「おまえ、フランシス・ゴールトンを知っているか」 「知らない。誰?」 名前からして、神話や聖書の登場人物ではない。 瞬は首を横に振ることになった。 その名の人物を知らないのが自分だけだったなら きまりが悪いと考えて、仲間たちの上に視線を巡らすと、星矢は 完全に話の方向性を見失った顔、紫龍は なぜそういう方向に話が進んでいくのかが理解できていない顔をしていた。 「人類学者……かな。確か、進化論のダーウィンの従弟だろう。19世紀イギリスの」 まさか“老師に お聞きしたことがある”わけではないだろうが、紫龍はゴールトンの名前だけは知っているようだった。 氷河が、龍座の聖闘士に ごく浅く頷く。 「人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者――肩書きは たくさんあるが、まあ、モンタージュ写真を最初に考案した人物としての功績が最も大きいだろう」 「モンタージュ写真?」 「合成写真といった方が より正確だな。ゴールトンは暴力犯罪者の肖像写真を幾枚も重ね焼きし、犯罪者の特徴を すべて備えた1枚の写真を作ろうとしたんだ」 「あの……僕、そういうのって……」 悪人でも善人でも、人をある種の基準法則に当てはめて類型化することは、それがどんな基準法則であれ、好ましいこととは思えない。 瞬が眉を曇らせると、瞬の懸念を否定するように、氷河は笑顔を見せた。 「ゴールトンは、そうすることで、典型的な犯罪者のイメージが得られると思った。だが、そうしてできたのは、元のどの顔より美しい顔で――あとになって、イタリアの生物学者のアレッサンドロ・チェレッリーノも同じ実験をして、全く同じ結果を得ている」 「氷河、何が言いたいの」 氷河の話は興味深い。 彼が“約束”をしたくなくて話を逸らしているのではなく、たとえば 人間の美について彼の意見を述べているのなら、瞬も 彼の語る薀蓄を奇異なものとは思わず、これほど落ち着かない気分になることもなかっただろう。 氷河が何のために そんなことを 瞬の困惑は わかっているはずなのに、氷河は彼の話を続ける。 「理屈は簡単だ。要するに、たくさんの悪党面が平均化されて、歪みが矯正され、見事に整った顔ができあがったということ。おそらく、全人類の顔を重ね焼きしたら、地上で最も美しい人間の姿を得られるだろうな。人間は誰もが罪人だ。すべての人間の罪を背負った人間の顔が美しくなるのは、論理的におかしくはない。絵画や彫刻におけるイエスの姿が美しいのは、そうあってほしいと画家や彫刻家たちが願ったからじゃない。論理的に、イエスは美しい人間だと結論づけられるからなんだ。すべての人間の罪を その身に引き受けて死んでいったイエスが美しいことは、論理的に正しい」 「氷河……」 氷河の言いたいことは わかった。 すべての人間の罪を我が身に引き受けた人間イエスの美しさと、生誕の時から栄光に包まれていた女神 アテナの美しさは、美しさを構成する要素が異なる――というのだろう。 瞬はクリスチャンではないので そんなことは考えたこともなかったが、クリスチャンである氷河が そう考えることに異議を唱えようとは思わない。 瞬はただ、イエスが美しければ、なぜ白鳥座の聖闘士の投げ遣りな戦い方が許されるのか、その点を 氷河を説明してもらいたかったのである。 その二つの事柄に、もし何らかの関連性があるのなら。 瞬には、その両者に何らかの関連性があるとは思えなかった。 あるはずがないと思っていた。 しかし、どうやら氷河は そうは考えていないらしい。 |