「へっ?」
あくまでも優しく、深い思い遣りに満ちた瞬の言葉が、氷河に、しゃっくりに似た珍妙な声をあげさせる。
自分の発言が 氷河にとって――星矢にとっても、紫龍にとっても――想定外のものだったという事実に気付いた様子もなく、瞬は 復活しかけていた氷雪の聖闘士に熱っぽく語り続けた。
「氷河のマーマやカミュやアイザックは、氷河の持つ運命に負けたんじゃなく、氷河を生かすために、そういう運命を自分の意思で選んだの。彼等は氷河の運命に負けたんじゃない。絶対にそんなことはない。氷河は、氷河の大切な人たちの強さを信じてあげなくちゃ。彼等は、氷河には生き続ける価値があると信じて、彼等自身の運命を選んだの。氷河は、彼等の分も生きて、彼等の分も たくさんの人を愛さなきゃならないんだ。それが彼等の選択を無にしないために 氷河ができるただ一つのことだよ。僕はそう思う」
「……」
氷河を思って言い募る瞬の言葉のせいで、氷河の顔が微妙に歪む。
星矢と紫龍の顔も、奇妙に引きつり始めていた。

「星矢や紫龍だってね、生きている人はみんな、きっと氷河の運命より強い。氷河は みんなの強さを信じて、みんなを愛していいんだよ」
瞬が導き出した結論は、瞬の仲間たちの顔だけでなく、その身体や魂までを凍りつかせ始めていた。
完全に凍結する寸前に かろうじて気を取り直すことのできた星矢が、慌てて瞬の主張に異議を唱える。
「いや、瞬。それは違うだろ。氷河的には、他の奴等が強いかどうかなんてことは どうでもいいんだよ。大事なのは、おまえが強いかどうかで」
「え? どうして? そんなの変でしょう」
「確かに変だけど、それがいちばん いろんなことが丸く収まる結論なんだよ。おまえだけが、氷河の運命に打ち克つ力を持ってるって結論が」
「だって、それじゃ、星矢や紫龍たちが 氷河に愛してもらえないじゃない」
「俺たちは別に、氷河に愛してもらいたいなんて これっぽっちも思ってねーし」
「……」

星矢の言うことが理解できなかったのか、あるいは それを強がりの類と解したのか、いずれにしても瞬は、星矢のその発言を考慮に値しないものと判断したらしい。
星矢の言葉を華麗に無視して、瞬は氷河に向き直った。
そして、更に真剣さを増した表情で、更に情熱的な口調で、氷河に訴える。
「氷河は、誰を愛してもいいの。誰を大切に思ってもいいの。氷河の大切な人は死ぬ運命だなんて、そんなこと、考えちゃだめ。そんなこと、あり得ない」
「だから、それはそうだけどさー。この場合は、おまえ一人が 氷河の宿命とやらを打ち破る力を持っていればいいだけの話でさー」
「氷河は、ありもしない運命なんて恐れずに、いろんな人を愛すべきなんだ」
「いや、俺は、そんなには……。俺は、おまえがいれば、それだけで――」
「氷河、恐がっちゃだめだよ。氷河はアテナの聖闘士でしょう。勇気を出して!」
「……」

氷河の人生を愛に満ちた幸福なものにするために、瞬は仲間の声も聞こえないほど必死で懸命らしい。
人の話を聞かない星矢や氷河とは違って、いつもは ちゃんと人の話に耳を傾けることのできる瞬が、今日に限って 全く仲間たちの言葉を聞いていなかった。
そんな瞬の氷河激励が一段落ついたところで、星矢は疲れた声で瞬に一つの質問を発したのである。
それは、今となっては、 氷河が瞬を避けていた理由より はるかに重要で不可思議な問題だった。
「なあ、瞬。おまえ、氷河を好きなんじゃなかったのか? だから、おまえは、氷河に冷たくされたくらいのことで ぶっ倒れるほど落ち込んでたんじゃなかったのか?」
という疑念 及び その答えは。

星矢の質問に対する瞬の答えは、実に簡潔明瞭。
「もちろん、僕は氷河が好きだよ」
瞬は、極めて明るく、見事に きっぱり、そう答えてきた。
「いや、そういう意味じゃなく、なんつーか、こう、もっと特別な意味でさー」
「もちろん、特別に好きだよ。氷河は僕の大事な仲間だもの」
「だから、そういう意味じゃなくて、もっと微妙な感じで――」
「星矢、なに言ってるの? そういう意味じゃないって、どういう意味?」
「――」

もはや処置なし、打つ手なし。
すぐ眼の前にまで やってきていると星矢が信じていた大団円は、春の野の陽炎、夏の逃げ水、秋の朝露、真冬のオーロラのように儚く消えてしまったのだ。
抱いていた大団円への期待が非常に強く大きなものだったため、その期待が外れた星矢の落胆は、それこそ“軽いもの”ではなかった。
しょんぼりと肩を落とせば それで済むような、なまやさしい落胆ではなかったのである。
今、星矢の心身を支配している落胆は。

人が人に最も激しく憤り、憎しみさえ覚えるようになるのは、期待を裏切られた時と相場が決まっている。
星矢の軽くない落胆は、さほどの時を置かずに、氷河への怒りに変わっていった。
「氷河! こんなことになったのは みんな、おまえが馬鹿やってたからだぞ! なーにが 愛した人は死ぬ運命だ。一人で勝手に そんな馬鹿みたいなメロドラマに酔ってるから、瞬が見当違いの方向に走り出しちまったんだ! 最初のうちは、おまえに守られたり庇われたりするの、瞬は まんざらでもなさそうだったのに。おまえは、この始末をどうつけてくれるんだよ!」
「うむ。さっさと瞬に好きだと言って 迫り倒しておけば、こんな馬鹿げた事態は現出しなかっただろう。らしくもなく、詰まらぬことを 一人で鬱々と悩んでいるから、こんなことになる。氷河、おまえは『下手の考え、休むに似たり』という俗諺を知っているか。おまえは本当に愚かだ。救い難い」

そんなことは、言われなくても わかっていた。
星矢や紫龍に改めて なじられるまでもなく、氷河は自分自身の馬鹿さ加減にはらわたが煮えくりかえっていたのだ。
何が運命か。
何が宿命なのか。
そんなものは糞食らえだ! と。


宿命論者だった氷河が、その考えを180度転換し、宿命否定論者になったのは その時、その瞬間からだった。
最近の氷河は、瞬の目配せ一つで3秒以内に その御前に参上できる場所に常に控え、瞬に特別に・・・好きになってもらえるよう、その ご機嫌取りに努めている。
運命や宿命などというものが もし本当にあるのだとしても、そんなものは 愛と努力と誠意で覆すことができるはずだと信じて。






Fin.






【menu】