「俺は この件から下りる」
答えは、改めて考えるまでもないものだった。
ヒョウガが出した結論に、シュンが嬉しそうに大きく頷く。
「そうしてください。メデューサの首は僕が手に入れる」
「ああ。じゃあ、せいぜい頑張ってくれ。メデューサはオケアノスの流れのほとりにある岩屋にいるそうだ。」
「え? 一緒に来てくれないの?」
シュンのその一声は、シュンにひらひらと手を振って 潔く その場を立ち去りかけていたヒョウガを、すっ転ばすに十分な力を持っていた。
足をすべらせ、その場に尻餅をつくことになったヒョウガは、立ち上がることも忘れてシュンを怒鳴りつけてしまったのである。
「なぜ俺が おまえと一緒に行かなければならんのだーっ!」
シュンは、ヒョウガの怒声に臆した様子もなく、むしろヒョウガの怒声の意味が理解できないと言わんばかりの顔をヒョウガに向けてきた。

「だって、あなたが ここで僕に出会ったのは、きっとそういうことだよ。神々が あなたに、僕の従者になれって言ってるの。それに、ここまで来て手ぶらで帰るなんて、馬鹿みたいじゃない。僕のメデューサ退治に力を貸してくれたら、僕、兄さんに口添えしてあげるよ。兄さんはエティオピアの王になるんだ。お金でも宝石でも土地でも身分でも、あなたは どんなご褒美でも望むものを手に入れられるよ」
「あのな。俺は 金や宝石がほしくて こんなところまで来たんじゃないんだ。俺は 一国の王になる野心を持って――」
「そのために、会ったこともない王女と結婚する気だったの?」
「俺には好きな女もいないし、アンドロメダ姫は絶世の美女という噂だった」
「僕が絶世の美女だなんて、そんな噂を信じてたんですか」

シュンは完全にヒョウガを馬鹿にしていた。
そんな噂が立つ原因を作ったのは いったい誰なんだと、嫌味たらしくシュンを問い質してみたい誘惑に、ヒョウガはかられたのである。
『僕じゃないよ。僕は そんなこと一言の言ったことないもの』という類の答えが返ってくるだけのような気がして、なんとかヒョウガは その誘惑に耐え抜くことができたが。
「美女というのは事実に反するが、絶世の美少年というのは事実じゃないか。どうやって王女の振りをしていられたのか不思議なくらい、とんでもなく図々しい はねっかえりでもあるが」
「それ、ちっとも褒め言葉になっていないような気がするけど……」

『褒めるつもりなど、これっぽっちもないー!』と怒鳴る体力も気力も湧いてこない。
ヒョウガにできたのは、疲れきった口調で、
「おまえの兄は、おまえの企みを承知しているのか。知っていて、この無謀をおまえに許したのか」
とシュンに尋ねることだけだった。
決して“ご褒美”がほしいわけではなく――ヒョウガは、エティオピアという国の未来を案じてしまったのである。
もしシュンがエティオピアの王にしようとしている彼の兄が、弟の無謀を承知の上で許したというのなら、シュンの兄は 王位も恋も幸せも か弱い(?)弟に運んでもらおうとしている惰弱極まりない男だということになる。
となれば、エティオピアの未来の王が シュンになるにせよ、シュンの兄になるにせよ、エティオピアの未来は明るいものではない。
シュンは、ヒョウガの質問に、大きく力強く首肯してきた。

「もちろん、知ってるよ。必ずメデューサの首を持って帰るから安心してって、置手紙を残してきたもの。その手紙に、僕が本当は男だってことも書いてきた」
「……」
その置手紙を読んだシュンの兄の混乱振りが目に見えるようである。
これまで妹と信じていた世にも稀なる美少女が、実は男だったことを知らされて、しかも無謀にも命の危険のある冒険の中に身を投じたことを知らされて、シュンの兄が冷静でいられるはずがないのだ。
が、それはともかく。
それは『シュンの兄がシュンの計画を知っていて許している』のではなく、『シュンが兄に 無理に事後承諾をとりつけた』状況である。
ヒョウガは、軽蔑しかけていたシュンの兄に、一転して多大な同情心を抱くことになってしまったのである。
シュンは、兄が自分のせいで恐慌状態に陥っているかもしれないことに考えを及ばせることもなく、けろりとしたものだったが。

「生け贄の日までに絶対にメデューサの首を手に入れて帰るつもりだけど、万一 間に合わなかったら、事実を公表してって書いてきたんだ。アンドロメダ姫なんて もともといないんだから、姫を生け贄にすることは そもそも不可能なことでしょう? もし、それでも生け贄を差し出せっていうのなら、神は人間に実現不可能なことを命じたわけで、それは神にあるまじき卑劣なこと。そのあたりを上手く突けば 神も黙るしかなくなるし、国民の不満も、王室じゃなく神々に向かわせることができる」
「どっちが卑劣だ。おまえ、悪知恵が働きすぎだ」
「でも、僕の計画がいちばんいいの。義を見てせざるは勇なきなり、だよ。エティオピアとエスメラルダと兄さんの幸せのために協力してください。成功の暁には、エティオピアの王位とエスメラルダ以外なら どんなご褒美でもあげる。約束するよ」
メデューサの首の確保同様、ヒョウガが自分につき従うことを、シュンは勝手に決定事項にしてしまっている。
自分勝手な偽のお姫様の前で、ヒョウガは溜め息を禁じ得なかった。

それでもヒョウガがシュンに付き合う気になったのは、シュンの自分勝手が 人を陥れるようなものではなく、人の幸福を願うゆえのものだったから。
自分の人生を諦めたくないという、前向きなものだったから。
メデューサの首を手に入れると言い切るシュンの腕が、あまりに細すぎたから。
シュンが美しかったから。
一緒に行かないと後悔することになるような気がしたから。
なにより、ヒョウガ自身が、このままシュンと別れてしまいたくないと思っていたからだった。






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