歌声は、絶対に幻聴などではなかった。
その正体が幽霊だろうと人間だろうと構わない。
フレアの新しい先生であろうと、そうでなかろうと、それもどうでもよかった。
ただ、もう一度 あの声を聞きたいと、ヒョウガは思ったのである。
ヒョウガは、どうしても もう一度、あの歌声を聞きたかった。

だから――翌日からヒョウガは あの素朴で懐かしい声の主を捜し始めたのである。
観客全員の退場が確認され正面出入口が閉じられた時刻にオペラ座の敷地内にいたのだから、声の主はこのオペラ座で働いている者か、その関係者に違いなかった。
声からして、かなり小柄な少女。そうでないとしたら子供である。
このオペラ座に そんな人間は多くはいない。
声の主はすぐに見付かるはずだと、ヒョウガは踏んでいた。

だというのに。
舞台の出演者たちはもちろん、オーケストラのメンバー、大道具小道具衣装関係の裏方、警備員に観客の誘導係、果ては掃除夫たちにも聞いてまわり、舞台も客席も道具部屋、楽器部屋、衣裳部屋、すべての控え室まで、出資者の特権を駆使して 一通り見てまわったというのに、ヒョウガは声の主当人はもちろん、それらしい人物を知る者すら見付けることができなかったのである。
「そんな小柄な子供だの少女だのは、このオペラ座にはいませんよ。このオペラ座にいる者の中で いちばん歳が若いのはフレアさんでしょう」
という答えを、ヒョウガは幾度 聞いたか。
そして、その答えを、
「そんなはずはない!」
と、幾度 打ち消したか。
そのやりとりを、ヒョウガは、様々な立場の人間相手に最低20回は繰り返した。
もしかしたら あの声の主は本当に幽霊だったのではないかと疑わなければならない状況に、ヒョウガは追い込まれていた。

心惹かれてやまない その声を、ヒョウガが再び聞くことになったのは、彼が不思議な声の主を求めてオペラ座を探索し始めて10日ほどが経った頃。
当初の予定では翌日には千秋楽を迎えるはずだった『ラ・ボエーム』の1ヶ月の公演延長が決まった夜だった。






【next】