恋する英雄






エティオピアは、国の西方に海を臨む美しい国である。
候は1年を通じて暖かく、地味ちみも豊か。
よほど厳しい旱魃かんばつにでもならない限り、農作物は すべての国民に行き渡らせても なお余るほど実り、種類の豊富な海の幸も ふんだんに獲れるので、国民は飢えを知らない。
その上、昔、エティオピア王家の姫であったアンドロメダが大神ゼウスの息子である英雄ペルセウスの妻となっていたため、エティオピア王国は大神ゼウスの加護を受けていた。
更には、アンドロメダ姫の夫ペルセウスが 見る者すべてを石にしてしまうメデューサの首を女神アテナに捧げたことで、戦いの女神アテナの好意も得ている。
その美しさ豊かさと幸運を誰もが羨む幸運な国。
それがエティオピア王国だった。

その美しく豊かなエティオピアに とんでもない災厄が降りかかったのは、エティオピア王国が第32代の若き王を迎えて まもなくのことだった。
突然、神々が、この国の王と国民に最も愛されている者を海魔カイトスに生贄として捧げることを、エティオピア王室に求めてきたのである。
神々に愛されることしか知らなかったエティオピアの王室と国民は、手の平を返したような 神々の神託に驚き戸惑うことになったのだった。

エティオピアでは、10数代前にも『アンドロメダ姫を海獣の生贄に捧げよ』という神託を受けたことはあった。
しかし、その時は、当時のエティオピア王妃カシオペアが、よりにもよって神々を祀る神殿で、『我が娘の美しさは海のニンフネーレイスに勝る』という傲慢な発言をし 神の怒りを買ったという、至極尤もな理由があった。
だが、今回は、なぜ神がエティオピア王室に そんな残酷な神託を下したのか、その理由が誰にも わからなかったのである。
カシオペア王妃の事件以来、エティオピアの代々の王族は、神々を祀る神殿では 神への賛辞と謝辞以外の言葉を口にしないことを家訓とし、その家訓を慎重に守ってきたのだ。
国民も、当然のごとく王族にならってきた。
それゆえ、神が突然 エティオピアへの態度を豹変させた理由に心当たりのある者は、エティオピア国内に ただの一人もいなかったのである。

エティオピアの王と国民にわかっていることは、神々の怒りがエティオピアの国 及び王室に向けられているらしいこと。
海魔カイトスが小さな山ほどの大きさを持つ鯨の化け物であること。
そして、“エティオピアの王と国民に最も愛されている者”が、『すべての人間のみならず、すべての花に愛され、すべての鳥獣に慕われている』という評判をとっている、エティオピア国王のただ一人の血縁である弟君だということ。
それだけだったのである。






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