「瞬。さあ、これでおまえは自由だ」 マハラジャが、祝宴を始めるために、仰々しい兵士たちの列に守られ 占い師や役人たちを引きつれて王宮に引き上げていくと、俺は星と月の下で瞬に告げた。 「氷河……」 瞬が、突然手に入った自由に――否、突然 自らの手に戻ってきた自由に――ぽかんとしている。 あまりに長い間 自由を奪われていたために、瞬は自由の使い方を忘れてしまっていたのかもしれない。 取り戻した自由を喜んで 俺に抱きついてきてくれても、誰も 自由になった瞬を咎めたりしないというのに。 「おまえを自由にすると約束しただろう。アテナが待っている。俺と聖域に来てくれ」 本音を言えば、俺は 今は、アテナも聖域も どうでもよかったんだ。 瞬と違って 自由の使い方を知っている俺は、そうして、突然自分の手に戻ってきた自由に 未だに戸惑っているような瞬を、その胸に抱きしめた――俺の恋を抱きしめた。 俺は ついに手に入れたんだ。 温かい瞬の小宇宙。 これからは、ずっと一緒にいて、つらい思いばかりしてきた これまでの分も、俺が瞬を幸せにする。 それが俺のこれからの務め――幸福な務めだと、瞬を その胸に抱きしめて、俺は ある種の感動と決意に浸っていた。 そんな俺の背後に、突然、恐ろしく攻撃的な小宇宙が出現する。 まさか 天の星が俺の口先八丁に腹を立てたわけでもないだろうと思いつつ、後ろを振り返った俺が そこに見たものは! ――と、勿体をつけても何にもならない。 そこで 俺が これまで出会ったこともないような攻撃的小宇宙を生んでいたのは、瞬の兄だった。 それも ものすごい形相――ヒンドューでいうなら 憤怒の表情で世界を破滅に導くマハーカーラ神、イスラムで言うなら憤怒の怪物ジンのごとき形相――で。 「貴様、いつのまに、俺の弟に……!」 しゅ……瞬だけでなく、こいつも聖闘士なのか…… !? 俺は、なぜ これまで気付かずにいたんだろう。 俺が 瞬の温かく優しい小宇宙に酔っていたせいか? 瞬の温かく優しい小宇宙が、瞬の兄の凶暴な小宇宙を覆い隠していたのか? それとも、瞬の兄が自分で自分の小宇宙をコントロールし、他人に気付かれぬようにしていたんだろうか。 だとしたら――だとしても、そうでなくとも――瞬の兄が 瞬同様に稀有な小宇宙の持ち主だということは疑念を挟む余地のない事実だった。 稀有な小宇宙――アテナが言っていた通りの。 「あ、いや……これは……誤解しないでくれ。俺は本気で、心から瞬を――」 怒髪天を衝いている瞬の兄に、俺の声が聞こえていたかどうか。 もし、瞬が仲裁に入ってくれていなかったら、俺の凍気と瞬の兄の炎がぶつかり合って、せっかく平穏の戻ったジャイプルの王宮に とんでもない大災害を引き起こしていただろう。 「兄さん。僕、もう自由なの……! 氷河のおかげで自由になれた。兄さん、これまで 僕のせいで ごめんなさい……!」 瞬には、自分が 兄と俺の仲裁をしている自覚はなかったろうが、俺は瞬のおかげで命拾いをした。多分。 瞬のおかげで、命の危機に陥ったとも言えるが。 なにしろ、瞬の兄の小宇宙は、瞬とは違うベクトルで強大至極。 瞬に恋したせいで、俺は とんでもない敵を作ってしまったんだ。 ともかく、そういう経緯で、瞬は自由を取り戻した。 自分以外の人間の役に立つ存在であることが 人間にとって最大の幸福だと考えている瞬は、聖闘士の務めがどんなものなのかを知ると、俺と共に聖域に向かうことを喜んで承知してくれた。 厄介な おまけつきで。 俺は、一国の国政に携わっていられることの意義を言葉を尽くして説いたんだが、瞬が自由を得ることによって、奴自身も 自分の生き方を決める自由を取り戻した瞬の兄は、迷うことなく最愛の弟と共に在ることを選び、聖域にまでついてきやがったんだ。 結論を言うと。 俺は瞬の自由を手に入れたが、瞬を俺の自由にすることはできなかった。 瞬を抱きしめることも、キスをすることも、俺は自由にはできなかった。 俺がそうしようとすると 必ず瞬の兄が飛んでくるせいで。 星には 星の界のルールがあり、そのルールに従って 星が その軌道を進み輝き続けるように、人には 人の界のルールがあり、そのルールに従って 人は その生を生き続ける。 人は、完全な自由、無制限の自由を手にすることはできないんだ。 愛が、それを制限するから。 それが人間のルール。 人の界は、そんなふうにできているもののようだった。 Fin.
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