Love Checker






「あなたたちを、グラードのラボで開発した製品のモルモットにしたいのだけど、いいかしら?」
グラード財団総帥・城戸沙織が、その手のことで 彼女の聖闘士たちに事前に許可を求めてくるのは珍しいことだった。
彼女が、グラード財団の関連企業や研究所で開発された試作品を彼女の聖闘士たちで試すことは これまでにも幾度もあったのだが、モルモットにされた者たちが その事実を知らされるのは、事後であることが格段に多かったのだ。

おかげで、星矢たちは、新しく開発された炭酸の入っていない炭酸飲料もどき、体内に蓄積された静電気を吸収して保温期間が格段にのびた“半永久的に使える使い捨てカイロ”、人工知能が適切な高さを自動的に調節するライティングデスクと椅子等、様々な試作品の犠牲になってきた――もとい、それらの製品の不備不具合いを数多く発見してきた。
従来品との違いに気付くかどうか、自然なサービス提供が為されるかどうか等の確認をするために、事前告知をするわけにはいかないのだと沙織は言うのだが、それで3時間も げっぷが止まらなくなったり、逆流した静電気のせいでドアノブを爆破しかけるのは御免被りたいというのが、アテナの聖闘士たちの偽らざる本心だったのである。
新しく開発された製品というものは、従来品との違いを承知していた方がうまく使えるものだ――というのが。
沙織は、星矢たちの訴えを聞くだけは聞き、『善処するわ』と答えるのが常だったが、実際に“善処”されたことは、これまで ただの一度もなかった。

「事前告知なんて、珍しいですね。先入観があっても効用に変化が生じない種類の製品なんですか」
沙織の手の中にあるものを気にしながら、瞬が彼の女神に尋ねる。
それは、黒い携帯電話のようなものだった。
ただし、今より10年ほど時を遡った時代の。
武骨で厚みがあり、軽くもないようで、3つ折りにできる形態、小さな液晶画面が少なくとも3つは ついている、いかにも怪しげなもの。

「そういうわけではないの。ただ、事前に知らせて了承をとっておかないと、あなた方の人権を侵害することになりかねない製品なのよ」
「人権侵害? この間の自動体型測定装置みたいなものですか?」
沙織に そう尋ねてしまってから、数ヶ月前に 自動体型測定装置で被った迷惑を思い出し、瞬は眉を曇らせた。
それは、一見したところ ごく普通のタイルカーペットもしくはマットのようなものだった。
その上に立った者の体重身長体脂肪率を勝手に・・・測って、その値に問題があると、人工音声が『太りすぎです』『痩せすぎです』『体脂肪率に問題があります』等の忠告をしてくれる、“小さな親切、大きな お世話”な製品。
測定器としては実に高性能・精緻なものだったのだが、沙織はそれを健康器具としてではなく、玩具雑貨として売り出すことを考えていたらしい。
アテナの聖闘士たちが 溜まり場にしているラウンジのドアの前に問題のマットを敷き、彼女は、彼女の聖闘士たちが入退室の際、必ずその上を通ることを強要した。
おかげで瞬は、そのマットに足を置くたび、『痩せすぎです。あと5キロ太りましょう』を繰り返され、うんざりする羽目に陥ったのだ。
そのマットは 瞬の仲間たちには無反応で、被害が瞬にだけ集中したのも、瞬を落ち込ませた。

「各家庭に健康管理のために置くのもいいけど、パーティ会場なんかの入り口に置いてみたら受けると思うのよ」
と沙織は言っていたが、『勝手に体重や体脂肪率を測り、その結果を他人に聞こえるように報告する行為は人権侵害』『そもそも標準内数値が各人のベストの数値とは限らない』『忠告が必要な人間ほど不快を覚える製品だ』という評価をつけて、瞬は沙織に丁重に該当製品を引き取ってもらったのである。
沙織は結局 その試作品の商品化は断念したのだが、そのマットは今もグラード財団本部ビルの総帥室の扉の前で活躍を続けているという話だった。

あの自動体型測定装置を人権侵害装置と思わなかった沙織が、人権侵害を懸念しているのだから、今度の試作品は あれ以上に不愉快なもの――ということになる。
瞬は思いきり その心身を緊張させた。
そんなに瞬に、沙織が にこやかな笑みを向けてくる。
「あれより、ちょっとだけ厄介なものなの。人間の体格だけでなく人格をも数値化してしまう製品だから」
「人格を数値化 !? 」
瞬が瞳を見開いたのは、沙織の言う“厄介なもの”の厄介さに驚いたからではなかった。
瞬はむしろ、そんな厄介なことが本当に実現できることなのかどうかを疑ったのである。
試作品の段階であるにしても実現できたから、沙織はそんな話を持ち出したのではあろうが。

「人格というより、一人の人間を丸々数値化するもの――と言うべきかしら。身体、精神、感情――すべてを数値化して、総合判断を下す機械なの」
「ど……どうやってです」
問い返す瞬の声は、僅かに震えていた。
一人の人間を丸々数値化する。
それは、勝手に体重を測ることとは桁違いに危険な行為である。
『あなたは100点満点中 32点の人間です』と言われて喜ぶ人間はまずいない。
『90点です』と言われても喜ぶ人間ばかりではないだろう。
そう、瞬は思った。
問題は、数字の多少ではない。
それが0でも100でも、具体的な数値で自分という一人の人間が 他者の決めた基準にのっとって評価されること――そのこと自体が問題なのである。
人間は、自分を理解してほしいと他人に望みながら、完全に理解されてしまうこと、見透かされてしまうことを侮辱と感じる生き物なのだ。

瞬にその測定方法を問われた沙織が、先程から瞬が気にしていた 古き良き時代の(?)携帯電話もどきを彼女の聖闘士たちの前に指示してくる。
やはり それが“厄介なもの”だったらしい。
「それは、もちろん、すべてのことを測定して、公平かつ客観的な測定値から算出するのよ。この携帯電話もどきの先端には核磁気共鳴測定器やX線CT測定器がついていて、測定したい人間に向けると、身長体重はもちろん、筋肉量や骨量、その質から総合体力を割り出すことができるの。そして、脳波、測定時 分泌されている脳内物質、体温、発汗量等を測って精神状態、感情のありようまで数値化できるわ。2メートル以内なら、直接の接触も不要。測定対象の人間の その時点での肉体と精神の総合値が算出されるというわけ」

「精神状態や感情を数値化とは――。そんなことが可能なんですか」
最先端の技術に興味がないわけではないが。数値化できない(とされている)義や情こそを人生の指針にしている紫龍が、不快そうに沙織を問い質す。
沙織は、至極あっさりと頷いてみせた。
「脳内物質の種類や量によって、その人が興奮しているか冷静でいるか、陽気な気分でいるか陰気な気分でいるか等のことは容易に判断できるわ。人間の脳はとても敏感で、明瞭で、たとえば『悲しい』『不幸』なんていう文字を見ただけでも脳の扁桃体の活動は活発になるのよ。人間の感情というものは、意外に数値化しやすいものなの。これは、元々は 鬱病等の感情障害対応のための研究だったのだけど――鬱状態や感情障害に陥っている人間より、感情的暴力的になっている人間を感知する方が容易で、犯罪抑止にも役立つのではないかという発想の転換から生まれた製品。鬱で気持ちが内に向かっている人間より、躁で外向的になっている間の方が、それとわかりやすいのは道理でしょ」

「犯罪抑止――つまり、暴力的犯罪を犯す可能性の高い人間を探し出すことのできる機械というわけですか?」
それは、善良な市民には有益なものであるかもしれない。
だが、同時にそれは、善良な市民であろうとしている人間に犯罪者予備軍というレッテルを貼ることにもなりかねない危険なツールである。
アテナの聖闘士たちには、それは、明るい気持ちで聞いていられる話ではなかった。

「ええ。遺伝子情報や学歴、犯罪歴等の情報が加味されれば、より正確な判断ができるわ。アルコール検知器みたいなものよ。ただし、この機械が測定するのは、アルコールではなくて犯罪係数とでもいうべきもの。知能犯より、暴力による犯罪を犯す可能性が高い人間を探知するのに特に有効ね。もっとも、計画性に富んだ知能犯は、表面は穏やかに見えていても脳内は興奮していることが多いから、この測定器から逃れることはできないでしょうけど」
「……」
沙織は、知恵と計画性に優れた知能犯のように、穏やかで にこやかな微笑を前面に押し出して、危険極まりないことを言う。
彼女には、悪気はない。
彼女に悪気がないことも、彼女が深く人間を愛していることも、彼女の聖闘士たちは知っていた。
だが、アテナの聖闘士たちは、彼女が人間の倫理道徳を超越した冷徹な女神であることも知っていたのだ。
なにしろ、彼女は、『人間が 人を思い遣ることをせず、愛し合うことを知らない存在であるなら、そんなものは滅んでもいい』と断言する女神なのである。

「直接 触れなくても測定できる――って、それはつまり、無許可で勝手に 特定の人の犯罪者になる可能性を数値化できるってことですよね? そんなものを市販したら、人権侵害の非難を受けるに決まっているじゃないですか」
「ええ。だから、こうして事前告知しているわけ」
悪びれた様子もなく にっこり笑う沙織が恐い。
だが、瞬は、彼女に食い下がった。
「で……でも、誰がそんなものを必要とするんです」
「需要はいくらでもあるでしょう。腕力のある人間が興奮して凶暴性を帯びていたら、その人間が ちょっとした刺激に触発されて、犯罪を犯す可能性は高い。その可能性が現実のものとなる前に感知できるのよ。個人の護身用としてはもちろん、警察や入国管理局、不特定多数の人間が集合する場所の警備の際にも役立つし、企業で雇用しようとしている社員や、結婚しようとしている相手の暴力因子を確認できたら、不幸な未来を事前に防ぐこともできるかもしれないわね」

「警察に、結婚相手の見極め?」
また随分と 質もレベルも異なる需要である。
だが、確かに、あくまでも参考データとして、あるいは用心のために、この危険な道具を『あれば欲しい』と思う人間は多いのかもしれなかった。
あくまでも、他者の犯罪係数を知るために。
自分が他者に測定されるためにではなく。
「人権のことを考慮すれば、もちろん 今のところ、この機械の使用は 測定を事前に告知できる場合のみに限られるわ。たとえば、VIPの警備に当たっているSPとかなら、測定を拒む人間にVIPへの接近を許さないという対応をとる権利があるでしょう」
「……」

確かに、そういう使い方なら、もしかしたら許されることもあるかもしれない。
だが、たとえば、それが、出がけに奥方と喧嘩をして気が立っている武術経験者の我が国の大臣だったりしたらどうするのか。
大臣は、自身の犯罪係数の高さについて、奥方との喧嘩の経緯をSPに弁解する羽目に陥るのだろうか。
事実を告げないために嘘をつき、そうすることによって犯罪係数を更に上昇させてしまうことにはならないだろうか。
様々な可能性を考えれば考えるほど、瞬には それは危険な道具であるように思われた。

「グラードの脳科学ラボでの測定では、普通の平常心の人間で50前後の数値が出ているわ。ちょっと興奮して感情的になると65から80。100を超えると何をしでかすかわからないくらいに興奮していて 危険な相手ということになるわね。もちろん、死者は0。生まれたばかりの嬰児で20くらいだったかしら」
「赤ちゃんが犯罪なんて――」
「ええ。自分の足で歩けないような赤ん坊は、判断力や自制心は欠如しているけど、たとえ感情を爆発させても、犯罪を犯す力と術がないから、そういう数値になるの。ただし、0ではないわ。たまたま そこにあった果物ナイフを握って振り回すことくらいは、赤ちゃんにでもできるから。これは、ある人間の理性からの距離、倫理道徳からの距離を測定する道具と言えるかもしれないわね。そこに肉体の能力を加味して、その時点での危険度を割り出すの」

測定器の機能と測定の理屈はわかった。
しかし、問題は、その測定の基準となる倫理道徳の上にあるのだ。
既に人工生命体を創る科学力を有している人類が、倫理道徳上の問題が解決していないために、その実現に二の足を踏んでいるように。
沙織は当然 その問題に言及してくれるものと、瞬は思っていたのだが、さすがは神と言うべきか、彼女は人間が作った倫理道徳のことなど、歯牙にもかけていなかった。

「で、あなたたちのように 特別の力を持っていて、でも地上の平和を願って戦う聖闘士たちは どんな数値を弾き出すのか、私は興味津々でいるというわけよ」
確かに、沙織は、その宣言通り、地上の平和と安寧を守るために戦っているアテナの聖闘士たちをモルモットにしようとしている。
全く悪気なく――むしろ朗らかに、アテナの聖闘士たちに協力を要請してくる沙織に、瞬は軽い頭痛を覚え始めていた。
「もちろん、僕たちに拒否権はあるんでしょうね?」
今 最も重要な問題は、それである。
その返答いかんで、沙織が彼女の聖闘士たちの人権をどのように考えているのかがわかることになるだろう。
そう考えた瞬が 少しく緊張して沙織に尋ねた時。
それまで黙って瞬と沙織のやりとりを聞いていた星矢が、沙織以上に悪気のない声と表情で、二人の間に割り込んできた。

「なあなあ。それって、たとえば、アフロディーテがその測定器を持ってて、瞬が本気になりかけてることと その力を知ることができてたら、我が身に迫ってる危険を察知したアフロディーテは 命拾いできてたかもしれないってことか?」
一つの仮定文――ただの例え話にすぎないにしても、星矢は何という例を持ち出すのか。
もし ここで沙織に『その通りよ』と答えられてしまったら、自分はどうすればいいのか。
この危険な道具の効用を認めなければならなくなるのだろうか。
泣きたい気持ちで、瞬はそう思ったのである。
が、幸か不幸か、沙織は星矢の質問に首肯しなかった。

「彼がプライドを捨てて、危険人物の前から逃げることができていたらね」
「アフロディーテが瞬から逃げ出せてたら? んじゃ、やっぱりアフロディーテは瞬にやられる運命だったってことか。黄金聖闘士が青銅聖闘士の前から 尻に帆を掛けて逃げ出すなんて、立場上できねーだろーしなー」
「そうね。黄金聖闘士なんて、因果な商売だわ」
その結論を喜べばいいのか悲しめばいいのかが、瞬にはわからなかった。
沙織が そんな瞬に一瞬 視線を投げ、そして すぐに星矢の方に向き直る。

「あなた方の人格総合値が――いいえ、まわりくどい言い方をするのはやめましょう。あなた方の犯罪係数が高いだろうことはわかっているの。あなた方は、肉体の能力が そもそも尋常じゃないんですもの。あなた方は、その意思にかかわらず、ちょっとした弾みで簡単に 物や人を壊すことができる。あなた方は、案外、眠っている時に犯罪係数を測ってみても、そこいらへんで凶暴化している一般人の成人男子よりも高い数値を出すかもしれないわ。その値は危険値100を軽く超えるでしょう。それは確実。私がこの機械で確かめたいのは、だから、あなた方の理性や心が その危険値をどこまで抑え込んでいるのかということなのよ」
「へー。俺たち、どれくらいなんだろ」
「星矢!」
星矢は相変わらず、沙織より無邪気で、もしかしたら 沙織よりも自分たちの犯罪係数に興味津々でいる。
自分が この事態を深刻に考えすぎているだけなのかと、瞬は 逆に不安になってきてしまったのである。
そんな瞬に、星矢が“明るい”としか言いようのない笑顔を向けてくる。

「瞬。おまえ、いろいろ考えすぎなんだよ。俺たちは正義の味方だぜ? 何にも心配することないって」
「星矢は考えなさすぎだよ!」
「だったとしても、ここまで話を聞かされて、おまえ、自分の数値が気になんねーのかよ?」
「え……」
考えなさすぎの星矢は、実に絶妙なところを突いてきた。
星矢に問われて、瞬は初めて気付いたのである。
他人の――特に善良な一般市民の――犯罪係数など知りたいとも思わないが、自分のそれは知っておきたいという気持ちが皆無ではない自分に。
瞬同様、沙織が持ち出してきた危険な試作品に猜疑心を抱いているようだった紫龍と氷河の口数が少なくなっていたのも、同じ理由。
他人の数値を興味本位で知りたいとは思わないが、自分のそれは知りたくないでもない。
彼等は そう思っていたのだ。

そういう経緯で。
結局、アテナの聖闘士たちは 沙織のモルモットになることを承諾してしまったのである。






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