日本公開の宣伝企画を立てるために、編集を終えた『スペードの女王』の映像データがグラード・エンターティメント社に送られてきたのは、それから2ヶ月後のこと。
アテナの聖闘士たちは、一般公開に先駆け、城戸邸のシアターで その新作映画を鑑賞することができたのである。
我儘で傲慢な最後のスターは、見事に老貴婦人と女王を演じていて(老貴婦人と女王を演じる若い女性を演じていて)、素の彼女をしか知らなかった氷河と瞬は、(素の彼女をしか知らなかったからこそ)スターの演技に感嘆の域を洩らすことになった。
彼女が日本に滞在していた間、スタジオでの撮影時間は そのまま氷河の休憩時間だったため、氷河は屋内撮影の現場は全く見ていなかったのだ。

「ハリウッドのメイク技術もすごいけど、でも、これはメイクの力じゃなくて、彼女の目の演技がすごいんだね。スペードの女王に扮してる時、彼女は自分の顔で能面を表現してる。でも、目は確かに生きて苦悩してる人間の目で、こんな二重三重構造の設定になってる人物を演じ切るなんて、本当にすごい」
「ただの我儘女ではなかったということか。――人には、その人が輝く場所というものがあるようだ。スターはスクリーンの中、おまえは戦場」
「輝く場所?」
「ああ」
おそらく、それは瞬には決して嬉しい言葉ではないだろう。
少なくとも、手放しで喜ぶことのできる言葉ではない。
言わずにいた方がいいのではないかと、一瞬迷い――だが、それでも氷河は言わずにはいられなかった。

人を傷付けることが嫌いな瞬。
それでも、アテナの聖闘士として戦い抜くことを決意し、そうできることを誇りに思っている瞬。
『おまえは戦場で輝く人間だ』という評価が、瞬にとっては名誉なことなのか不名誉なことなのか、嬉しいことなのか悲しいことなのか――は、実は氷河には わかっていなかった。
だが、それは事実なのだ。
普段は春の優しさと温かさとを体現しているような瞬が、悲壮な決意に満ち、研ぎ澄まされた刃のような目をして戦場で戦う時、瞬は壮絶に美しかった。
心優しく温かな瞬を好きでいるはずなのに、戦場に立つ瞬を見て 背筋がぞくぞくすることのある自分自身を、氷河は知っていた。
『おまえは戦場で輝く人間だ』
瞬が、氷河の言葉に切なげに微笑する。
もしかしたら、それは、瞬にとって、名誉でもあり不名誉でもあり、そして、嬉しいことでもあり悲しいことでもある事実なのかもしれなかった。

「で? おまえはどこなんだよ。おまえの輝く場所ってのは」
星矢が氷河に そう問うたのは、“事実”を瞬に告げてしまった白鳥座の聖闘士と、“事実”を氷河に告げられてしまったアンドロメダ座の聖闘士の心を思い遣ってのことだったろう。
星矢の気遣いに感謝して、氷河が、
「瞬のベッドだな」
と、思うところを正直に告げる。
「勝手にやってろ」
仲間の気遣いに見事に応じてみせた氷河に、星矢は露骨に嫌そうな顔を向けた。
「アテナの聖闘士失格だな」
紫龍も そう言って、嘆かわしげに頭を二度三度 横に振る。

しかし、それは氷河にとって場の空気を和らげるためのジョークではなく、ある一つの事実だったのだ。
人を愛している時、自分は最も輝いているだろうと感じる気持ちは。
その人が、同じように深い愛情を 自分に返してくれれば、なおいい。
「俺の本業は、瞬の恋人だぞ。聖闘士は副業にすぎない」
「氷河の奴、あんなこと言ってるぜ。沙織さん、いいのかよ」
「本業でも副業でも、手を抜かなければいいわ」
アテナと財団総帥の二足のわらじを履いている沙織としては、立場上 そう答えるしかなかっただろう。
彼女の聖闘士が、戦士としてだけ生きていないことは、彼女には むしろ非常に喜ばしいこと―― 一種の救いでもあったかもしれない。
もっとも、彼女は、
「地上の愛と平和を守るアテナの聖闘士が、愛を知らないでいたら話にならんだろう」
という氷河の厚顔な自己弁護には、さすがに その顔をしかめることになったが。


自分が輝く場所を持っている人間は、既に幸福な人間である。
自分が輝く場所がどこであるのかを知っている人間は、自分の幸福が何であるのかを知っている人間であり、自分が幸福になる術を知っている幸福な人間なのだ。






Fin.






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