運命の女神である私が、最初に彼等に目を留めたのは、いつのことだったか。 もう随分と昔のことのはずなのに、私は その時 自分が感じた胸の高鳴りを、つい昨日のことのように明瞭に思い出すことができる。 ある時、私は、人間世界の中に、とても綺麗な魂を見付け、その魂に心惹かれた。 そう、あれは特別に美しい魂で、だから、この私――運命の女神テュケーの心を捉えることになった。 あとで知ったのだけれど、あの魂には、冥府の王ハーデスも執心していたとか。 さもありなん。 あれは本当に稀有な魂だった。 人間の魂はどれも、生まれた時には純白。 物心がつく頃には、それが乳白色になっている。 そこまでは、どの人間も ほぼ同じ。 けれど、自我を持つようになると、それは様々な変化を見せ始める。 黒色になるもの、赤色になるもの、緑色になるもの、青色になるもの、灰色になるもの、金色になるもの、ごく稀に白色を保ち続けるもの。 まさに千変万化。 そして、あの子の魂は、乳白色から、透明に変わっていった。 無色透明ではない。 僅かに桜色を帯びたダイヤモンド。 あれがもし無色透明の魂だったなら、私は それを人間の魂だとは思わなかっただろう。 近くに もう一つ、趣の異なる魂があった。 透明ではないが、濁りの ほとんどない青色。 時に晴れた空の色になり、時に嘆き悲しむ空の色になり、時に凪いだ海の色になり、時に荒れ狂う海の色になる青色の魂が。 他にも、あの桜色のダイヤモンドの周囲には、鮮やかな赤色や、落ち着いた紫、燃える炎の色をした魂たちがいた。 それらは どれも、それぞれに美しくて――とても美しい魂の集まりだったから、それらは私の目を引いた。 あの奇跡のように透き通っている魂も、それ一つだけで存在していたなら、私は その稀有な美しさに気付かなかったかもしれない。 それは とても美しい魂だったけれど、本当に ひっそりと目立たぬように そこにいたから。 人間の魂は、似た色、似た様子をしたものが集まる。 黒には黒、青には青、似たような濁り具合い、似たような傷、似たような汚れ。 あそこまで異なる色調の、それぞれに美しい魂が集まっているのは、滅多にないこと。 あとで それらが アテナの加護を受けた者たちの魂だと知って、私はそれらの魂の美しさに得心した。 そう。 私は、それらがアテナに関わる者たちの魂だということを最初から知っていたわけではない。 運命の女神といっても、私は、常に空にあって地上のすべてを見ている太陽神ヘリオスとは異なり、興味のあるものしか見ない神だったから。 見ようと思えば見ることはできるのだけど、人間の世界には、見る価値があると思えるものは とても少なかったから。 運命の女神は、滅多に特定の人間に目を留めない。 滅多に特定の人間を愛さない。 けれど、それは私が人間たちを見放しているということではなく、ただ したいようにさせてあげているだけ。 人間なんて、どうせ、生まれては消えていく海の泡みたいなものだもの。 広い海に日々 生まれる無数の泡。 人間だって そんなものに目を留めることは滅多にないし、目を留めたとしても、ほんの一瞬、特別大きいものか、特別美しいものに対してだけだろう。 永遠にも似た長い時間を持て余している神の一柱である私とて、それは同じ。 人間の魂、人間の命、人間の運命。 どれだけ大きいものでも、どれだけ美しいものでも、それらは ごく短い時間のみ 彼等の世界に存在し、やがては儚く消えてしまう泡にすぎないのだ。 だというのに、私は、その美しい魂たちに目を留めた。 彼等の美しさに目を留めた。 彼等の運命に目を留めた。 私は、人間の運命を見詰め続ける女神。 私は、決して人間というものが嫌いではなかった。 だから、人間たちを愛するアテナの気持ちもわからないではなかった。 とはいえ、『では、おまえは人間たちを愛していたのか』と問われると、私は即座に首肯することはできない。 私はただ、ハーデスやポセイドンのように 人間世界を滅ぼそうとしなかっただけなのかもしれない。 人間世界には、確かに、醜い魂を持つ者が少なくなく、そういう魂に限って強い力を持っていたから。 けれど、醜い魂が多いからこそ、美しい魂を見付けた時の感動は大きかった。 そのほとんどが凡庸な魂だからこそ、稀有な魂に出会った時の喜びは大きかった。 凡庸な魂。 そうね。 今にして思えば、人間世界には、目を覆いたくなるほど醜悪な魂は さほど多くはなかった。 そのほとんどが ただ凡庸で――私の意識の中では、“凡庸”と“醜悪”がほぼ同義だったというだけのことなのかもしれない。 私が運命の女神として人間たちを見詰めていられたのは、大多数の凡庸醜悪な魂の中に、時に美しい魂を見付けることができるからだった。 そこが凡庸で醜悪な魂しか存在しない世界だったら、私は人間世界になど見向きもしなかっただろう。 ハーデスやポセイドンのように、わざわざ滅ぼしてやろうなんて親切なことも考えなかった。 人間世界にある人間たちの魂の大多数が凡庸で醜いから、ハーデスやポセイドンは人間世界を滅ぼそうとし、その中に 少数とはいえ 美しい魂があることを知っているから、アテナは人間世界を守ろうとした。 私は、彼等のように人間世界に積極的に働きかけることをせず、ただ見ていたの。 私は、人間たちが生きている世界に対して、見たいものだけを見ている傍観者だった。 私は、ハーデスやポセイドンのように強大な力を持つ神ではなかったし、アテナのように 人間たちから敬愛されるような魅力を備えた神でもなかったから。 見たいものを見ているだけの運命の女神は、常に中立。常に傍観者。 そんな私の目に留まった、美しいアテナの聖闘士たち――。 彼等が人間世界に生きて存在している間、私は彼等に夢中だった。 |