俺が目覚めたのは、城戸邸の――日本の城戸邸の俺の部屋だった。
夜明けまでには、まだ間がある。
そして、いつも通りに、俺の隣りには瞬がいた。
温かい身体、なめらかな肌、やわらかい髪と唇と、その心臓の鼓動、すべてが俺のためにある瞬。
まもなく いつも通りの朝の光の中で、昨夜のことを恥じらいながら、瞬は俺に『おはよう』を言ってくれるだろう。

「ああ、夢か……」
瞬を起こしてしまわないよう 小さな声で呟いて、俺は ほっと安堵の息を洩らした。
俺が瞬を一人にするなんて、たとえ夢の世界のことでも あってはならないことだと思いながら。
「氷河……」
俺の腕の中で、瞬が身じろぐ。
俺は少し慌てた。
いくら同じベッドで眠っていても、夢を共有することなど あり得ないと わかっていたのに。

「すまん。起こしてしまったか? 変な夢を見てしまって――それが おかしな夢なんだ。俺が なぜか太りすぎて泳げないセイウチになっていて、人魚姫のおまえに――」
「ごめんなさい……僕のために……」
「瞬……」
瞬の涙が、馬鹿げた夢を捏造して この場を逃れようとした俺に教えてくれた。
あの“異なる世界”が一夜の夢でなかったことを。
俺の幸せのために、瞬が自分の幸せを捨てようとしたことを。
俺は胸が詰まって、何を言えばいいのかが わからなくて――まさか、ここで『ありがとう』と言うのは変だろう――瞬の細い身体を抱き寄せた。

「馬鹿だな。おまえは本当に。俺に馬鹿だと言われるようじゃ、相当だぞ」
それは事実だが、もっと他に言いようがあるだろうに。
俺は つくづく恰好の悪いことしかできない男だ。
だが――。
「俺のいちばんの願いは、おまえが俺の側で笑っていてくれることだぞ。おまえの涙を俺が拭ってやれることだ。それが俺の幸福なんだ。おまえは、わざわざ俺を不幸にするために苦しんで――」
「ごめんなさい。僕、勝手に――」
そうだ。本当に勝手なことをしてくれた。
――俺のために。

どうして俺に瞬を責めることができるだろう。
瞬のしたことは間違ったこと、正しくないことだったが、瞬は、自分が幸福になるために それをしたんじゃない。
瞬はいつもそうなんだ。
自分以外の人間の幸福が、瞬の幸福。
健気で優しくて可愛い俺の瞬。
瞬に笑顔でいてもらうためになら、俺は何でもするだろう。

「大丈夫。おまえがいてくれれば、俺は幸せになれる」
幸福でいてほしいと願ってくれている人がいる。
それだけで、人は幸福になれる。
それこそが 人が幸福でいるということなのだと、瞬を抱きしめながら、俺は思った。






Fin.






【menu】