「ついに電話番号とメールアドレスを教えてもらったぞ!」
次の定例報告で、俺は、沙織さんが口を開く前に、気負い込んで得意げに 俺の恋の進展ぶりを彼女に報告した。
「もっとも、本当に緊急で重要な用がある時以外は、メールも電話もNGだそうだが」
という補足事項を付け加えなければならないのは、少々――いや、かなり――情けなかったが、どこぞの宇宙飛行士だって『この一歩は小さな一歩だが、それは偉大な飛躍でもある』と言っている。
俺は まさに偉大な飛躍を遂げたんだ。
その事実を、沙織さんに報告したさもりだった。
沙織さんも、この偉大な一歩を喜んでくれるだろうと思って。

だというのに、沙織さんは、得意の絶頂で歓喜に満ち満ちている俺の顔を 呆れたような目で見やり、
「今まで教えてもらえずにいたの? 何度か 待ち合わせもしていたんでしょう?」
と尋ねてきた。
そんなことで、生まれて初めて動物園でキリンを見た子供みたいに興奮し喜んでいる俺の気が知れないと言わんばかりの口調で。

沙織さんが呆れる気持ちはわかる。
俺が これまでに日本で知り合った女たちは、やたらと電話番号やメールアドレスを俺に教えたがった。
ほぼ例外なく、知り合って1時間以内に。
俺の方が 彼女等の個人情報保護に気を遣って、『俺はモバイル機器の類は持ち歩いていない』と嘘をついてやっていたくらいだ。
俺に そう言われると、彼女等は『やっぱり普通の人とは違うのねー』とか何とか勝手に納得し、感心してくれさえしたが。

だが、あの子は そういう軽率な女たちとは違うんだ。
あの子は、とても慎重で用心深い。
もちろん、俺は いい気はしなかったさ。
あの子が俺に そういう情報を開示しないのは、あの子が俺を信用していないってことだからな。
だが、ものは考えようだ。
あの子は、俺に開示しない情報を 俺以外の男にも同様に開示していないだろうと思えば、あの子の慎重さ用心深さは、俺にとって実に好ましいものになった。

「あの子は、約束は守るんだ。俺に強引に出られて、しぶしぶ交わした約束でも、一度 約束を交わしたからには、その約束は必ず守られなければならないと考えているらしい。待ち合わせの時刻の5分前には必ず来てくれる」
「『来てくれる』? 『来ている』ではないの?」
母国語ではない国語を使っている俺が 用いる言葉を間違えたのだとは思わなかったらしく、沙織さんは俺の発言に鋭い突っ込みを入れてきた。
もちろん俺は 言い間違えたわけじゃない。
『来てくれる』で正しい。
『来ている』なんて、俺が あの子より遅く 待ち合わせ場所に到着した時に使う言い回しだろう。

「俺は、約束の30分前には、待ち合わせの場所に行っているからな。1秒でも長く、あの子の姿を見ていたいし――万一 何かのトラブルで遅刻なんかして、あの子を待たせることになったりしたら大変じゃないか」
「まあ、健気なこと」
俺の“健気”がおかしいのか、沙織さんは そう言って、声をあげて笑った。

俺だって、そんな俺を おかしいと思っているさ。
これが、ついこの間まで、すべての日本女性を見知っているわけでもないのに『日本にはろくな女がいない』と決めつけ、日本女性全般を見下していた男の振舞いなのかと。
だが、恋というものは そういうものだろう。
恋をしてしまったら、人は、恋した人に少しでも好意を持たれるよう、その人を 僅かでも不快にすることのないよう、その人と1秒でも長く一緒にいられるよう、努めずにはいられなくなる。
その人には それだけの価値があると思うから。
それだけの価値があると思う人に、人には恋をするんだ。
だから――沙織さんに笑われることは、俺は不快ではなかった。
むしろ、当然で自然だと思った。
沙織さんは多分、まだ一度も恋というものをしたことがない。
その点では、年齢相応の少女なんだ。

「本当に、あなたの恋人は お硬いのね」
「ああ。まさに鉄壁の防御だな。だが、千丈の堤も蟻の一穴から崩れるというし」
「その蟻の一穴が、電話番号とメールアドレスというわけね。あなたが懸命に働きかけた結果だとしても、その蟻の一穴は彼女が提供したものなんだわ」
沙織さんの言う通り。
電話番号やメールアドレスなんてものは、どんなに俺が『教えてくれ』と迫ったって、あの子が教える気にならなければ、俺には知りようのない情報だ。
それを、あの子は教えてくれた。
自分から、蟻の一穴を開けたんだ。
それは、あの子が 俺に少しは好意を抱いてくれているということで――俺が浮かれ騒ぐのは当然のことだろう。

俺の歓喜と興奮の訳を、沙織さんは やっと理解してくれたらしい。
たかが電話番号を教えてもらったくらいのことで浮かれている俺に呆れているようだった表情を消して、沙織さんは考え深げに 呟くような声で言った。
「これは本当に見込みがあるのかしら。会ってみたいわ」
「そのうち、必ず、俺の未来の妻として紹介する!」

俺が『一生結婚しない』と宣言したのは、つい3週間前。
それが、この豹変。
俺の180度の方向転換に いっそ感心したように、沙織さんは、
「期待しているわ」
と、言ってくれた。






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