奇跡は、奇跡を信じる者の上にだけ訪れるものなのだろう。
奇跡を信じられない者は、奇跡を起こそうと考えて そのために努力することをしない。
当然、その人間の許に奇跡が訪れることはない。
だが、奇跡を信じる者は、奇跡を信じたい者は、奇跡を起こすために行動を起こすのだ。
250年前、到底不可能なことと思われていたシベリア横断を成し遂げたイヴァン・モスクヴィチンのように。

10年に1度、太陽の中心に黒い点が見える年の冬至の日にだけ花をつける氷の花。
その花が咲いている時に 願いを願えば、必ずその願いが叶えられる氷の花。
その花が咲いている冬の険しい山の頂。

その日、氷河は 並外れた体力と強い意思の力で、瞬は これまで瞬を傷付け続けていた翼の力で、伝説の山の頂に辿り着いた。
翼のある瞬は、早朝に。
一歩一歩 自分の足で前進するしかなかった氷河は夕刻に。
だが、二人の家に帰り着いたのは、氷河の方が先だった。
初めて足を踏み入れた冬の険しい山。
瞬が雪に迷わずに山の麓まで下りることができたのは、瞬の意思の力が起こした奇跡だったかもしれない。
そうして、疲れきって 二人の家に帰り着いた瞬は、そこで信じられないものを見ることになってしまったのである。
10年に1度、人間に奇跡をもたらしてくれる伝説の山に瞬が捨ててきたものを その背に備えている氷河の姿を。

「そんな……」
「なんてことだ……!」
瞬は、氷河の背にある白く大きな翼を見詰め、氷河は、白い翼の消えた瞬の細い肩を見詰め、驚愕と嘆きの声をあげたのである。
いつまでも一緒にいたいと願う人と同じものになり、これでやっと どんな負い目にも支配されることなく 心を打ち明けられると思っていた。
そのために自分が自分でなくなることすら覚悟して願った願いが、全く無意味なものにすぎなかったことを知らされて。
否、全く無意味ではなかっただろう。
少なくとも二人は、その悲しいすれ違いによって、互いの心を知り、その心を信じられるようにはなったのだから。

「僕たちは本当に違うものなの? こんなに一緒にいたいと願っているのに」
「俺とおまえは本当に違うものなのか? 翼を持っていなかった俺と 翼を得た今の俺は、何も違わない。俺は何も変わっていない。俺は――」
変わらず おまえが好きだと、言葉にする必要はなかった。
互いの手と瞳が自然に近付き、触れ合う。
互いに互いを抱きしめ合うことも、唇を重ねることも、二人には難無くできた、
二人の間にある ありとあらゆるものを取り除き、肌と肌を合わせ、一つになることも、二人には容易だった。

二人を妨げられるものは何もなかった。
そして、その事実は、異なる姿になってしまった二人を、一層 離れ難い二人にしてしまったのである。
二人が同じものだろうと違うものだろうと、もはや どんな力をもってしても、いつまでも一緒にいたいと願う この心は変えられないと、氷河は瞬の中で、瞬は氷河を自身の身体の中に感じながら思った。

「翼なんて、何の障害にもならないな」
「ほんとだね」
胸に唇を押しあててくる氷河の金色の髪に 両手の指を絡ませて、瞬は頷く代わりに 僅かに顔と首をのけぞらせた。
なぜ翼があることを あれほど負い目に思っていたのか――。
氷河に抱きしめてもらうことができた今となっては、瞬は 以前の自分の負い目の訳を思い出すこともできなかった。
以前は邪魔物としか思えなかった翼は、氷河の背にあると、神聖で美しい命の輝きにしか見えない――。

「この翼をどうするかは、10年後に二人で考えるとして」
互いを気遣うあまり、一人で決意し、一人で その決意を行動に移したのが誤りだった。
「俺たちは、いつまでも一緒にいよう。今度からは、何をするにも二人で話し合って」
「その方がいいみたい」
氷河の胸と翼の下で、瞬は生まれて初めて、光と喜びだけでできた微笑を浮かべたのである。






Fin.






【menu】