「名目は、昨年すべての役職を辞して引退した財界の大物の70歳の誕生パーティなのよ」 青銅聖闘士たちを彼女の執務室には呼ばず、彼女の方から 青銅聖闘士たちが くつろいでいるラウンジに出向いてきたということは、それが女神アテナの“命令”ではなく“頼み事”だということを物語っていた。 グラード財団総帥にして女神アテナでもある彼女が、困ったような顔をして 彼女の聖闘士たちに順々に視線を巡らせる。 最後に、その視線は瞬の上でとまった。 「何ていうか――彼は、一線を退いたあとも、財界に自分の影響力が残っていることを示したがっているというか、確かめたがっているというか……。引退して変な趣味を持ってしまって」 「変な趣味?」 命令でなく頼み事なら、拒否権が与えられるはずである。 沙織に問い返す紫龍の声音は、いつもの彼のそれに比べれば かなり軽快なものだった。 それでも『油断はならない』という気持ちが皆無なわけではないらしく、どこかに慎重さを残したものでもあったが。 「ええ。言ってみれば、有力企業同士を結婚させたがる趣味」 「企業の合併吸収の斡旋でも始めたんですか。それとも、もう少し穏やかに 資金提携や技術提携の仲介とか」 そういう趣味だったら どんなによかったか。 そう思っていることが明確に見てとれる表情で、沙織が肩をすくめ左右に首を振る。 「いいえ。文字通り、結婚よ。各企業のSEOや社長の独身の子弟と子女、孫たちを見合いさせて、仲人をしたがる趣味を持ってしまったの。先日、A銀行頭取の孫娘とBテクノロジー社長の息子の結婚をまとめるという大仕事を首尾よく やり遂げて、自信を持ってしまったのね。彼は、次のターゲットを私に定めたらしいの」 「ターゲットを沙織さんに定めたというのは、つまり、そのご老体が 沙織さんに夫を持たせる事業に乗り出したということですか」 「そう。その手始めが、明日の彼の誕生パーティというわけ。でもねえ、申し訳ないけど、私は そういう親切はご遠慮申し上げたいのよ」 「そんなパーティ、行かなきゃいいじゃん。そのじーさん、沙織さんの裏稼業を知らないんだろ? 聖域の女神アテナに ふさわしい男なんか、そうそう見付けられるわけがない」 仲人業に目覚めた老人の親切を遠慮したいのなら、今すぐにでも パーティ欠席の連絡を入れればいいだけのことである。 なにもアテナ当人が わざわざ こんなところまで出向いてきて、彼女の聖闘士たちに そんな事情説明をする必要はない。 沙織はなぜ そんな無駄かつ無益なことをするのか、そこのところを星矢は得心できずにいたのである。 しかし、沙織には沙織の事情というものがあったらしい。 「その趣味さえなければ、いい人なのよ。企業経営に政治の介入を徹底して排除してきた人で、その点では完全に潔癖な、人品卑しからぬ好人物。もちろん とても有能で、引退なんかする必要もないくらい明晰な頭脳の持ち主でもあるわ。日本の経済界の未来を真剣に憂えている方で、明日のパーティが純粋に彼の誕生日を祝うものだったなら、私は喜んで出席したいのよ」 「沙織さん、ジジコンだもんなー」 尊敬に値する先達への沙織の親愛の念を、星矢が 実も蓋もない一言で片付ける。 ともあれ、星矢は、それで沙織の事情を理解することになったのだった。 「何とでも言って。そういうわけで、瞬。私にあなたの力を貸してちょうだい。私と一緒に、そのパーティに出席してほしいの」 星矢の“一言”に機嫌を損ねたというより、沙織は早く本題に入ってしまいたかったらしい。 彼女は星矢の“一言”を否定することもせず、瞬の方に向き直ってきた。 沙織の思いがけない指名に驚いて、瞬が その瞳を見開く。 「それは――グラード財団総帥にして女神アテナの心を射止めようと近付いてくる男性陣を追い払う仕事ですか? もちろん、喜んで勤めさせていただきますけど、でも、それなら、氷河あたりを連れていった方がいいんじゃないですか? 氷河が隣りにいたら、沙織さんを狙ってくる男性陣も諦めて身を引いてくれると思いますけど。僕じゃ、その仕事には少々力不足のような……」 「氷河なら、財力はともかく、腕力と見た目に関しては、そんじょそこいらの男共は太刀打ちできないもんな」 沙織が瞬を指名したことを意外に思ったのは、瞬だけではなかったらしい。 『氷河の真の姿を知らない』という条件付きなら、沙織の指名より瞬の指名の方が妥当で的確と思っている様子で、星矢は瞬の提案に頷いた。 「それも対応策の一つではあるけれど、氷河は そういうパーティの類は嫌いでしょう。いつもパーティが嫌いなんじゃなくてタキシードを着るのが嫌なだけだって言うけど」 「エスコート役じゃなく、ボディガードとしてついていくなら、普通のスーツでいいじゃん。黒の上下に黒のサングラスでロシアンマフィアの一丁あがりだ」 「やめてちょうだい。今どき 一目でボディガードとわかるボディガードを連れているのは、不粋な政治家くらいのものよ」 「なら、紫龍はどうです? 紫龍なら、少なくとも僕よりは、沙織さんと並んで格好がつくっていうか――収まりがいいんじゃないかと思いますけど。僕には、沙織さんの夫の座を虎視眈々と狙っている男性陣を諦めさせるような力はありませんよ」 星矢が、瞬の第二の提案にも大きく頷く。 頷いてから、彼は、少しばかり不満そうな目を瞬に向けてきた。 「なあ、別にそんな物好きじーさんの誕生パーティなんかに行きたいわけじゃないけど、俺は候補にあがんないのかよ?」 「星矢はだめだよ。自分の職務そっちのけで、食べ物が並んでるテーブルに貼りついて離れないに決まってるもの」 瞬の発言は いちいち理に適い、的確かつ適切である。 瞬の言を否定することができなかったらしい星矢は、すぐに自分の疑問を取り下げた。 「納得。やっぱり、氷河か紫龍だな。俺や瞬だと、沙織さんの同伴者としてはカワイラシすぎる」 「あら、そんなことないわ。瞬なら、きっと私から男性陣を遠ざけてくれるわよ。もちろん服装はタキシードでなくてOKよ。軽い色のカジュアルなスーツで構わないわ。スーツを着る気があるなら、星矢たちも同伴していいわよ。瞬も その方が心強いでしょう」 言葉と語調は、あくまでも提案であり 頼み事のそれなのだが、沙織は既に瞬のパーティ出席を決定事項にしているようだった――つまり、それは命令だった。 あくまで提案の体裁をとった命令を下してから、沙織が何やら意味ありげな笑みを その口許に刻む。 「なーんか、あの笑いが気になるんだよなー」 「うむ。あれは沙織さんが何かを企んでいる時の表情だ」 「瞬が行くなら、俺も行くぞ」 沙織の北叟笑みが気になって(約1名、違う理由をあげた者もいたが)、結局 翌日のパーティには4人の青銅聖闘士が揃って沙織のお供につくことになったのだった。 |