「ああ、あなたたち、よくやってくれたわね! こんなに早くテュポーンを眠らせることができるなんて、本当に素晴らしいわ! あなたたち、もしかしたら、5000年前 神々がテュポーンと戦った時よりずっと手際よく やってくれたのではなくて? ――あら」 場の空気を読まない女神アテナは喜色満面。 それは、でも、無理からぬことです。 アテナは、人間というものを、その愚かさにもかかわらず 大層深く愛している女神でしたし、もし地上世界が滅んでしまったら、天上の神々を崇め敬う存在がいなくなって、神々は その立場を失うことにもなりますからね。 その女神が、四人の英雄たちの陰に隠れるようにひっそりと立つ瞬の姿を認め、大きく その瞳を見開きます。 それから彼女は、なにやら腑に落ちたような顔になって、更に口許をほころばせました。 「まあ、こんな力の主がついていたなんて。うまくいくのも当然ね。こんな強い力を持つ者がいたのでは、テュポーン退治には大した苦労もしなかったのではないの?」 「え?」 アテナが何を言っているのか理解できず、既に涙でいっぱいだった瞳で、瞬が知恵と戦いの女神を見詰めます。 それでアテナは、瞬が自分の力を自覚していないことに気付いたようでした。 「名前は?」 アテナが瞬の前に立ち、その名を尋ねてきます。 威厳に満ちているのに、そして 彼女が圧倒的な力の持ち主であることは 無力な人間の一人にすぎない瞬にも ひしひしと感じ取れるのに、それ以上に優しい女神の声、眼差し。 瞬は畏れ多い気持ちで、自分の名をアテナに知らせました。 「しゅ……瞬です」 「瞬」 温かく優しい声で瞬の名を呼び、女神は そうして、瞬にとっては ひどく思いがけないことを、無力ゆえに罪びとだった者に教えてくれました。 「あなたは愛の魔法の使い手よ。あなたは、あなたを愛する者、あなたが愛する者の力を何十倍、何百倍にもできる力の持ち主だわ」 「え……」 瞬は、女神のその言葉を聞いて 息を呑みました。 自分は誰の役にも立てない人間だと信じていた瞬には、それは本当に思いがけない言葉でしたから。 そんな瞬にやわらかな微笑を向けてから、彼女は、滅亡の危機から世界を救った英雄たちの方に その視線を巡らせました。 「あなた方は、この子から離れると普通の力しか使えないのではなくて? 最低でも同じ大地にいないと、瞬の力は寸断されるはずだわ。全く無力になるわけではないでしょうけれど、愛の力は、愛する者の側にいる時に 最も強い力を発揮するものだから」 「僕が……僕にも力があるの……?」 「もちろんよ。あなたが持っている力は、世界で最も素晴らしい力だわ」 「あ……」 おかしな話です。 自分は無力な存在ではないと女神に教えてもらった その瞬間、瞬は 何のためらいもなく、自分が このまま無為人の島に送られてしまってもいいと思ったのです。 無力な存在だった自分を守るために命がけの冒険に挑んでくれた兄と仲間たち。 瞬を一人で地獄の島に送るのなら、自分も その島に行くと言ってくれた氷河王子。 そして、実は無力な存在ではなかった自分自身。 瞬は今、欲しいものをすべて手に入れた人間、すべてに満ち足りた幸福な人間でした。 他に欲しいものなど、何一つありませんでした。 今、すべては 瞬の腕の中にあったのです。 「ああ、それで、特訓のために無人島に渡った時、俺たち、全然 力が出なかったのか」 「では、瞬は無為人の島へは……」 アテナの言葉に星矢が納得し、瞬の兄は震える声で女神に尋ねました。 アテナの返事は、気が抜けるほど あっけらかんとしたものでした。 「無為人の島? あんなもの、まだあったの? やめなさい」 「まだあった――とは……?」 カミュ国王が恐る恐るアテナに問うと、彼女は、その島の驚くべき成り立ちを、遵法精神に満ち満ちたカミュ国王に教示してくれました。 「あの島は、ノーワンダーランドができる前に、この世界を支配していた旧種族が作った流刑地よ。彼等は とても愚かで とても狭量で、自分たちと違う種族の者を 自分たちの国の外に追いやるために、あの流刑地を作ったの。自分たちの純血を守ろうとして。でも、そのためにあの種族は、多様性を失い、進化と変化が止まり、そして滅んでいった。ノーワンダーランドの民は、あの者たちと同じ轍を踏んではなりません」 「そ……そうでしたか……」 法や決まり事というものは、ただ盲目的に守ればいいというものではないようです。 そう悟ったカミュ国王は、その場で、ずっと彼の国と彼の国民を縛ってきた悪法を撤廃することを決めたようでした。 「愛の魔法……道理で。俺の魔法の力が異様なほど強大になったのは、そういうことだったのか……」 アテナのおかげで解けた謎。 一人言を言うように呟いた氷河王子の呟きを聞きとめて、アテナが笑顔で氷河王子に尋ねてきます。 「そんなに強大な力が使えるようになったの?」 「桁違いだった。違う自分に生まれ変わったのかと思うほどだった」 「まあ。では、あなたは、よほど 瞬を愛し、瞬に愛されたのね」 「なに……?」 アテナの言葉に、氷河王子が目をみはり、瞬が ぽっと頬を上気させます。 目の前で展開される世にも美しく幸福な光景に、氷河王子は有頂天になりました。 そして、こんなに嬉しいことを言ってくれる女神と、こんなに可愛い瞬のためになら、命も惜しくないと氷河王子は思ったのです。 そんな氷河王子と瞬の様子を見やり、アテナは その場にいたすべての者を諭すように言いました。 「人は、多かれ少なかれ、誰でも その力を持っている――愛の力を持っているの。手で触れることなく、人の心を動かす力。あなたたちの誰もが その力を持っていると信じるからこそ、私はあなた方をいつも見守ってきた。忘れないで。その力だけが 世界を救うのよ」 威厳と慈愛に満ちたアテナの言葉は、その場にいたすべての人々の心に深く染み入りましたよ。 この結末に満足したらしいアテナは、そうして、温かい微笑を浮かべ、やがて その場から消えていったのです。 「瞬。世界を救うために、ぜひ俺と特別なお友だちになってくれ」 アテナの教えを守るために(?)、早速 瞬に迫り始めた氷河王子は、次の瞬間、瞬の兄の生身の拳で がつんと頭を殴られていました。 瞬と特別なお友だちになりたいと願う氷河王子の気持ちも愛なら、その氷河王子を殴りつける一輝の振舞いもまた、彼の愛の表出だったことでしょう。 形のない愛には、形がないからこそ、様々な形があるのです。 その後、氷河王子が可愛い瞬と 特別なお友だちになれたのかどうかは、お好きに想像してください。 ともあれ、そんなふうにして、愛の力によって 世界は守り抜かれました。 そして、ノーワンダーランドの人々はアテナの言葉に従い、愛の力を信じ続けました。 ですから、ノーワンダーランドは今もちゃんと この世界に存在しています。 今、あなたたちがいる場所。 そこがノーワンダーランドなんですよ。 Fin.
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