「一時はどうなることかと思ったけど……ほんとに よかったね! インターハイには無事に出場できるし、特待生の資格も剥奪されずに済む。氷河は 陰謀に巻き込まれた被害者ということで決着はついたし――これで氷河がインターハイで華々しい活躍をすれば、勧善懲悪ストーリーが絵に描いたような大団円で終わることになって、世間の人たちも大いに満足すると思うよ」
理事長から 高体連の決定を知らされた瞬は、もちろん すぐさま その朗報を仲間たちの許に持ち帰ったのである。
仲間の脱落が回避されたことを知った星矢は歓喜の声をあげ、紫龍は『お疲れさん』と言って 瞬の仕事振りをねぎらってくれた。
ただ一人、氷河だけが――この事態を最も喜んで しかるべき氷河だけが――浮かぬ顔で、いかなるリアクションも見せない。

「どうしたんだよ。俺たち、まだまだ一緒に同じ道を行けるんだぜ。めでたしめでたしじゃん。少しは嬉しそうな顔してみせろよ」
嬉しそうな顔を見せるどころか、高体連の決定を聞いて かえって仏頂面になったような氷河を訝り、星矢が氷河に尋ねる。
氷河は 心底から嫌そうに、自身の仏頂面の訳を仲間に告げてきた。
「何が めでたしめでたしだ。この騒ぎのせいで、俺は、女の子に庇われ逃げた情けない男として、全国的に有名になってしまった」
「事実だろ」
間髪を入れずに 短く、星矢は氷河に応じた。
なぜそんなことで氷河が不機嫌になっているのかが、星矢にはわからなかったのである。
それは ただの事実にすぎない――というのが、星矢の認識だったから。
だが、氷河にとっては それは事実ではなかったのだ。
「事実じゃない。俺は逃げていない」
「へ? ……ああ、そういうことか」
そこまで言われて初めて、星矢は氷河の仏頂面の訳を理解できたのである。
つまり、これは国語の問題なのだ。

「俺は、瞬に あの場にいるなと言われたから、チンピラ共の前から“立ち去った”だけだ。俺たち全員の未来のためにと言われたら、瞬の言う通りにしないわけにはいかないじゃないか。瞬があんな奴等にやられるとも思えなかったし、俺は あんなチンピラ共が恐くて逃げたわけじゃない」
「んなこと、わかってるぜ。敵は、やっすいチンピラだろ? 勇気ある撤退。敵前逃亡じゃない」
氷河の釈明に、星矢が頷き、
「瞬の判断も、おまえの判断も正しい」
紫龍も、氷河の言葉に疑義を抱く様子は見せなかった。
それは決して敵前逃亡ではなかったと、仲間たちは信じてくれている。
仲間たちの信頼を知らされて、だが、氷河の心は少しも晴れなかったのである。

問題は――氷河にとっての問題は――世間はそう見ないということだったのだ。
デートの最中に、か弱いオンナノコを保身のために見捨てた男、か弱いオンナノコに守られ庇われた高校記録保持者。
氷河には、そういう評価が定着してしまっていた。
容姿にも才能にも恵まれた男が、男の風上にも置けないような情けない真似をしたという事実、そんな男が 世にも稀なる美少女を彼女にしているという事実が、世の(氷河ほどには)容姿にも才能にも恵まれていない男性陣の慰撫にも励ましにもなったらしく、氷河は 今では“もてない男たちの希望の星”として、ネット上で もてはやされて――笑われて――いたのだ。

「おまえでも、世間の評判なんか気にするんだ。意外ー」
言葉通りに意外そうな目をして、星矢が 不機嫌を極めた顔の氷河を まじまじと見詰めてくる。
“もてない男たちの希望の星”となっている仲間に、しかし 星矢は全く同情の色を示さない。
星矢は、氷河の不運を、
「でも、それくらい、我慢しろって。俺たちに内緒で瞬とデートなんかしてた罰だ」
と 冷たく切って捨て、紫龍も そんな星矢に同調した。

世間の笑い者にされ、仲間にも冷たく突き放された格好の氷河を 優しく慰め励ましてくれたのは瞬だけだった。
「そんな間違った認識は、氷河がインターハイで、誰にも文句をつけられないくらいの成績を残せば、あっというまに消えちゃうよ」
瞬がそう言ってくれたから――氷河は、これまでになく真面目かつ真剣に インターハイの各競技に臨んだのである。
昨年までの『誰にも負けなければいいんだろう』という、ある意味 他の選手を舐めた気持ちを捨て、『誰もが瞠目するような記録を出し、“デートの最中に、か弱いオンナノコを保身のために見捨てた男”“か弱いオンナノコに守られ庇われた高校記録保持者”の汚名を返上してやる』という不退転の決意で。

あの・・氷河が出場するというので、その年のインターハイは例年になく 世間の熱い注目を集める大会になった。
民放テレビ局がワイドショー枠で 噂の高校生を採り上げるだけでなく、日本国の公共放送までが、(陰謀事件のことには触れなかったが)氷河の参加競技の様子をニュースで流す始末。
そんなふうに多くの国民が見守る中、氷河は、陸上短距離で日本タイ記録をマークし、競泳では 自身の高校生記録を日本新記録で更新するという快挙を成し遂げたのである。
彼は、瞬と世間の期待にたがわず、まさに 勧善懲悪ストーリーを 絵に描いたような大団円で終わらせてみせたのだった。

「氷河にはオリンピック出場の打診が来るよ!」
と、瞬は手放しの大喜び。
「おまえ、これまでは思いっきり手を抜いてただろ」
と呆れつつ、星矢と紫龍も、氷河の勝利を祝福してくれた。
そこまではいい。
いいのは そこまで。
問題はその先だった。

日本中の(氷河ほどには)容姿にも才能にも恵まれていない男性陣が――もとい、老若男女すべてが――“デートの最中に、か弱いオンナノコを保身のために見捨てた男”“か弱いオンナノコに守られ庇われた高校記録保持者”“もてない男たちの希望の星”の大活躍に感動し、称賛の声を送った。
――くすくす笑いながら。

氷河は、日本一有名な高校生から 日本一有名なアスリートになった。
星矢と紫龍が それぞれの出場競技で大会記録を出して優勝したことも手伝って、グラード学園高校も、氷河同様、その名を日本中に轟かせた。
特待生たちの活躍には 理事長も大いに満足し、すぐさま緊急の理事会を招集し、氷河たちに臨時の報奨金を出すことを決定してくれた。
――くすくす笑いながら。

仲間のために 生きることが、自分のためになる。
自分のために 生きることが、仲間のためになる。
自分は孤独ではない――。
“仲間たちと共に、大人の意思と利害に左右されない人生を生きる。そのための力を手にする”という幼い頃の誓いを、氷河は、仲間たちと共に、確かに実現していた。
――日本中の人に、くすくす笑われながら。


社会の成功者、人生の勝利者が必ずしも輝かしい栄光に包まれているとは限らない。
あまりにも厳しい社会の現実に、氷河は挫けてしまいそうだったのである。

人生は 誰の人生も試練の連続で、生きることは誰にとっても容易なことではない。
信じ合い、支え合う仲間がいるから かろうじて、人は生きることに耐えていられるのだ。






Fin.






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