気のない遊園地のメリーゴーラウンドに乗った子供は、それで何かが吹っ切れたようだった。 朝顔の花が咲くたびに瞬が願う願いは どれもそんなふうで、それをとても瞬らしい願いだと思いつつ、氷河は不安にもなったのである。 氷河自身の願いは永続性を伴わなければ叶っても意味のないものなので 朝顔の精に望むこと自体が無意味なのだから致し方ないとしても、瞬には瞬自身の願いというものはないのだろうか――と。 本当は叶えたい願いがあるにもかかわらず、瞬は我慢しているのではないかと、氷河は それを懸念したのである。 「おまえの願いはないのか」 と、氷河は瞬に尋ねてみたのだが、瞬の答えは、 「これが僕の願いだよ」 というものだった。 瞬の返答を聞いて眉根を曇らせた氷河に、瞬が、 「僕自身の願いは、僕が自分の力で叶えたいんだ。きっと叶えられるって信じてるから、僕はいいの」 と、言葉を継いでくる。 その“僕自身の願い”も、瞬のことだから、おそらく 瞬自身が幸福になる類のものではなく、他人の幸福を願うものであるに違いない。 そう確信できるから、氷河は瞬の願う願いが切なかったのである。 「あなたの瞬は、とても優しい心の持ち主なのね」 朝顔の精は、瞬が願う願いを 単純に好ましいものと思っているらしい。 ほんの数日で随分 大人びた表情をするようになった朝顔の精は、そう言って氷河に微笑んだ。 瞬の我欲のなさを案じていた氷河は、だから その時には気付かなかったのである。 氷河に微笑みかけてくる朝顔の精の声や表情が、何か寂しげで悲しげなものを含んでいることに。 朝顔の精の沈んだ様子を氷河が認め、その訳を知ることになったのは、彼が朝顔の精に初めて会った日から1ヶ月ほどが経った ある日の午後だった。 その日、“お母さんの味がするパンケーキ”を星の子学園の子供たちに食べさせることに力を使って 萎れた花の下で、朝顔の精は、 「……明日、最後の花が咲くの。それが私の咲かせる最後の花になるわ」 と、抑揚のない声で氷河に告げてきた。 「なに?」 花には花期というものがあり、永遠に咲き続けていることはできない――という事実は、氷河とて知っていたのである。 知ってはいたが、考えたことはなかった。 妖精が守っている花なのだから、この朝顔は 他の朝顔とは違う特別な花なのだという思い込みも、氷河の中にはあった。 花の命の終わり。 朝顔の精の告白は、氷河を動転させた。 「最後……最後とはどういう意味だ? 花が咲かなくなったら、おまえはどうなるんだ」 「そうね。消えてしまうわ、多分」 まだ たった1ヶ月しか生きていない子供の声は、抑揚がなく落ち着いている。 決して明るくはなかったが、悲嘆や絶望の香りを、朝顔の精は その身にまとっていなかった。 「消えるというのは、死ぬということか」 「よくわからない……。私、消えるのは初めてのことだし、これまで死んだこともないから。ううん、もしかしたら私、これまでに何度も死んでいるのかもしれない……」 「だとしても――いや、ああ、そうだ、いい考えがある。おまえが消えないようにと、俺が おまえに願えばいいんだ。そうすれば おまえは――」 「朝の数時間だけ消えずに済むわね」 「――」 それでは願っても無意味である。 それが無意味な願いだということに、氷河は ひどく腹が立った。 「なぜ おまえが消えなければならないんだ! 世の中には――世の中には、おまえより役に立たない人間がいくらでもいる。そんな奴等が平気で何十年も この世に のさばっているのに、なぜ おまえが――」 「でも、これが運命だから」 「悟った顔で、運命だなんて言うな! おまえは まだ1ヶ月しか生きていないんだ。人間なら、泣くことと寝ることしかできない赤ん坊と同じなんだぞ!」 「ええ、そうね」 取り乱しもせず、 生後1ヶ月の赤ん坊は、今ではすっかり大人の顔を持つ者になっていた。 なぜ、いつのまに この妖精はこんなに大人になってしまっていたのか。 気付かずにいた自分が、氷河は悔しかった。 「こんな……俺の願いを叶えるだけで、おまえ自身は どんないい目も見ずに死んでいくなんて、そんな理不尽なことがあってたまるか! それじゃあ、まるで――」 まるで瞬の未来を見せられているようで、氷河は つらかったのである。 瞬自身の望み、朝顔の精自身の望み。 人は誰も――心を持つ者は誰も――自分自身の望みを叶え、自分自身が幸福になるために生まれ、生きているものではないのか。 少なくとも、それが普通で自然なことのはずだと、氷河は思っていた。 「あなただって、自分の願いより、瞬の願いの方を 私に叶えさせたでしょう」 「瞬が喜んでくれるのが嬉しかったからだ。それが俺の願いだったからだ。俺は俺の願いを叶えようとしただけだ」 大人びた朝顔の精が、氷河の主張を聞いて ほのかに微笑する。 明日の午後には消えていく花の精は、そして、明日 花を開くのだろう最後の蕾を 夢見るような瞳で見上げた。 「そうね。そして、その瞬も、自分の願いより子供たちの願いを叶えようとした。私は、朝の数時間だけしか みんなを幸せにしてあげられなかったけど、でも、私、すごく嬉しかった。すごく幸せな気持ちになれた。私の力で幸せになった子どもたちが何人もいるんだもの。こんな大仕事をしてのけた朝顔は、きっと私だけだわ!」 朝顔の生の明るい声が、誇らしげな声が、無理に作ったものに思えないことが、つらく悲しい。 氷河はその夜、健気で小さな朝顔の精に 最後にどんな願いを願うべきなのかを考え続け、ほとんど眠ることができなかった。 |