「ちょっと待てよ。エリスとルシファーに死者を蘇らせる力を放棄させて、ハーデスがその力を独り占めすることになって、めでたしめでたしの大団円? 俺たちは奴等のゲームの駒にさせられただけ? それでいいのかよ!」
この結末を『めでたしめでたしの大団円』と認めることのできない人間。
それは、ハーデスたちによって散々な目に合わされた瞬ではなく、知らぬことだったとはいえ 母の形見のチェーンを失ってしまった氷河でもなく、ハーデスたちが引き起こした騒動において ほぼ傍観者の立場に置かれていた天馬座の聖闘士その人だった。
人の都合を考えないハーデスたちの自分勝手に いきり立つ星矢を、紫龍がなだめにかかる。

「まあ、そんな馬鹿げた賭けの駒にされた おまえの憤りも わからないではないが、これは妥当な結果だろう。何といってもハーデスは冥界の支配者なんだし」
「そういう意味じゃなくてさ!」
人の都合を考えず自分勝手な二柱の神と 堕天使ルシファー。
その我儘振り、横暴振りには、確かに腹が立つ。
だが、星矢は、我儘で自分勝手な神たちのことなど どうでもよかったのである。
それこそ、『勝手にやってろ』と思う。
そうではなく――星矢が大人しく受け入れることができないのは、ハーデスたちの傍迷惑な我儘横暴ではなく――その結末を めでたしめでたしの大団円にしてしまうことだった。
焦れ苛立ったような顔で、星矢が氷河に向き直る。

「氷河、おまえは、これで一件落着、めでたしめでたしの大団円でいいのかよ! これで終わって満足できるのか?」
「どういう意味だ」
星矢は なぜ これほど苛立っているのか。
そして、なぜ自分は星矢に怒鳴りつけられなければならないのか。
紫龍の言う通り、それは妥当な落ち着き先だろうと考えていた氷河には、星矢の剣幕の訳が皆目わからなかった。
そんな氷河に業を煮やしたように、星矢が重ねて仲間を怒鳴りつけてくる。

「何のことも こんなことも、せっかくのチャンスを逃すなよ。こういう展開になったら、普通はさ、ちょっと気の利いた男なら、ガキの頃と変わらず 俺は今でも お前が好きだとか何とか、どさくさに紛れて瞬に告白しちまうもんだろ。つーか、おまえ、さっき、瞬に好きだって言おうとしたろ? 俺の頭と釣り銭はごまかせても、俺の目と鼻と野生の勘はごまかせねーぜ!」
「え……?」
星矢が その目と鼻と野生の勘で嗅ぎつけたと主張する事実(?)に、氷河より先に瞬が反応する。
驚いたように瞳を見開いた瞬を見て、氷河は慌てることになった。

「お……おまえは急に何を言い出したんだ! 今 問題になっているのは、ハーデス共の傍迷惑で傍若無人な振舞いだろう!」
「だからさー。死者を蘇らせる力の落ち着き先とか 有難みとか 権威とか、そんなの、俺たちには どうでもいいことなんだって。俺が期待してんのはさ、神サマたちが落ち着く大団円じゃなくて、おまえと瞬が落ち着く大団円なんだよ。でなきゃ、俺たちがハーデスたちのゲームの駒にされた甲斐がないじゃん。おまえは、俺たちアテナの聖闘士が 自分勝手な神サマたちにコケにされて骨折り損のくたびれもうけでエンディングって事態に腹が立たねーのかよ。せっかくハーデスたちが馬鹿をやらかしてくれたんだから、逆にそれを利用してやろうっていう気概くらい持てよ!」
「……」

ハーデスたちの自分勝手な振舞いには、もちろん氷河とて腹が立っていた。
そのせいで、瞬は大切なお守りを、自分は(知らなかったこととはいえ)母の形見(の一部)を失うことになったのだ。
しかし、ハーデスたちの自分勝手な振舞いと、その自分勝手に振り回された人間の恋は、全くの別問題。
神にやられっぱなしで終わりたくないという星矢の気持ちは わからないでもなかったが、それでも それとこれとは別問題(のはず)だった。
のだが。

星矢の目と鼻と野生の勘が嗅ぎつけた別問題に、よりにもよって 瞬が乗ってしまったのである。
瞬らしく、非常に遠慮がちにではあったが、瞬が その別問題に引っかかってしまったのだ。
「あの……星矢が言ってることは本当?」
僅かに瞼を伏せて尋ねてくる瞬の前で、氷河は答えに窮することになった。
星矢が言ったことは、もちろん本当である。
否定はできない。
否定すれば、白鳥座の聖闘士は瞬に嘘をつくことになる。
しかし、我儘な神々の賭け事の延長線上で、自分の人生がかかった重大な告白などでるものだろうか。
氷河は、できれば、そういうことは それなりに改まった場で――せめてもう少しムードのある場所で、瞬と二人きりでいる時にしたかった。
少なくとも それは、我儘な神々の戯れ事への意地や対抗意識で為されるべきものではない。
それが氷河の考えだった。

が、この騒ぎを空騒ぎで終わらせず 何か得るものを手にしたいらしい星矢は、氷河の考えや都合など全く考慮しようとしない。
氷河の慎重さを 煮えきらなさと解し、業を煮やした星矢は、あろうことか、
「俺に殴られたくなかったら、瞬に好きだって告白しろ!」
と言って、氷河を脅してきた。
「そんな脅しに屈して告白なんかできるか!」
もちろん、いつかは そうするつもりである。
だが、それは今ではない。
まして それは、他人の脅しに屈して為していいようなものではない。

それは、誇張ではなく、一人の男の人生と運命がかかった重要な告白。
その上、星矢の脅しは あまりに馬鹿げていた。
氷河は星矢に殴られても 痛くも痒くもなかったし、それ以前に 氷河には星矢の拳をかわす自信があった。
星矢の脅しは、氷河には いかなる脅威にもなり得ないものだったのである。

星矢は、もしかしたら自分の脅しの無意味無効に 本気で気付いていなかったのかもしれない。
が、さすがにアテナはその事実に気付いていたようだった。
彼女は呆れ顔で、仲間に無意味な脅しをかけている星矢をたしなめた。
もっとも、アテナの たしなめ方は、氷河が期待するものとは、かなり その方向性を異にしたものだったが。
彼女は、星矢の脅し行為そのものでなく、星矢の脅し方のまずさをたしなめていったのである。

「星矢、あなた、今回のことで何も学ばなかったの。暴力や破壊で人の心を従わせることはできないことを、エリスやルシファーが実例を示し教えてくれたでしょう。ここは ハーデスのやり方を見習いなさい」
「ハーデスのやり方?」
アテナの言葉を復唱して反問した星矢に、アテナが分別顔で頷く。
「ええ。ハーデスのやり方。つまり、自分が言うことをきかせたい相手の大事なものを人質に取るのよ」
「氷河の大切なものって、瞬か? 瞬を人質に取れって?」

いったいアテナは何を考えているのか。
あるいは神というものは おしなべて そういう考え方をするようにできているのだろうか。
沙織の とんでもない助言に呆れたのは氷河だけではなかった。
「さすがは神。えげつない。――というか、沙織さんは、ハーデスのやり方を是と認めるんですか。確かに確実で賢いやり方ではあるのかもしれないが」
半ば非難するような口調で問うた紫龍に、悪びれた様子もなく沙織が首肯する。
「目的が正であり、善であり、人を幸福にするものであるなら、私は手段は選ばないわね。そういう細かいことにこだわっていたら、戦うことによって地上の平和を守ろうなんて矛盾したことはできないでしょう」
「なるほど」

紫龍は、沙織のその言葉に異議を唱えるわけにはいかなかった。
とはいえ、それは、沙織の考えを正しいと思うからではない。
そうではなく――敵の卑劣に切れていたとはいえ、彼自身がかつて 某蟹座の黄金聖闘士に、『力が正義というのなら、その力をもって示してみせよう』という超理論で、彼の正義を示すべく昇龍覇を放った過去があったから。
要するに紫龍は、自分が沙織の考えに異議を唱える資格を有していないことを知っていたのである。

「まあ、アテナが そうすることを許すと言っているんだし、やってみる価値はあるかもしれないな。おまえに 瞬を人質に取ることができたらの話だが」
自身の過去の過ちを思い出して開き直ってしまったらしい紫龍が、無責任に星矢をけしかける。
「んなこと、全然 簡単だぜ」
星矢は、実に安直に紫龍に けしかけられた。
そして、今度はアテナ推奨のやり方で、氷河を脅してくる。

「氷河、今すぐ正直に瞬に好きだって言わねーと、俺は瞬を殴るぞ!」
「なに……?」
星矢が何を言ったのか――自分が何を言われたのか、氷河はすぐには理解できなかった。
ただ、『もし 人を脅すという行為に、才能というものが必要なのであるならば、どう考えても 星矢はその才能を1ミリグラムも持ちあわせていない』とだけ、氷河は思った。
「ものすごい脅し文句だな」
言葉の上でなら賞賛にもとれる紫龍の呟きが賛辞でないことは明々白々。
星矢の脅しの あまりの馬鹿馬鹿しさに、氷河は疲労感さえ覚え始めていたのである。

瞬は鉄壁の防御力を誇るアンドロメダ座の聖闘士。
たとえ手許にネビュラチェーンがなくても、瞬の敏捷さはアテナの聖闘士の中でも一、二を争うもので、瞬は、殴ることにしたからといって容易に殴れる相手ではないのだ。
「殴れるものなら殴ってみ――」
『ろ』まで言わなかった氷河は 賢明である。
そして、氷河が『ろ』まで言えなかったのは、途轍もない幸運だったろう。

瞬が氷河を見詰めていた。
氷河が星矢の脅しに どう対応するのかを確かめようとするかのように、瞬は食い入るような瞳で氷河を見詰めていた。
否、瞬は、白鳥座の聖闘士が仲間の脅しに屈することを信じ切っているような目で、氷河をじっと見詰めていた――。

『ろ』まで言ってしまう前に 瞬のその眼差しに気付くことができたおかげで、氷河は考えることができたのである。
万一、星矢が本当に瞬を殴ろうとしたら、瞬はどうするだろうかということを。
瞬は、悪意のない仲間の拳を よけないかもしれない。
よけようとしても、万々が一の確率で、星矢の拳が瞬の身体にヒットしてしまうことがあるかもしれない。
たとえ その可能性が100万分の1以下の確率でも 完全にゼロでないのなら、氷河は星矢の卑劣な脅しに屈するしかなかった。
1億分の1の確率でも、瞬が痛い思いをする可能性があるというのなら。

瞬の脅しに屈して――そして、氷河は瞬に告げたのである。
「瞬、俺はおまえが好きだ」
と。
瞬がすぐに、
「嬉しい」
と答えてくる。
その言葉通り、心から嬉しそうに。

瞬が嬉しいと感じたのは、自分が白鳥座の聖闘士に好かれていることだったのか、1億分の1の可能性を回避すめたるに 氷河が星矢の脅しに屈したことだったのか。
そのどちらでも、瞬の“嬉しい”気持ちに変わりはなかっただろう。
『おまえを好きだ』と告げた男を好きだから――1億分の1の可能性を回避すめたるに星矢の脅しに屈した男が好きだから――瞬は氷河の告白を“嬉しい”と感じてくれたのだ。

目的が正であり、善であり、人を幸福にするものであるなら、手段は選ばなくてもいい――という考え方の是非はともかく、暴力や破壊が 人の心を動かすことができないことは事実だろう。
少なくとも、瞬を“嬉しい”気持ちにさせたのは、氷河の力や強さではなかったのだから。






Fin.






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