金銀二柱の神は、ブロンズランドまで来たくて来たわけではないようでした。 ハーデスに命じられたことを さっさと片付けてエリシオンに帰りたいと思っているのが容易に見てとれる態度で、挨拶もそこそこに、タナトスが氷河王子に向かってテリブルプロビデンスを仕掛けてきます。 神といっても所詮はハーデスの従神にすぎない彼は、ハーデスの せこいやり口に 絶対零度の数百倍の凍気で 冥衣のみならず その肉体まで凍りつかされてしまったタナトスを見たヒュプノスが、さすがに目が覚めたような顔になります。 彼はすぐに態勢を整え エターナルラウジネスを繰り出してきましたが、それは、 「氷河に なにするのーっ !! 」 氷河に危害を加えられたことで我を失った瞬に、至極あっさり弾き返されてしまったのです。 強き者。汝の名は人間なり。 それは愛の力というより怒りの力だったかもしれませんが、図らずも瞬と氷河王子は、『最も強い者は 無限の可能性を有する人間である』というアテナの言葉を、自ら体現してみせたのでした。 そこに のこのこ登場してきたハーデスが、周囲の様子を確かめもせず、 「どうだ、仮にも神だ、強いだろう。約束は果たした。瞬、そなたは余のものだ」 などと言ってしまったのは、神が人間に負けるはずがないという彼の慢心過信が招いた不運と言っていいでしょう。 「氷河に、よくもあんなひどいこと! 僕は、氷河の恋人には、誰よりも氷河に優しくしてくれる人を望んでいたのに!」 そんな話を、ハーデスはこれまで ただの一度も聞かされていませんでした。 ですからハーデスは、その点を指摘して 瞬に反論することもできたのですが、彼はそうすることはしませんでした――できませんでした。 遅ればせながら、彼は、氷河王子の凍気によって氷漬けにされたタナトスと、何やら自信喪失の 「余は、決して そなたを諦めんぞ、瞬」 という捨て台詞をハーデスが残していったのは、彼の神としてのプライドゆえだったでしょう。 でも、プライドと実力は全くの別物ですからね。 ともかく、そういう捨て台詞を残して、ハーデスは、ヒュプノスに凍りついたタナトスの身体を担がせ、 あとに残されたのは、なかなか静まらない愛と怒りの小宇宙に包まれた氷河王子と瞬、何がどうなっているのか まるで わからないながらも、神すらも退散させてしまう“生ける伝説”の力に呆然としている偉い大臣たち、そして、この馬鹿げた騒ぎに さっさと蹴りをつけてほしいと 少々うんざり顔で思っている“生ける伝説”の片割れである天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士でした。 「氷河。あのさ、瞬には はっきり言葉で言わねーと わかってもらえないと思うぞ」 「うむ。それも婉曲的でなく端的な言葉でだ。瞬は、自分以外の人間に対しては気が利いて 細かい気配りのできる子だが、自分のこととなると見事なまでに鈍感だ。『強ければ強いだけいい』では、おまえの気持ちは瞬には通じない」 星矢と紫龍の忠告が極めて的確なものだということが、今の氷河王子にはわかっていました。 二人の言う通り、端的な言葉で さっさとはっきり言っておけばよかったのです。 「瞬。俺が好きなのは、おまえなんだ」 と。 端的な言葉で はっきり そう言っても、 「で……でも、僕は ただの平民で、あんまり強くないし……」 などという答えを返してくるのが、瞬という人間なのですから。 その場に居合わせたすべての者たちが、『二流神のみならず一流神であるハーデスをも ひと睨みで撃退する瞬のどこが“あまり強くない”のだろう』という根本的な疑問を抱くことになりましたが、それが瞬という人間なのです。 他人の気持ちは鋭敏に読み取り思い遣ることができても、自分のことは よくわかっていないのが瞬。 瞬はおそらく、星矢に、 「あのさ、おまえは氷河が好きなんだよ」 と教えてもらえなかったなら、いつまでも自分の気持ちに気付かないままだったかもしれません。 幸い、瞬には、そんな超プライベートなことまで きっちり教えてくれる仲間がいたので、少しばかり遅すぎた きらいはあったにせよ、何とか自分の気持ちに気付くことができましたけれどね。 「ハーデスは おまえを諦めないと言っていた。奴は見るからに執念深そうな男だった。おまえは これからもずっと奴に つけ狙われるに違いない。それもこれもみんな俺のせいで」 「そ……そんなの平気だよ。それは氷河のせいじゃない」 「いや、どう考えても俺のせいだ。俺は その責任を取らなければならない。責任を取って、一生 おまえの側にいて、一生 おまえを守る」 「氷河……」 自分は氷河王子を好きでいるのだという事実を教えてもらう前に聞いたのだったとしても、それは瞬には とても嬉しい言葉でした。 氷河王子を好きでいる自分を自覚する前に聞いていても、瞬は その言葉を とても嬉しいと感じていたでしょう。 いつも いつまでも氷河王子の側にいて、氷河王子の命と幸福を守るために務めることが、瞬のただ一つの望みだったのですから。 「で、だ。どうせ一生 一緒にいるのなら、瞬、おまえ、俺の恋人になってくれないか。それで我が国は革命を避けることができるし、まさに一石二鳥だろう」 「でも、僕は平民だし、大きな国のお姫様でもないし、あんまり強くないし……」 自分を強いと思うのも弱いと思うのも、思うだけなら、それは瞬の勝手です。 大事なのは、自分には強くなれる可能性があるということを忘れないことなのですから。 「かえってその方がいいかもしれん。ブロンズランドの国民は、これまで散々 待たされ続けて、もはや俺が普通の ありきたりな恋をしたくらいでは満足しないだろう。身分違いで、しかも同性同士の恋。障害を乗り越えて結ばれる運命の二人。これくらいドラマティックな設定を盛り込んだ恋なら、国民も文句は言うまい」 「い……いいのかな。僕でも」 そして、人を強くし、自信を持たせることができるのは、やはり愛の力なのです。 氷河王子に励まされて、だんだん瞬は 自分が氷河王子の恋人になってもいいような気になってきました。 「いい、いい。全く無問題だ。いや、おまえでなければ駄目なんだ。我が国の革命回避には おまえの存在が不可欠。俺をギロチンから救い、俺を幸福にできるのは おまえだけだ」 「氷河……」 氷河王子が『強ければ強いだけいい』なんて遠回しな言い方をせず、最初から『俺はおまえが好きだ』と言っていれば、こんな無意味な騒ぎは起こさずに済んだのです。 なぜそうしてくれなかったのかと、ブロンズランドの偉い大臣たちは皆 思っていましたが、その思いを口にして氷河王子を責めるようなことは、誰一人しませんでした。 何といっても、神をも撃退する“生ける伝説”の脅威の力を目の当たりにしたばかりでしたし、彼等は基本的にブロンズランドに革命が起こらなければ、それでよかったのです。 氷河王子の恋人が平民だろうと、同性だろうと、そんなことは ちっとも問題ではありませんでした。 別に、自分が恋をするわけではないんですからね。 そういうわけで、めでたくブロンズランドの革命は回避されました。 ドラマティックな設定を盛り込みまくった氷河王子の恋は、国民の間に賛否両論を巻き起こしましたが、おかげでブロンズランドの国民は革命を起こす気持ちなんて すっかり忘れてしまったのです。 瞬による氷河王子の恋人探しの旅は結局 無駄足に終わりましたが、その旅が『幸せは遠くにあるものとは限らない』という貴重な教訓を瞬に与えてくれたのですから、瞬の旅は全く無意味だったわけでもないでしょう。 とはいえ、人の幸福というものは、必ず自分の足元にあると決まったものでもありません。 それは、自分の足元で、自分の手で、育てるもの。 もちろん、氷河王子と瞬は、それを大切に大切に育てましたよ。 Fin.
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