「どういうことだよ! いったい何がどうなってんだよ! なんで あの二人が あんな……なんで氷河が裸で瞬の部屋にいるんだよ!」 二階の廊下とエトランスホールに下りる階段、そこから更にラウンジに続く廊下。 延べ距離にして90メートルを引きずられ続けても正気を取り戻さなかった星矢が やっと呆然自失状態から回復したのは、彼がラウンジのソファに座らされて10分以上が過ぎてからのこと。 口が利ける状態になった途端に、星矢は その頭の中で渦巻いていた疑問を紫龍に向かって まくしたて始めた。 紫龍が 一つ大きな溜め息を洩らしてから、星矢を落ち着かせるために、沈着かつ平静な口調で 星矢の疑念に答える。 「どういうことも こういうこともない。おまえの見た通りだ」 「見た通りのことが理解できないから訊いてんだよ! あの二人、つい昨日、嫌いだって言い合ってたばかりじゃないか!」 「それはだな……」 なぜ この問題の完全な部外者である自分が 他人の濡れ場の経緯説明をしなければならないのか。 それをするのは、やはり氷河か瞬であるべきではないのか。 その点が どうにも得心できなかったのだが、事態がこうなってしまったのでは致し方ない。 そう考え、観念して、氷河と瞬の今朝に至る事情を 紫龍が星矢に語り始めようとした時だった。 「この粗忽者は、ガキの頃から全く成長していないのかっ!」 氷河が――とりあえず服を着た氷河が――突然ラウンジに飛び込んできて、大声で星矢を怒鳴りつけ始めたのは。 つい昨日までの無口無愛想が嘘のように、支離滅裂にぎゃーぎゃー わめき始めた氷河の言い分を整理すると。 氷河は 瞬とのことを隠すつもりはなく、最初のうちは 星矢の闖入に さほど腹を立ててもいなかったのだが、瞬が 恥ずかしくて仲間に顔を見せられないと言い出し、部屋から出ようとしてくれない。いったい この始末をどう つけてくれるのだ! ――ということらしかった。 「積年の思いが やっと通じて、今日は 陽の光の中で 俺のものになった瞬を見て 悦に入れるだろうと思っていたのに、俺の人生最大の晴れの日の計画が、この粗忽者のせいで すべて ぱあだ! 星矢、貴様、この責任を どうとってくれる!」 「俺のせいかよ!」 「おまえのせいでなかったら、他の誰のせいだというんだ!」 「俺は、嫌いだって言い合ってた おまえらのことを心配して、様子を見にいっただけだ!」 「それが余計な お世話だというんだ!」 「何が余計な お世話だよ! あの瞬に『嫌い』って言われたんだぞ。おまえがショックで寝込むのも当然だと、俺は――」 「常識で考えろ! 瞬が本気で人を嫌うことがあるかどうか! 瞬が誰かを嫌いだと言ったなら、それには全く別の意味があるんだ!」 「別の意味って、どういう意味だよ!」 星矢の“わからなさ”も かなりのものだが、氷河の説明の不親切振りも相当のものである。 紫龍は、星矢と氷河のやりとりの噛み合わなさに、“呆れる”を通り越して いっそ感心してしまいそうになった。 「氷河一人だけを嫌いだというのは、氷河だけは特別だということだ。つまり、瞬は、氷河を好きだと言ったんだ。なぜ、それがわからんのだ」 「わかるわけねーだろ! 昨日『嫌いだ』って言い合ってた二人が、なんで 今朝はすっかり 出来あがってんだよ!」 「だから、『嫌い』というのはだな……」 当事者である氷河がいるというのに、やはり説明役は龍座の聖闘士が務めなければならないらしい。 「聖闘士なんだから、戦いの息が異様に合うことの意味くらい 察したらどうだ、この阿呆!」 自分の言いたいことだけを言って、氷河は完全に 星矢に事情を理解させるための努力を放棄している。 紫龍はあくまで部外者の立場を維持したかったのだが、この二人は仲介者がいないと、永遠に理解し合えないに違いない。 不本意の極みではあったが、紫龍は その作業に取りかからざるを得なかった。 「つまり、氷河と瞬のバトルの息が合うということは――氷河が瞬を、瞬が氷河を いつも見ているということだ。いつも見ているから、その呼吸や攻撃のタイミングやリズムがわかって、息が合う。そして、『見る』という行為は、相手に関心があるから為される行為だ。氷河と瞬は聖闘士なんだぞ。そんなことは言葉で言わなくても五感で感じ取れる。共に戦っていたら、嫌でも相手が自分を好きでいてくれることがわかる。わかりすぎるほど わかっているから、今更『好き』と言う必要も何もない。だから 氷河と瞬は、『嫌い』だと告げることで、自分にとって相手が特別だということを互いに知らせ合ったんだ。瞬が氷河に言った『嫌い』は、すべて『好き』に置き換えてしまっていい」 『好き』は『嫌い』、『嫌い』は『好き』。 『好き』の反意語は『無関心』。 要するに、そういうことなのだ。 が、星矢は そこまで説明されても まだ合点がいかないようだった。 「俺、おまえらと何回も一種に戦ってるけど、おまえらが俺を好きかどうかなんて、全然わかんねーぜ」 いかにも星矢らしい言い分に、紫龍は つい苦笑してしまった。 「おまえは いつも、自分が戦っている敵しか見ていないからな」 「俺がおまえを世界一 粗忽な大間抜け野郎だと思っていることくらい、仮にも聖闘士なら ちゃんと感じ取れ、この大馬鹿野郎が!」 氷河は本当に、自分が言いたいことしか口にしない。 彼は人に自分の事情や気持ちをわかってもらうために努力する気が全くないのだ。 にもかかわらず――必要なことは言わず、事実と違うことだけを口にしていても――『好き』とは言わず、『好き』を『嫌い』と言うようなことをしていても――氷河は、瞬とは わかり合えている。 結局 人間同士の相互理解というものは、真摯に相手を理解しようとする者と 真摯に相手に理解されたい者の二者が揃わなければ、どうあっても成り立たないものなのかもしれなかった。 氷河は、瞬に対してだけは、真摯に相手を見詰め、話を聞き、理解するための努力をし、自分を理解してもらうための努力もできるのだろう。 とりあえず、現況を星矢に理解させようという紫龍の努力(氷河の努力ではない)は、ある程度 実を結んだようだった。 氷河が瞬を好きでいること、瞬が氷河を好きでいること、そして 以前から その事実を龍座の聖闘士が気付いていたことを理解したからこそ生じる疑問を、星矢が紫龍に投げかけてきたところを見ると。 「紫龍、おまえ、一輝に、聖闘士は仲が悪くても戦えるとか何とか言ってなかったか? あれはどういう意味だったんだよ? あの時には おまえはもう、氷河と瞬が好き合ってることに気付いてたんだろ? どういうつもりで あんなこと言ったんだ?」 「ああ、あれは――氷河が子供の頃から瞬を特別視していたことに一輝が気付きかけていたから、一輝を牽制したんだ。氷河が瞬を好きでいることに 一輝が気付いたら、一輝はまあ、十中八九、二人の仲を快く思わないだろうからな。一輝を煙に巻くために、俺は わざと ああ言ったんだ。氷河が瞬を好きでいることは わかりきっていたし、瞬も氷河のことを憎からず思っているようだったからな」 「だからさ……なんで、そんな面倒なことするんだよ。一輝がどう思おうと、んなこと氷河と瞬には 関係ないだろ。氷河も瞬もはっきり『好きだ』って言い合ってくれてれば、俺だって あんなとこに飛び込んでいったりせずに済んだのに……!」 「そこが 微妙な恋の機微というやつでな……」 それを星矢にわかれというのは無理があると、実は紫龍は思っていた。 そもそも、星矢が今になって そんなものをわかっても、すべては後の祭りなのだ。 「まあ、今更そんなことを あれこれ言っても どうにもなるまい。星矢に悪気はなかったんだし――」 さすがに これ以上 星矢を責めるのは酷というものだろうと考え、紫龍は、氷河と星矢の執り成しに取りかかったのでる。 しかし、氷河は 星矢への攻撃の手を緩めようとはしなかった。 「悪気がなかったで済むか! 俺の瞬はデリケートなんだ。このまま岩戸籠もりを続けて、戦うこともできなくなったら、貴様の粗忽のせいだぞ! 瞬という戦力が失われたことで、地上の平和と安寧が破られたら、貴様、どう責任を取るつもりだ!」 「それも俺のせいにするのかよ!」 まさか瞬が本当に岩戸籠もりを続け、戦列から離脱するはずがない。 どう考えても、それは言いがかり――むしろ いじめである。 「氷河、いくら何でも それは――」 『それは言いすぎだろう』と言いかけた言葉を 紫龍が途中でやめたのは、本気で腹を立てているにしては、氷河の声が妙に弾んでいることに気付いたからだった。 実際 氷河の声は全く重苦しくなく、むしろ軽快で、晴れやかでさえあった。 “たった一人いればいい 好きな人”やっと自分のものにした氷河は、瞬のため、二人のために、星矢をなじり いじめられることが嬉しくてならないらしい。 氷河は星矢を怒鳴りつけながら、ひどく楽しそうだった。 その瞳が明るく輝いている。 おそらく氷河は、本当はいつも 瞬のために戦いたかったに違いない。 “たった一人の好きな人”のために生き、戦える自分でいたかったに違いない。 紫龍はその事実に気付いて、余計な口をはさむのをやめたのである。 氷河から その楽しみを奪うのは不粋というもの。 ならば、ここは星矢に 仲間の恋の機微の犠牲になってもらうしかない。 どうせ、星矢は その程度のことでは へこたれないだろう。 紫龍はそう判断し、この件に関しては 以後 完全不干渉を貫くことを決意したのだった。 情より義のために生きる男、ドラゴン紫龍。 彼は 実は アテナの聖闘士の中で最もクールな男なのかもしれなかった。 Fin.
|