「新入りだ。ロシアから来た」
城戸邸に集められていた子供たちに、辰巳はそれしか言わなかった。
“新入り”の名前も歳も、なぜ彼がロシアから 日本に来ることになったのかさえ説明しない。
もっとも、その場にいた子供たちは、その時ばかりは辰巳の不親切に気付いてもいなかったが。
金色の髪。青い瞳。
彼等は、毛色の違う新入りの姿に戸惑っていた。

そこで その新入りが殊勝に『よろしく お願いします』の一言でも口にしていたら 状況は変わっていたかもしれないが、注目の新人は 唇を きつく引き結んで、彼の目の前に居並んでいる彼と同年代の子供たちを挑戦的な目でにらんでいるばかり。
少なくとも新入りの その態度と表情は、自分と同じ境遇にあるらしい者たちと親しむことを考えている気配は全く感じられないものだった。
それでなくても 言葉が通じるかどうか わからない異邦人に 非友好的な態度を示された子供たちが、積極的に彼を受け入れようという気になれるはずがない。
子供たちの鍛錬場になっているジムを辰巳が立ち去ったあとも、毛色の違う新入りに 自分から近付いていこうとする子供は、その場に一人もいなかった。

瞬も、最初は、到底 親しみやすいとは言い難い新参者を遠巻きに見詰めている子供の一人だったのである。
が、瞬は決して、その新しい仲間に全く興味がないわけではなかったらしい。
「ロシアってどこにあるの? どんなところ?」
兄の陰から 恐る恐る顔を覗かせ、瞬は仲間たちに尋ねてきた。
日本ここよりずっと北の方にある国だ」
「遠いところ?」
「近くはない」
紫龍の答えを聞いた瞬が、それでなくても不安そうだった眉を 更に不安そうに曇らせる。
「一人で来たのかな」
「だろうな」
親と海外旅行をするような子供が ここに連れられてくるわけがない。
ここに連れてこられるのは、最低限の衣食住だけでなく より良い生活環境を子供に与えてやりたいと考える親のいない子供たちばかりだった。

「知らない国で、一人ぽっちで……きっと 不安でいるよね……」
「ん?」
瞬の声は いつのまにか、未知の人物への恐れや怯えより、たった一人で見知らぬ国にやってきた新入りへの同情心が勝ったものに変わっていた。
その変化を見てとると(聞いてとると)、紫龍は、渡らなければならない川の岸で、タイミングよく漕ぎ寄せてくる舟に出会った人間のような顔になったのである。

「ああ、奴の世話係は瞬が適任かもしれんな。一輝あたりが近付いていったら、ガイジンの新入りに 日本は恐いところだという固定観念ができてしまって、これからの生活に支障をきたすことになるかもしれん」
「それは どういう意味だ」
瞬の兄が、じろりと紫龍を睨みつける。
その目つきの凶悪さに、紫龍は 自分の考えが正しいことに いよいよ自信を持つことになったのだった。
「おまえの弟は、兄に似ず、人懐こくて可愛いと褒めたんだ。奴も 瞬になら警戒心を抱くことはないだろう」
そう言うなり、瞬の兄に反対させる隙を与えないために、紫龍は迅速に行動を起こした。
瞬に向き直り、彼がすべきことを指示する。

「瞬。とりあえず、奴が日本語を喋れるのかどうかを確認してきてくれ。全く駄目なら、日本語の学習から始めなければならないし、たった一人で見知らぬ国に連れてこられた不安と緊張で口をきけずにいるだけなのなら、俺たちは その不安を取り除いてやらなければならないだろう。いずれにしても、奴はここで生きていくしかないんだ。俺たちは、その手助けをしてやらなければならん。これは人助けだ」
「う……うん!」
いつも兄の陰に隠れてばかりいる瞬が、いつになく毅然とした表情で 未知の人物に近付いていく仕事を引き受けたのは、それが人助けだと言われたからだったろう。
『それは おまえの権利だ』と言われても尻込みする瞬は、『それは、おまえが成し遂げなければならない義務だ』と言われれば 積極的に行動する。
『おまえのため』と言われても逃げ腰になる瞬は、自分以外の誰かのためと言われれば、恐れを感じなくなるのだ。
ともかく そういう経緯で、瞬は いつのまにか、異国からやってきた新人の日本適応化対応の担当者にされてしまったのだった。






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