そんなふうにして16年。
瞬王子の16歳の誕生日が あと数日後に迫ったある日のこと。
この頃には、エティオピアの王様と お后様は既に瞬王子はアルマク伴星の妖精の呪いから逃れられるものと楽観視して、美しく育った瞬王子を国民の前にお披露目する時のことばかり考えて、うきうきしていました。
けれど、『百里の道を行く者は、九十里をもって半ばとせよ』と 昔の人が言った通り、物事は詰めが肝心。油断大敵。
でも、『大人のくせに そんなこともわからないのか』と、王様たちに呆れたりしてはいけませんよ。
王様とお后様が そんなふうに楽観的な お二人だったからこそ、エティオピアは つらく苦しい呪いの16年間を陰鬱にならずに前向きに耐えてこれたのです。
とはいえ、この手の時限付きの呪いは、あと一歩で期限切れという時に降りかかってくるのがお約束。
王様とお后様は、やはり油断すべきではありませんでしたね。

その日、瞬王子は、侍女の一人に『瞬王子様は 白い花のようです』と言われ、ずっと その言葉が気にかかっていました。
瞬王子は、花というものがどんなものなかを知らなかったのです。
瞬王子の館では、お陽様を連想させるものは極力 瞬王子の目に触れさせないようにしていました。
お陽様の光で育ち、お陽様の光を浴びて花を開かせる植物の類も、瞬王子に見せてはならないものの一つだったのです。

いつものように瞬王子に会いにやってきたお兄様の一輝王子に、瞬王子は、
「花というのは どんなものなの?」
と尋ねてみました。
「変なものなの? お部屋の掃除をしてくれる侍女が、僕を白い花のようだと言ったの」
不安そうに尋ねてくる瞬王子を見て、一輝王子は胸が詰まりました。
白い花がどんなものなのか、そんなことは2歳になったばかりの子供だって知っていること。
なのに、理不尽な呪いのせいで、瞬王子は、瞬王子に似ている白い可憐な花がどんなものなのかすら知らないのです。
一輝王子は、可愛い瞬王子の不安を取り除いてやりたいと思いました。
ですから、本当は禁じられていたのですけれど、鉢に植えられた白いバラの花を、内緒で瞬王子の館の中に持ち込んだのです。

「わあ、なんて綺麗。兄さん、ありがとう!」
生まれて初めて見る純白のバラの花。
瞬王子は、瞳を輝かせて、お兄様に お礼を言いました。
「こんな花は、この館の外に いくらでも咲いている。もう少しすれば、好きなだけ見られるようになる。もうしばらくの辛抱だ」
「うん。でも、きっと、この花より綺麗な花はどこにもないよ。僕が生まれて初めて見た花だし、兄さんが僕のために持ってきてくれた花なんだもの」
もうしばらくの辛抱。
この綺麗な花を眺めているうちに、『もうしばらく』なんて あっという間に過ぎてしまうでしょう。
よい香りのする純白の花を見詰めながら、瞬王子は そう思いました。

ところが。
お兄様にもらった 綺麗な白い花は、半日も経たないうちに 力なく しおれてきてしまったのです。
ビロードのように つややかだった花びらは 今にも くたりと倒れそう、みずみずしかった葉っぱも 今ではかさかさに乾いたライ麦パンのよう。
いったい、これはどうしたことでしょう。
花の元気のない様子を見て、瞬王子は、きっと自分が花によくないことをしてしまったのだと思いました。
せっかく王様たちに内緒で持ってきた花の変わり果てた姿を見たら、一輝王子は悲しむに違いありません。
瞬王子は、優しいお兄様を悲しませることだけは絶対にしたくありませんでした。
ですから、瞬王子は慌てて 花について知っている人を探したのです。

いつもは必ず5、6人の侍女が控えている瞬王子の館。
けれど、どういうわけか、その時 館の中にいたのは一人のおばあさんだけでした。
青緑色の帯で留めた灰色のドレスを着ているおばあさんは、瞬王子が初めて見る顔。
そのおばあさんは、瞬王子が抱えている鉢植えのバラを見ると、大仰に顔をしかめて言いました。
「花っていうのは、お陽様の光を浴びないと生きていられないものなんだよ。今すぐ、お陽様の光を浴びさせてやらないと、その花は死んでしまうよ」
「死んでしまう? つい昨日まであんなに綺麗だったのに……」
「お陽様の光を知らないのに綺麗でいられるのは、瞬王子、あんたくらいのもんだよ。ほら、急いで急いで。急がないと、あんたのせいで この花は死んじまう」
「そ……それはだめ……!」

瞬王子は、お兄様にもらった花を死なせたくありませんでした。
ですから、白いバラの花に何とかして お陽様の光を浴びさせたいと思いました。
けれど、この館から外に出る扉は三重になっていて、その鍵は瞬王子の手許にはありません。
扉を開けて陽の光がある外に出ることは、瞬王子にはできないのです。
ですから、瞬王子は、館の塔の上の小部屋に急いだのです。
瞬王子が知っている、外につながる場所はそこだけでしたから。
塔の小部屋は、木の覆いで窓が塞がれているせいで真っ暗でした。
瞬王子は、バラの鉢を持って、塔の部屋の壁沿いに窓の側に近付いていったのです。

瞬王子の計画は こうでした。
自分は壁が作る影の中にいて、目を閉じて、窓を塞いでいる木の覆いを 棒を使って窓から外す。
その後、バラの鉢を載せたテーブルを窓の前に押しやって、バラの花にお陽様の光を浴びさせる。
そうすれば、瞬王子は お陽様の光を浴びず、お陽様の光を見ることなく、バラの命を守ることができるはずでした。
でも、なかなかうまくいきません。
お陽様の光を浴びないように注意しながら、お陽様の光を見ないように目を閉じたままで、それをするのはとても難しいことだったのです。

「おや、窓の覆いは何とか外せたんだね。でも鉢の載ったテーブルは もう少し 光の中に押し出してやらないと駄目だよ。もっと前、もっと前だよ。ああ、本当に不器用な王子様だね」
『私は年寄りだから塔の上までは とても登れない』と言っていたおばあさんが、いつのまにか塔の長い階段を登ってきてくれたようです。
その声に従って、瞬王子は一生懸命 バラの鉢を載せたテーブルを前の方に押しました。
テーブルは確かに窓の前に移動できているはずなのですが、小さな窓から射し込む お陽様の光は なかなかバラの鉢に当たらないらしく、おばあさんは、
「もっと右、もっと右。ああ、駄目だよ、それじゃあ 行きすぎだ」
と瞬王子に指図してきます。
目を閉じたまま、瞬王子は おばあさんの指示に必死に従いました。

固く目を閉じている瞬王子は気付いていなかったのです。
バラの命を守るためにテーブルを押したり引いたりしているうちに お陽様が傾いて、窓から射し込むお陽様の光が 瞬王子のいる方に伸びてきていることに。
気付きようもありませんでした。
そもそも瞬王子は、太陽が時間の経過によって 光の向きを変えることを知らなかったのです。

何か暖かいものに包まれている――。
瞬王子が そう思った時には既に、アルマク伴星の妖精の呪いは成就してしまっていました。
そして、塔の小部屋に響く甲高い笑い声。
「ははははは。花の一つや二つ、枯れようが死のうが 放っておけばよかったのに。あんたは本当に不幸な王子様だよ。16年間の用心と苦労が、たった一輪のバラの花のせいで ぱあだ。あんたは その愚かで優しい心のせいで、家族やエティオピアの国民を悲しませるんだ。こんな不幸なことがあるかね」
アンドロメダ座のアルマク伴星の妖精の呪いが成就されて喜ぶ人を、瞬王子は ただ一人しか知りませんでした。
そう。親切なおばあさんと思っていた人は、実はアルマク伴星の妖精その人だったのです。

瞬王子は、恐る恐る目を開けてみました。
あのおばあさんは もうそこにはいませんでした。
いても、瞬王子は、しばらく そのことに気付くことはなかったでしょう。
瞬王子の目と心は、他のものに奪われてしまっていましたから。
初めて浴びる お陽様の光は、とても暖かでした。
初めて見る お陽様の光は、とても綺麗でした。
お陽様の光の あまりの眩しさ、美しさ、暖かさに、瞬王子は うっとり。
親切で意地悪なおばあさんのことも、『大変な災難に見舞われ不幸になる』という呪いのことも すっかり忘れ、瞬王子は ただうっとりと 光の中に立ち尽くしていたのです。






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