それは天使が出てくる映画だった。 天使は、人間に恋をすると死ぬ。 人間に恋をして死に、人間になった天使の物語。 巨大ロボットも 怪獣も 魔法のアイテムを使う子供も出てこない その映画を、誰がどういう意図をもって、城戸邸に集められた子供たちに見せることを考えたのかはわからない。 瞬たちに その映画を見せた大人たちも、何も説明してはくれなかった。 案外 それは、本当に目的のないイベントだったのかもしれない。 その映画がセレクトされたことに大した理由はなく、ただ映画の上映時間中は いつもは騒がしい子供たちが静かにしているのではないかと、大人たちはそんなことくらいしか考えていなかったのかもしれなかった。 映画は美しかった。 主人公の天使の目にはモノクロームでしか映らなかった世界が、彼が人間になった途端、鮮やかなカラーの世界に一変する場面は特に。 おそらく、それは 人間に生まれ変わった天使が 幸せになるだろうことを示唆するラストだったろう。 だが、瞬は、本当にそうだろうかと疑ったのである。 人間の世界には、悲しみや苦しみ、不平等や貧困や孤独、悪意や無理解、そして争いが満ちている。 更に、その先には死がある。 天使でいれば死ぬことはない。 天使の世界には、飢えも無理解も不平等も、もちろん悪意も存在しないだろう。 主人公の天使には天使の友人がいて、天使でいた時の彼は孤独でもなかった。 争いが生む悲しみや苦しみも人間だけのもの。 人間になることで、天使が幸福になることがあろうとは、どうしても瞬には思えなかったのである。 「あの天使は、きっと幸せになんかなれないよねえ、星矢」 瞬が兄ではなく星矢にそう言ったのは、兄にそんなことを言ったら、弟のそんな考えを兄が悲しむだろうと思ったからだった。 もっとも、瞬の人選は極めて不適切なものだったらしく、瞬が星矢から得ることのできた答えは、 「おまえ、あんなの真面目に観てたのかよ? いつまで待っても、悪者も正義の味方も出てこないから、俺、途中で寝ちまったぜ」 という、それこそ お話にならないものだったのだが。 夕食前の短い自由時間。 AVルームから談話室に移動した仲間たちの中に、瞬は映画を 自分の意見に賛同してくれる仲間を探しているのか、否定してくれる仲間を探しているのかは、瞬自身にもわからないまま。 「紫龍!」 ほとんどが昼寝から目覚めたばかりのような顔をしている仲間たちの中に、一人だけ、思慮深げな顔をした仲間の姿を見付けて、瞬は彼の側に駆け寄ろうとしたのである。 紫龍なら、人間になることで天使が幸せになることができるのかどうか、その答えを自分に与えてくれるだろうと期待して。 が、あいにく、瞬は紫龍から彼の意見を聞くことはできなかった。 談話室のドアが ふいに乱暴に開けられ、城戸邸に集められている子供たちの管理監督を任されている男が室内に入ってきて、恫喝するような目で瞬たちを その場にいた子供たちは、彼の登場に気付くなり、 彼等が作っていた ざわめきを一瞬で消し去った。 が、幸い、彼が談話室にやってきた目的は、 「静まれ、ガキ共! 新入りだ。名は氷河。喧嘩なんかして騒ぎを起こすんじゃないぞ!」 既に静寂に満ちていた室内に、あまり耳に快くない胴間声を響かせて、彼が 一人の子供を談話室の中央に乱暴に突き飛ばす。 そして、他に何か用があったのか、彼は そのまま さっさとどこかに行ってしまった。 彼が子供を そんなふうに扱うのは いつものことだった。 彼は おそらく、子供が心を持っているということを知らないのだと、瞬は思っていた。 今日 初めて会う者たちしかいない場所に たった一人で取り残されてしまった子供が、見知らぬ他人の集団に怯えるのではないか、心細い思いをすることになるのではないかというようなことを、彼は全く考えもしない――想像することもできない。 だから彼は、『大丈夫か? 仲良くできそうか?』とか『ここにいるのは皆、おまえと同じように親をなくした子供ばかりだから、引け目を感じる必要はないぞ』とか、不安な気持ちでいる(はずの)子供の心を案じ気遣う言葉の一つも残さずに、彼を他人しかいない場所に放り込み、後ろも振り返らずに どこかへ行ってしまえるのだ。 瞬も、そんなふうにして この邸に連れてこられた子供の一人だった。 というより、ここにいる子供たちは全員がそうだった。 瞬には それでも兄がいたので、見知らぬ子供の大群に怯え泣き出さずに済んだのである。 たった一人で こんなところに放り込まれてしまった『氷河』は さぞ心細い気持ちでいるだろうと案じながら、瞬は 新しい仲間の上に 同情の視線を向けた。 そうして、その“新入り”の姿を視界に入れた瞬間、瞬は、自分はあの映画の世界に紛れ込んでしまったのではないかという錯覚に襲われたのである。 天使の目にはモノクロームにしか映らない人間の世界。 だが、『氷河』は、鮮やかな色を持っていた。 夏の眩しい陽光の色をした髪、夏の明るい青空の色をした瞳。 『氷河』が、その時、瞬の目には、モノクロームの世界で ただ彼だけが白と黒以外の色を持っている人間のように見えた。 まるで、映画の中の天使が サーカスの舞姫への恋に落ちた瞬間、その恋人だけが鮮やかな色を持って天使の目の中に飛び込んできた時のように。 彼が持っている鮮やかな青と金に、瞬は驚き、息を呑んだ。 彼の異質を認めたのは瞬だけではなかったらしく、談話室は、『氷河』の登場によって、奇妙な緊張感を伴う ざわめきでいっぱいになった。 もっとも、瞬以外の子供たちは、新しくやってきた仲間が持つ鮮やかな色そのものに感動したわけではないようだったが。 「おい、ガイジンだぜー」 「あんな顔してて、日本語 喋れんのかよ」 「ここは日本なんだし、喋れなかったら、あいつが俺たちの言葉を覚えるだろ」 「なんか、目付き悪いぞ。性格わるそー」 談話室に満ちた ざわめきのほとんどは、好意や同情や感嘆ではなく、不審や反発心でできていた。 自分や この城戸邸にいる子供たちの誰とも違うから 彼は天使なのだと思ったのは、どうやら その場では瞬一人だけのようだった。 |