青銅聖闘士たちが、そう決意した時だった。
黄金聖闘士たちが作っていた長い沈黙を破り、
「食べ物の好き嫌いはよくありませんが、アテナも少々横暴ですね」
という声が、アテナの寝所に響いたのは。
それは牡羊座アリエスのムウの、思いがけず優しく穏やかな声だった。

「えっ?」
「いえ、実は私もブロッコリーが苦手で……。あのぶつぶつの歯ごたえが我慢できないのですよ」
そう言って眉をしかめたムウに、牡牛座タウラスのアルデバランが続く。
「おお。それなら、俺もタコが食えんぞ。あの吸盤は、絶対に宇宙人のものだと思う。得体が知れん」
「私はピーマンだな。味があるのか ないのか、苦いのか甘いのか判断できん、あの訳のわからなさは本当に不気味だ」
というのが、双子座ジェミニのサガ。
「カニは食えるんだが、鯛のお頭つきが駄目だ。あの小骨の多さにいらいらする」
というのが、蟹座キャンサーのデスマスク。
以下、獅子座レオのアイオリアが、
「何といってもシイタケほど不気味な食い物はない。あの触感が気色悪い」
処女宮バルゴのシャカが、
「それを言うなら豆腐だ。あれは、人間の脳と どう違うのだ」
天秤宮ライブラの童虎が、
「ピータンが駄目だ。机の脚を食う方がまだましだ」
蠍座スコーピオンのミロが、
「最悪はチーズだ、チーズ。ゴルゴンゾーラやカマンベール。あれは、つまり、カビだぞカビ」
射手座サジタリアスのアイオロスが、
「牛乳は悪魔の飲み物だ。平気で飲める奴の気が知れん」
山羊座カプリコーンのシュラが、
「豆腐よりコンニャクだ。あれはエクスカリバーでも切ることができないんだぞ」
水瓶座アクエリアスのカミュが、
「あんここそ最悪の食べ物だ。豆を砂糖で甘く煮るなんて、正気の沙汰じゃない」
魚座ピスケスのアフロディーテが、
「レバーペーストこそ最凶の食べ物だ。誰があんなものを考え出したんだ。生臭くて耐えられない」
と、続く。
ひと通り 自分の苦手食材を並べ立てたあとに、彼等は口を揃えて、
「あれを食えと言われたら、私(もしくは俺、もしくは わし)だって、アテナに反旗を翻すぞ!」
と断言した。

「いえ、僕たちは別に反旗を翻したわけでは……」
青銅聖闘士たちは、もちろん、アテナに反旗を翻したわけでも 聖域転覆を謀ったわけでもなかったのである。
それは非常に重要なことなので、瞬は即座に訂正を入れたのだが、黄金聖闘士たちの耳には 瞬の控えめな訂正要求は 全く聞こえていないようだった。
その時には、彼等は既に、地上に存在する食べ物の中で どの食べ物がいちばん不気味な食べ物であるのかという極めて重要な問題について、激しい言い争いを始めてしまっていたのだ。
黄金聖闘士たちは、自分の苦手な食べ物こそが世界で最も最悪な食べ物と言い張って、互いに譲らない。
口角泡を飛ばして舌戦を繰り広げる黄金聖闘士たちは、やがて自分のお気に入りの(?)苦手な食べ物のために小宇宙を燃やすことさえ始めてしまったのだった。

腐っても黄金聖闘士、死んでも黄金聖闘士。
間違った方向に その強大な力を使う彼等の性癖は、十二宮戦の頃から変わっていないらしい。
鬼気迫る黄金聖闘士たちの様子に あっけにとられていた青銅聖闘士たちは やがて、尊敬すべき黄金聖闘士たちの あまりの低レベルのせいで、疲労感とも脱力感とも言い難い空しさ馬鹿らしさに支配されてしまったのだった。
「決着がつくまでには まだまだ時間がかかりそうだし、俺たちは部屋に戻って寝直すかー」
「それが賢明かもしれんな」
「そうしよう、そうしよう。瞬、俺の部屋に来い。騒がしくて、ここでは とても眠れないだろう」
嬉しそうに、氷河が そう言った時だった。
満面の笑みを浮かべていた氷河の鼻の頭に、どこから降ってきたのか大理石のかけらが コツンと当たり、床に転がり落ちたのは。

「? なんだ?」
怪訝に思った氷河が、小石の降ってきた神殿の天井を見上げる。
彼は、そこに、少なくとも彼がアテナの寝所に忍び込んだ時にはなかった(はずの)大きなヒビ割れを発見した。
「こ……これは――」
さすがは黄金聖闘士、腐っても黄金聖闘士、死んでも黄金聖闘士。
それは、苦手な食べ物世界一決定戦を繰り広げている黄金聖闘士たちが 無意識のうちに燃やした小宇宙がアテナ神殿の天井に作り出した巨大な亀裂だった。
「ここは危険だ。瞬、すぐに俺の部屋に避難しよう」

それでも、あくまでも自室で瞬と二人きりになろうとするあたり、氷河の根性も なかなかのものである。
しかし、残念ながら、彼は その願いを叶えることはできなかった。
そして、黄金聖闘士たちもまた、自分の苦手な食べ物を世界一の座に就けることはできなかった。
強大な小宇宙を燃やしつつ、低次元な争いを続ける黄金聖闘士たち。
栄光あるアテナ神殿の天井に巨大な亀裂を描くに至った黄金聖闘士たちの強大な小宇宙。
その小宇宙を一瞬で吹き飛ばす“あるもの”が、黄金聖闘士たちの戦いを即時停戦に追い込んでしまったせいで。

――と、勿体をつけても始まらない。
その“あるもの”とは、
「いい加減になさいっ! あなたたちは 揃いも揃って いったい何をしているのですかっ!」
という、若い女性の声。
そして、その若い女性というのは、星矢たちが 瞬の顔を見られないようにするためにヴェールをかぶることを義務づけた、あの新入りの巫女見習い その人だった。
『灯台下暗し』とは、まさに このこと。
小宇宙を燃やせない者は直接アテナの顔を見ることは不敬にして危険なのだと言いくるめて 無理矢理 かぶせていた そのヴェールをかなぐり捨てた巫女見習いの顔はなんと!
小宇宙を燃やせない者が直接見てはならない(ことにされていた)女神アテナのものだったのである。

「さ……沙織さん……」
「ああ、あなたたちへの説教は あとよ。地上の平和も聖域も、もう あなたたちに任せてはおけません!」
苦手な食べ物ごときのことで、アテナ神殿崩壊の危機。
沙織の怒りは至極当然のものだったが、青銅聖闘士たちとて、任されたくて そんなものを任されたわけではなかったのである。
特に瞬は、ただの とばっちりで偽アテナを演ずる羽目に陥っただけだった。

「本当に情けない。黄金聖闘士たちの姿を見た時には、私のものではない小宇宙に すぐに気付いて、星矢にお仕置きしてくれるものと期待していたのに、星矢に お仕置きをするどころか、ブロッコリーのぶつぶつだの、タコの吸盤だの……!」
アテナの怒りが至極尤もなら、アテナの嘆きも至極尤も。
しかし、『アテナのものではない小宇宙に すぐに気付いて、星矢にお仕置き』というアテナの期待は、“至極尤も”と言い難いところがあった。
「十何年も聖域にアテナが不在なことに気付かずにいた黄金聖闘士たちに、それは無理な相談だろ」
「まったくだわ」
偽アテナ登板などという反逆罪に匹敵する無謀をしてのけた星矢の意見に、沙織が即座に同意する。
そんなアテナに、黄金聖闘士たちは、まさか豆腐やシイタケこそが最悪の食べ物と主張するわけにもいかず、返す言葉の一つも見付けられずにいるようだった。
アテナの聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士たちが、母親に いたずらを咎められている幼い子供のように、アテナの前で揃って項垂れる。

「星矢たちも、黄金聖闘士も、誰も頼りにならないのだということが よくわかりました。地上の平和と聖域の秩序を保つためには、私が頑張るしかないのね」
今 ここで、アテナに、『では、聖闘士の存在意義はどこにあるんでしょうか』と質問する命取らずの男は、その場に ただの一人もいなかった。

その後、『世界で最も奇矯な食べ物はホヤである』という決定がアテナによって為され、聖域内に公布されたのだが、アテナの決定に異議を唱える者は一人として現れず、黄金聖闘士たちも彼女の決定を素直に受け入れたという話である。
『世界で最も奇矯な食べ物はホヤである』という公布文を掲げた聖域掲示板の すぐ横に、『好き嫌いはやめましょう』という“今月の目標”を貼ってのけるアテナに逆らう度胸を有する聖闘士は、聖域に ただの一人もいなかったのである。






Fin.






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