「元はといえば、柿の種なんだ。……多分」
と、星矢は言った。
城戸邸の庭には、正門から車寄せまで続く車両用道路が西側と東側に1本ずつ通っている。
数日前から土木事業者が入って その道路の整備作業を始めていた。
それまでアスファルト舗装だった その道をコンクリートの道に変えることになったらしく、土木作業員たちは ここ数日 旧道の撤去にいそしんでいたのだが、その作業も ほぼ完了し、昨日がちょうど 新道整備作業開始初日。
破壊も好きだが、建設的なことも嫌いではない星矢は その見物に出掛け、道幅に作られた型に流し込まれたばかりの生コンクリートに――つまり、固まる前のコンクリートに――手にしていた柿の種を7盛大にぶちまけてしまった――のだそうだった。
固まりかけている生コンクリートに手を突っ込んで 悠長に柿の種を拾うわけにもいかず、柿の種はどうせコンクリートの中に沈んでしまうだろうと安易に考えて、星矢は無責任にも固まりかけていた生コンクリートの上にばらまかれた柿の種を そのまま放置した。
生コンクリートと柿の種の比重を全く考慮していなかったのは、星矢痛恨のミスだったろう。
かくして出来あがったコンクリートの道は、見事に柿の種模様の道路になった。
そして、結局 コンクリートは打ち直しをすることになってしまったのである。

「辰巳の奴、かんかんになって雷を落としてくるからさ。俺は、コンクリートじゃなくアスファルト道にしとけば こんなことにはならなかったのにって文句言ったんだ。なのに辰巳の奴、耐久性とかヒートアイランド現象の回避を考えて、コンクリート道に変えることにしたんだとか何とか、言い訳しやがって」
それは言い訳ではないだろう――と、星矢の仲間たちは思っていた。
彼等があえて その意見を口にしなかったのは、それでなくても一向に金木犀に到達しない星矢の説明を 更に脇道に逸らすのは利口なやり方ではないと考えたからだった。
代わりに、氷河が、
「おまえの話は、いつ金木犀のある場所に行き着くんだ」
と質問する。
星矢は、
「もう行き着いてるよ」
と、口答え(?)してきた。

「金木犀だっけ? あれ、夏の終わり頃に、これでもかってくらい大量の花をつけて、今はほとんど散ってるじゃん。あの木の下は、花の残骸で すっかりオレンジ色になっちまってる。辰巳が、柿の種 拾わなかった罰に、今日中に あの大量の花を全部集めて始末しろって、俺に偉そうに命令しやがって――。ほんと、冗談じゃねーぞ。俺が落とした柿の種は せいぜい100粒かそこいらだ。あの花は その100倍も1000倍もあるじゃねーか。そりゃ、少しは俺も悪かったかもしれねーけどさ!」
「少しは? 全面的に おまえだけが悪いだろう。辰巳とおまえのどっちかの味方につけと言われたら、俺でも辰巳の味方につく」

落下物の数の違いを根拠に、星矢は 辰巳が彼に下した罰を不当だと主張する。
落下物の影響の大小を考えていない星矢に、氷河はすっかり呆れてしまった。
散った花は、そのまま放置しておいても土に還るだけだが、柿の種は道路の作り直しという多大な二度手間を生むのだ。
しかし、星矢は あくまでも数に固執し、大人しく罪に服すべきだと主張する氷河に不満顔を向けた。
「なんだよ。友だち甲斐がねーなー」
「友だちでも仲間でも 悪さは悪さ、罪は罪だ」
「何が罪だよ。こういう時だけクールになりやがって。おまえ、そういうの、人に嫌われるぞ」
「こういう時だけ?」
氷河が ぴくりと こめかみを引きつらせる。
氷河と星矢の間の空気が――つまり、ラウンジ全体の空気が――険悪になるのを感じた瞬は、慌てて二人の執り成しに努めることになった。

「でも、星矢、秋の枯葉のお掃除は好きじゃない。去年も何度も一緒にやったよね。そんなに嫌がらなくても――」
「枯葉の掃除は好きだぜ。集めた葉っぱで焼き芋焼けるからな。でも、花の残骸は役に立たないだろ。特にあの花は匂いがきつくて、あの花で焼き芋 焼いても、食えるもんができあがるとは思えない。あんな匂いのする焼き芋なんて、想像しただけで げんなりしちまう」
「それはそうだけど……」
花の芳香のする焼き芋。
それは香水の匂いのきつい人と食事を共にしたくないのと同じ理屈で、確かにあまり愉快な代物ではない。
どれほど いい匂いでも――匂いには匂いのTPOというものがあるのだ。

「とにかく、そういうわけで、飯抜きの罰よりは花掃除の方がましだと思って、辰巳に言われた通り、俺は今朝方、あの木のとこに行って掃除を始めたんだ。花なんて 何の役にも立たねーとか何とか ぶつぶつ文句言いながら庭箒で花をかき集めてたんだけど、そしたら、どこからか 見たことねーじーちゃんが現われてさ」
ふいに どこからか現われた その見知らぬ老人は、そして、
『朝から 掃除とは感心だ。私がご褒美をあげよう』
と、星矢に言ってきたのだそうだった。

「見たことのない おじいさん?」
そのご老体が、星矢に災厄をもたらした犯人なのだろうか。
僅かに首をかしげた瞬に、星矢は 溜め息混じりに頷いた。
「今にして思えば、そこでおかしいって気付いて、じーちゃんの相手なんかせずに とんずらこけばよかったんだけどさ」
「まったくだ。この城戸邸の厳重なセキュリティシステムをかいくぐって庭に入り込める人物が、普通の人間であるはずがない」
「それを奇妙だと思わない奴も、普通の人間ではないな」
星矢のぼやきに、紫龍と氷河が嫌味の追い打ちをかける。
が、彼等の辛辣に慣れている星矢は、その嫌味をきっちり聞き流した。
涼しい顔で、事実の報告を続ける。

「もともと あれは罰掃除で 嫌々やってたんだし、俺、別に ご褒美なんか欲しくもなかったからさ。この鬱陶しい花の残骸を全部 葉っぱにしてくれたら助かるなーって、冗談で言ったんだよ。そしたら、じーちゃん、そういうことはできないって。ま、そりゃそうだよな。んだから、俺、じゃあ、何ができるんだって訊いたわけ。そしたらさー」
その老人は、
『特定の人間に好かれる まじないをかけてやれる。それとは逆に、特定の人間に避けられる まじないもかけてやれる。女の子にもてるようになる おまじないなんかどうだ?』
と、真顔で答えてきた。
そして、その返答を聞いた星矢は、
『んな オマジナイなんかいらねーよ。何だよ、じーちゃん、この花とおんなじで、役に立たねーことしかできねーなー』
と応じたのだそうだった。

「女の子に 好かれる おまじないとか、恋の叶う おまじないとか、普通は喜ぶものじゃないの?」
紫龍や氷河のそれと同じように、瞬のそれもまた、(自覚はないにしても)星矢が普通ではないのではないかという疑念を呈する発言だった。
星矢が その発言を聞き流さなかったのは、氷河たちのそれと違って、瞬の言葉が嫌味に聞こえなかったたらだったろう。
星矢は、瞬の言に一度 頷き、そうしてから首を横に振った。
「あのじーちゃんもそう言ってた。でも、そりゃ、偏見っつーか、相手を見て言えっつーか……。そういうオマジナイって、愛だの恋だのアイドルだのに うつつをぬかしてる そこいらの女の子なら きゃーきゃー喜ぶのかもしれねーけどさー」

それも一種の偏見なのではないかと 瞬は思い、だが、思ったことを言葉にはしなかった。
もちろん、星矢の事実報告が脇道に逸れることを未然に防ぐために。
瞬の その判断と対応は適切なものだったろう。
おかげで、柿の種から始まった星矢の話は、ついに 彼が仲間たちの具合いを悪くするに至った原因に行き着いたのだから。
それは、星矢が謎のご老体に告げた、
『あ、そうだ。人に好かれたり避けられたりするオマジナイをかけれるんならさ、俺に 強い敵だけが寄ってくるようにしてくれよ』
という言葉だった(らしい)。

ご老体は、親切にも、
『強い敵? そんなことをして何になるんだ? 私は、君を、好きなタイプの女の子だけが寄ってきて、好みでない子は寄ってこないようにしてやることができるんだよ。その方がいいだろう? 私の力は そういう使い方をする力なんだ』
と、星矢に忠告してくれたらしいのだが、星矢は、
『俺、特に好きな子もいねーし、もともと女なんて寄ってこねーし。それより、俺、弱い敵に群がられるのが嫌なんだよな。なんて言うか、こう、30センチしか高さのないハードルで障害走してるみたいな空しさっていうか、無意味っつーか、そういうのを感じるわけ。俺は、俺が戦うにふさわしい強い敵だけと戦いたいんだ!』
と言って、彼の親切を一蹴したのだそうだった。

「星矢……。ほんとに そんなこと言ったの? 強い敵だけが自分の側に寄ってくるようにって?」
星矢が 女の子より敵とのバトルの方に関心があるなら、それはそれでいい。
だが、星矢はなぜ、せめて『強い男だけが寄ってくるようにしてくれ』と言わなかったのか。
なぜ『強い敵だけが寄ってくるようにしてくれ』と願ってしまったのか。
瞬は、極めて軽率な、だが 極めて重大な星矢の言葉の選択ミスを咎めたのだが、星矢は自分が瞬に咎められていることに気付かなかったようだった。
単に事実の確認を求められた人間の顔をして、星矢は気楽に瞬に首肯した。
「じーちゃん、すげー機嫌悪そうな顔になってさ、でも、願いを叶えてやるって言ったんだ。んで、俺に妙なオレンジ色の粉をかけて、口ん中で 何か もごもご言って、どっかに消えてった」

「どこに消えたか、見てなかったの」
「見てたよ。その場で――俺の目の前で、ぱっと消えたんだ」
「……」
普通の人間には入り込めないはずの庭にいた謎のご老体は、その消え方も普通ではなかったらしい。
どう考えても普通ではない出来事の報告をし終えた星矢は、だが、彼が願った願い事が持つ大きな問題を今ひとつ明確に自覚できていないようだった。
「でも、別に それで何が変わったわけでもねーし、じーちゃんのオマジナイに ほんとに効力があるのかどうかは敵襲がなきゃわかんねーだろ。俺、白昼夢でも見たのかなーって思って、適当に花掃除して、うちん中に戻ってきたわけ。俺としてはさ、朝から茹だったタコに偉そうに文句は言われるわ、訳のわからねー白昼夢は見るわで、やな気分だったから、おまえの顔でも見て和もうと思ってたのに、そのおまえが俺の顔 見るなり 悲鳴あげて逃げ出すし……。もう踏んだり蹴ったりだぜ!」
「僕、悲鳴をあげたりなんか……」
それでなくても部屋の隅に逃げ込んで身体を縮こまらせていた瞬が、星矢の恨み節を聞かされて、更に身体を小さくする。
そんな瞬の様子を見て、星矢と瞬の間に立ちはだかったのは、言わずと知れた白鳥座の聖闘士 キグナス氷河だった。

人の作ったセキュリティシステムをかいくぐり、城戸邸内に入り込んだ不審人物。
しかも、その人物は、星矢の仲間たちを彼に近付けなくすることで、アテナの聖闘士たちが一丸となって戦うことを不可能にした。
自分は、おそらく アテナに敵対する神である可能性を有する人物の話を聞くことになるのだろう。
そう考えて身構え始めていたところに語られたのは、どう考えても ただのメルヘン。恋の おまじない話。
氷河は思い切り 気勢を殺がれ、拍子抜けし――星矢の緊張感のないメルヘン報告によって殺がれた気勢と抜けた拍子は、今や 彼の中で怒りに変わりつつあった。






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