愛の歴史






ギリシャの叡智と言われたプラトンが、その著書に、昔 この世界には大陸と呼べるほどの大きさの島があり、そこにアトランティスという名の王国があったと記しています。
隆盛時、アトランティス王国は 地中海世界はもとより、エジプトやヨーロッパの一部をも支配下に治める、高い文明と海洋技術を誇った有力な国でした。
けれど、自らの力に驕り 神々をないがしろにするようになった巨大王国は、大神ゼウスの怒りに触れ、一夜にして海中深く沈められてしまったのです。
それは、エジプトの神官からアテナイの政治家ソロンが伝え聞き、更にプラトンの父祖に伝えられた伝説で、本当にアトランティスという王国が この世界に存在したという証拠はどこにもありません。
アトランティスが誇っていた高度な文明の証は、(伝説が真実ならば)今は人の手の届かない海中深くで永遠の眠りに就いているのですから。

エーゲ海に並んで浮かぶカリステー王国のあるカリステー島と、ティラシア王国のあるティラシア島は、そのアトランティス大陸の名残り、大陸が海に沈んだ際、かろうじて海上に残った大陸の一部だと伝えられていました。
もちろん、それも伝説です。
カリステー島とティラシア島の伝説が事実かどうかは、今となっては確かめようもありません。
けれど、二つの島の間に横たわる海峡には、干潮の夜にだけ人が歩いて渡れるほどの細く浅い砂の道が現われ、二つの島が以前は地続きだったのではないかという推察の根拠になっていました。
でも、すべては伝説。
その伝説を裏づける証拠は何ひとつありません。

ですが、カリステー王国とティラシア王国が、少なくとも1000年前までは カリステー・テラという一つの国だったということは、伝説ではなく歴史的事実。
カリステーとティラシアの二つの島には、二つの王国が一つの国だった頃の王宮神殿の遺跡が残っていて、それらは ほとんど同じ造りの建物なのです。
二つの島は、周囲が それぞれ5000スタディオンほど。
健脚な成人男子なら 丸2日もあれば島を一周できる大きさで、形も似たような半月状。
古代のカリステー・テラ王国の国王は、双子のような島から成る自分の国に、双子のようにそっくりな王宮を建てたのでしょう。
二つの島が一つの王国だった頃、国王は1年の半分をカリステー島の王宮、残りの半分をティラシア島の王宮に住み、二つの島から成る王国を統治していたのです。
その事実を示す多くの文献や壁画・彫刻が、二つの島には数多く残されています。

二つの島から成る一つの王国が、二つの国になったのは、今から1000年ほど前。
知恵と戦いの女神アテナと 死の国の王ハーデスによる聖戦が原因でした。
二つの島のある場所が二柱の神の戦いの主戦場となったため、カリステー・テラ王国はカリステー王国とティラシア王国の二つに分断されてしまったのです。
カリステー島とティラシア島のどちらがアテナの陣営になり、どちらがハーデスの陣営になったのかは、今でも論争の的。
ただ、二つの島から成る一つの王国が、神々の戦いによって二つに分かれてしまったことだけは確かな事実なのでした。

二つの島を舞台にした二柱の神の戦いは、アテナの手でハーデスが封印されることによって終結したと言われています。
その後もハーデスは数百年おきに甦り、聖戦は繰り返されましたが、カリステー島とティラシア島が その戦場となることは二度とありませんでした。
一つの王国が二つの王国に分かれてから既に1000年もの時が経ったというのに、そして、繰り返されるアテナ軍とハーデス軍の聖戦は 今では両国とは関わりのない場所で行なわれているというのに、二つに分かれた国は未だに反目し合っています。
その反目が 敵の命を奪い合う戦争にまで発展することがなかったのは、二つの国の民に 自分たちは元は一つの国の民だったのだという意識があるからだったのかもしれません。

カリステー島とティラシア島での聖戦が終結して1000年が経った今、ペロポネソス半島にあるギリシャの各都市国家は、互いに勢力を競い合い、時には実際に熾烈な戦闘を繰り広げ、分裂と統合を繰り返していました。
いつ その戦いの火の粉が二つの島に降りかからないとも言えませんから、両国は互いに手を携え合って防衛に努めた方がいいということは、皆わかっていたのですけれど、なかなか話はうまくいきません。
何といっても、二つの島には既に二つの王家があるのです。
二つの国が統一された際 どちらの国の王が統一王国の王になるかを決めることは難しい問題ですし、その決定によって 一方の国が もう一方の国に虐げられることになるのではないかという不安を抱える者は多く――むしろ大部分がそうだったのです。
元は一つの国だったといっても、1000年の長きに渡って 異なる王家に治められていれば、国柄や国民の気質も随分違ってしまうものですしね。

とはいえ、これまでカリステー王国とティラシア王国の統一の試みが一度も為されたことがなかったというわけではありません。
1000年の間に、それは何度も何度も試みられました。
現国王の先代の時代にも、そのための話し合いの場が設けられたことがありました。
長年の反目を解消しようと、カリステーとティラシア両国の王が、二つの島の間に横たわる海峡に大きな船を浮かべ、それぞれの家族や家臣と共に乗り込んで、二つの国の統一の可能性について話し合ったのです。
話し合いは、大層 和やかに進んだと言われています。
カリステーとティラシア両国の先代の国王は二人共 穏健な考えの持ち主で、両国の王の合議制によって統一国家を統治するという理想を持っていたのです。
当時、カリステー王国には2人の王子、ティラシア王国には1人の王子がいたのですが、いっそ3人の王子たちの誰かが王女だったなら 婚姻関係を結ぶことによって二つの国は平和裏に統一することができるのではないかと、両国の国民が噂し合うほど、両国の話し合いは和やかだったとか。

けれど両国王の話し合いが持たれてから まもなく、カリステー王国とティラシア両国の国王夫妻が それぞれ相次いで病で亡くなるという不幸が起き、両国の統一の話は立ち消えになってしまいました。
両王国の国王の崩御が 統一の話し合いが うまく運びかけていた時のことだけだっただけに、両王国の統一は不吉なのではないか、両王国の統一を神々が望んでいないのではないかと怪しむ空気が、二つの王国を覆うことになってしまったのです。
二つの国が 食糧や生活面での自給自足ができてしまうことも、両王国の統一を妨げる原因の一つだったかもしれません。
本来はそれは悪いことではないのですが――この場合は障害になりました。
そのことさえなかったら、二つの国の統一は無理でも、緊密な交易という形で両王国が親しみ合うこともできたでしょうが、大抵のものが自給自足できてしまう二つの国では 切迫した統一の必要性が感じられなかったのです。

そうして、何となく反目し合ったまま、これまできてしまった二つの国。
現在のカリステー王国の国王とティラシア王国の国王は、船上会議の開催時には まだ幼い子供だった王子たち。
優しい両親に見守られ、統一会議の船上では仲良く遊んだこともある王子たちのはずなのですが、それぞれの国の王となった今、なぜか2人は反目し合い――特にカリステー王国の一輝国王がティラシア王国の氷河国王を毛嫌いしているという噂でした。
船上会議が前国王夫妻の死のきっかけになったと言う者も少なくありませんでしたから、現国王たちの反目も致し方のないこと。
当代の国王の治世下では両王国の統一は無理なことと、二つの国の国民たちは ほとんど諦めていました。
へたに統一王国として大きな勢力を持ち、ギリシャ本土に攻め入って領土を広げたいというような野心を国王に持たれるのは好ましくないと考える者も、両王国には多かったのです。
無理に統一しなくても両国民は支障なく日々の生活を営むことができましたし、ギリシャ本土の各都市国家間の争いから海によって隔てられた二つの島国の国民は、長い平和を謳歌していましたから。

けれど、そうも言っていられないことが起こりました。
ある日、カリステー王国の浜に、見るからに威圧的で 見るからに不吉な影を背負った異国の船団がやってきたのです。
平和であるがゆえに豊かな二つの王国を自国に併合、もしくは植民地化しようと考えたのでしょうか。
カリステー王国の沖に現れたのは、ギリシャ最大の国アテナイの大船団でした。
しかも、その半分が 武器と兵を乗せた軍船。
大国アテナイは、カリステー王国が有する船の4倍の数の船と兵を背景に、カリステー王国に降伏を迫ってきたのです。

これまで友好的とは言えないまでも、利害が対立することはなく敵対するような事柄もなかったカリステー王国とアテナイ。
というより、ほとんど没交渉だった二つの国。
アテナイの降伏勧告は、カリステー王国の一輝国王には 寝耳に水の青天の霹靂。
まさに、降って湧いた突然の災難でした。
ですから、一輝国王は その事態に大層 驚きました。
なぜアテナイが そんな暴挙に及ぶことになったのか、一輝国王には その訳が全く理解できなかったのです。

アテナイは知恵と戦いの女神アテナの加護を受けた国。
ギリシャで一、二を争う規模の軍備を備えていましたが、それ以上に 高い文化と政治力を誇り、武器と武器、兵と兵の争いで他国を侵略するようなことはしない国でした。少なくとも、これまでは。
そのアテナイが、何の前触れもなく、突然の侵略行為。
いったいアテナイに何が起こったのかと、一輝国王が怪しむことになったのは 当然のことだったでしょう。
アテナイの突然の暴挙の訳はカリステー王国の誰にも わかりませんでしたが、カリステー王国の沖に現れた大船団は幻ではなく現実。
そして、その旗艦から下ろされた小舟に乗って浜に乗りつけ、カリステー王国に降伏を勧告してきた使者もまた 幻などではありませんでした。

大国アテナイといえど、本国を離れて遠征してきているのです。
カリステー王国に、せめてアテナイ軍の半分の船と兵があったなら、一輝国王は 即座にアテナイからの降伏勧告を撥ねつけ、アテナイの大船団を撃退する準備に取りかかっていたでしょう。
平和な日々に慣れていたとはいえ、四方を海に囲まれたカリステー王国では、軍兵は少なくても 毎日漁に出て海や巨大な魚たちと戦う屈強な男たち、操舵術にすぐれた者たちは多く、武器は搭載していなくてもギリシャのどの国のものより高い機動性を誇る船がありましたから。
ただ、大国アテナイの大船団に対抗するには、圧倒的に数が足りなかったのです、カリステー王国は、船も人も。

一輝国王は、何としてもカリステー王国の自由と独立を守らなければなりませんでした。
自国が他国の植民地になり、自国の民が他国の民の奴隷になるなんて、国王として許容できることではありません。
双子の兄弟のようなティラシア王国に対しても守り続けてきた独立を、赤の他人のアテナイに蹂躙されるなんて、我慢できることではありません。
カリステー王国 危急存亡のとき
対応に苦慮した一輝国王は、アテナイの大船団を撃退するために、船と漕ぎ手の提供をティラシア王国に頼むことにしたのです。
一輝国王は どうあっても、アテナイ軍をカリステー島に上陸させるわけにはいきませんでした。
海上で戦うなら まだ アテナイ軍の半分の船でもカリステー王国に勝利の可能性はありましたが、陸戦となれば、島国の優越は失われ、カリステー王国の敗北は まず避けられないところでしたから。

元は一つの国だったとはいえ、1000年もの長い間 対立していた二つの国。
カリステー王国の一輝国王が、ティラシア王国の氷河国王を毛嫌いしていることは、知らぬ者がないくらい有名な話。
ティラシア王国の氷河国王が 二つ返事で力を貸してくれるとは思えませんでしたが、もしカリステー王国がアテナイの軍に屈するようなことになれば、次にアテナイが侵略の手をのばす先がティラシア王国になるだろうことは、火を見るより明らか。
アテナイという大国を前にしたカリステー王国とティラシア王国は、いまや一蓮托生、不離一体の運命共同体なのです。
今は その事実だけが、一輝国王の一縷の希望でした。






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