「今は戦いがないので 紫龍は中国に行っているわ。星矢は、実はいちばんハーデス戦での傷が深くて、一進一退の回復待ち。一輝は――まあ、きっとどこかで……」
「生きてますよ、兄さんは」
僕は、何をのんきに記憶を失ってなんかいられたんだろう。
沙織さんから 僕の仲間たちのことを知らされて、僕の心と身体は 聖闘士らしい緊張を取り戻した。
兄さんは不死鳥だもの、きっと大丈夫だけど、星矢――あの明るくて元気な星矢が、未だにハーデス戦での傷を癒せていないなんて。
つらい時、苦しい時にこそ助け合うのが、僕たちアテナの聖闘士なのに。
「それで、星矢は――」
僕が尋ねたことに、沙織さんは答えてくれなかった。
多分、今の僕には 今の星矢のためにできることがないから。
あるいは、星矢のために何をすべきなのかが、今はまだわかっていないから。
その代わりに、沙織さんは、人の上に立つ者の悲哀とでもいうべきようなものを その瞳にたたえ、逆に僕に尋ねてきた。

「あんなに つらい戦いの連続だったのに、それも あなた自身が望んだわけでもない強いられた戦いの連続だったのに、それでも あなたはその時間を捨てる気にはならないの」
記憶を取り戻した僕が、記憶を取り戻したことを後悔するのではないかと、沙織さんは案じていたんだろう。
でも僕は後悔なんかしていなかった。
どうして後悔なんかできるだろう。

「強いられた戦い? そんなことありません」
「でも、あなたは、なりたくて聖闘士になったのではないわ」
「それは そうですけど……。でも、それは、この世界に生まれてくることと大して変わらないことでしょう。生まれたいと願って 生まれてきた人間なんて、この世には一人もいない。僕は――僕たちは、他の人たちと同じように生まれてきて、そして生きているだけです。沙織さんには、何の責任もない。僕たちは、アテナの聖闘士としての戦いから、逃げようと思えば いつでも逃げ出すことができた。僕が そうしなかったのは、僕が僕の仲間たちに会えたからで、僕、沙織さんには感謝しています。僕たちが仲間というものになれたのは、沙織さんのおかげだ」
「瞬……」
本当に、心からそう思う。
僕に、家族よりも強い絆で結びつけられた仲間を与えてくれたのは、アテナと、そしてアテナの聖闘士としての戦いの日々だった。

「仲間たちに会えたことなのか。俺に会えたことじゃなく」
氷河が急に駄々っ子みたいなことを言い出したのは 多分、沙織さんに これ以上 自分を責めてほしくなかったからだったろう。
そして、僕たちは 僕たちの意思で 僕たちの生きる道を選んだのだと、氷河自身が思っていたかったから。
僕はすぐに駄々っ子を なだめにかかった。
「だから、そう言ったでしょう」
「星矢たちと ひとくくりにされるのは不愉快だ」
「氷河って、どうしていつも そう――」

言いかけて、つい吹き出してしまう。
懐かしい やりとり。
氷河の我儘や駄々は いつも、落ち込みやすい僕の気を引き立たせるための優しさだった。
「氷河ってば、本当に変わってないね。あれだけの戦いを経験してきたのに、全然 成長のあとが見られないんだから」
「おまえも、全く学習のあとが見られないな。どうすれば俺の機嫌が良くなるのか、おまえは 知っているはずなのに」
「もちろん知ってるよ」
もちろん、僕は知っている。
どうすれば、拗ねた氷河が機嫌を直してくれるのか。

氷河の手を取り、僕は、その手を自分の頬に押し当てた。
沙織さんや星矢や紫龍、兄さんにもしないこと。
それがどんなことであれ、氷河は僕に特別扱いされることが好きなんだ。
「よかった。僕が帰るべき場所に帰ってこれて」
「おまえの帰るべき場所というのは、俺のいるところか」
「僕の仲間たちのいるところ」
甘やかしすぎると 氷河はどこまでも調子に乗り続けることも知ってるから、僕は、氷河の特別扱いを ほどほどのところで切り上げた。
氷河は不満そうな顔になったけど、記憶を取り戻した僕は、それが振りだっていうことも知ってるから、これ以上は甘やかさない。
僕は、僕の女神を振り返った。

「沙織さんのおっしゃる通り、僕は戦いが好きなわけじゃない。戦いなんか起こらなければいいと、いつも思ってた。でも、僕は、仲間たちと試練に立ち向かうことは好きなんです。仲間たちと一緒なら、どんな試練も、必ず乗り越えられると信じているから」
きっと その時がまた来る。
僕に そう信じさせてくれるのは、僕の大事な仲間たちと、そして、僕の女神。
神にしては人間的すぎる、僕の女神だ。

「僕は、生まれてきてよかったと思っています。あなたの聖闘士になれてよかったと。だから、仲間たちと共に戦ってきた日々を忘れたくない。それは、僕が生きてきた証で、僕が生きている証だから」
「ありがとう」
神にしては人間的すぎる僕の女神は、少し瞳を潤ませて そう言って、それから軽く口をとがらせた。
「そう言ってくれるのは、とても嬉しいわ。でも、私の前でいちゃつくのは やめてくれるかしら。私は独り身なのよ。気遣いを示しなさい」
「え……」
沙織さんに釘を刺されて、僕はちょっと困ってしまったんだ。
仲間たちとの戦い同様、氷河といちゃつくのも、僕の生きている証だったから。






Fin.






【menu】