冥界での戦いを終え 地上に戻ってから、瞬は、氷河の眼差し、差し出される手、優しい言葉に応えることをやめた――応えられなくなった。
恋のために兄を殺した罪が、兄が今 現に生きているからといって消えるはずがない――許されるはずがない。
瞬は、氷河に対して心を閉じ、今生の命を 兄への贖罪のためだけに使おうと思ったのである。
他に贖罪の方法はない。
命には命で報いる以外にない――と。

罪を犯したのは自分。
その罪によって命を落としたのは兄。
それは兄弟の間に生じた悲劇であり、因縁であり、事件である。
それは兄弟だけの問題だと、瞬は考えていた。
氷河には どんな関わりもないこと、氷河を巻き込むわけにはいかないことだと。
だから、氷河という存在を度外視して――無視して、瞬は贖罪のための人生を生きることを始めたのである。
それが氷河のためでもあると信じて。

が、前世の事情など知らず瞬に無視されるようになった氷河の方はたまったものではなかった――らしい。
というより、彼には全く訳がわからなかったのだろう。
『戦いが終わったら』
『平和の時がくるまでは』
言葉にはせず、そう思っていた――むしろ、そう思っていたから言葉にせずにいた思い。
言葉にすることはできなかったが、互いに通い合っていると感じていた二人の心が、いざ平和の時が訪れた途端、通わなくなってしまった――のである。
二人の間に そびえ立つ冷たい壁。
その壁が出現した訳がわからず、氷河は戸惑っているようだった。

確かに 言葉にして約束を交わしたわけではない。
そういう思いを胸に抱いて触れ合ったこともない。
だが、ついにやってきた平和の時、約束を結ぶために発しようとした言葉、触れ合おうとして のばした手から、瞬は逃げてしまう。
氷河の困惑は当然のものだったろう。
触れ合えるようになったことに、『好きだ』と伝え合えることができるようになったことに、瞬は急に恐れを為してしまったのだろうかと、氷河はそんなことを考えているようだった。
氷河は、瞬に逃げられ避けられることに混乱している。
瞬には、それがわかった。

氷河の混乱は当然のことだろうと思う。
熱を帯びた目で見詰められれば いつも、それ以上の熱をたたえた目で、瞬は氷河の瞳を見詰め返していた。
『好きだ』と告げ合うことはなかったが、
「戦いが終わったら」
「僕たち、幸せになれるよね」
と、そんなふうに さりげない言葉に願いを込めて“その時”がくるのを待っている自分たちを、二人は繰り返し確かめ合っていたのだ。

おそらく、そんな時、直接 抱き合うより、直截的な言葉で思いを伝え合うより、二人の心は離れ難く絡み合っていた。
“その時”がこないから思いを伝え合わずにいるだけなのだと、氷河は信じていただろう。
瞬自身も そう信じていたのだから。
“その時”がくれば、二人は抑え難い思いによって、永遠に分かたれることがないほど強く一つに結びつき合うことになるだろう――と。

その永遠の予感が、突然 一方的に断ち切られてしまったのである。
確かに、二人は どんな約束も交わしていたわけでもなかった。
が、氷河が『約束を反故にされた』と感じただろうことは、瞬には想像に難くなかった。
瞬は一方的に その理由も告げぬまま、二人の間に冷たい拒絶の壁を築いたのだ。
氷河にしてみれば、理由を知らされずに突然 別れを切り出されたようなもので、彼は瞬の態度の変貌に戸惑わないわけにはいかなかっただろう。
だが、瞬には他にできることがなかったのである。
“互いのために命をかけられるほど信じ合っている ただの・・・仲間同士”でいること。
そういうものとして 氷河の前に存在すること以外には。






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