一瞬 その場が絶対零度の100万倍も冷たい空気に包まれ、その場にいる ほとんどの者たちの身体がダイヤモンドより硬く凍りついたのは、氷河が冷却技を放ったからではなかった。
彼等は信じられなかったのである。
そして、瞬の心が理解できなかったのだ。
黄金聖闘士をさえ驚嘆させるほど強大な小宇宙を持ち、アテナの聖闘士の中では 一、二を争うほどの常識人である(と思われている)アンドロメダ座の聖闘士の、常軌を逸した悪趣味振りが。

「そ……そりゃ、俺でもびっくりするわ」
「キグナスの写真が、アンドロメダの心とは――」
「こんな 嘴の黄色い ひよこのどこがいいんだ」
「アンドロメダ、気は確かか? 氷河の師の私が言うのも何だが、氷河のマザコン振りは、君も知っているだろう」
「うむ。さすがはカミュの弟子というべきか、クールを装おうとして、常に完全に失敗しているし」
「何よりキグナスには恥と常識がない。アンドロメダは、まさか奴のダンスを見たことがないのか?」
外野で、黄金聖闘士たちが勝手なことを言いたい放題している中、氷河の瞳だけが きらきらと希望に輝き始めていた。

「瞬……おまえ、もしかして、ゲテ物趣味だったのか?」
その場に居合わせた全聖闘士を代表して 瞬に確認を入れたのは、瞬と最も親しい友人ということになっている某天馬座の聖闘士だった。
瞬が、即座に反駁してくる。
「ゲテ物趣味だなんて……! 氷河は すごく優しいんだからっ!」
「氷河が優しい――って、そりゃ、どこの氷河の話だよ」
いったい瞬は どこの氷河さんの話をしているのか。
それは、星矢の腹の底から湧き出てきた素朴な疑問だった。
「綺麗な花に、美味しいケーキ。日々の地道な努力は大事だな」
その疑問に対する答えが、瞬ではなく紫龍の口から返ってくる。
つまり、これは 氷河の毎日の地道な努力が実を結んだということなのだ。

「だからって……氷河なのかよ? よりにもよって氷河?」
星矢は、努力する人間を嫌いではなかった。
少なくとも、努力しない天才肌の人間よりは、はるかに好きである。
努力した人間が、その努力にふさわしい報いを受けることは、真っ当で喜ばしいことだとも思う。
それでも――それでも星矢は、『氷河はやめておけ』と、瞬に言いたかった。
『悪い男ではないが、氷河は変すぎる』と。
平生の星矢なら、はっきり そう言っていただろう。
だが。

幸か不幸か、今 星矢の目の前には、氷河よりも変な男たちが11人も(射手座の黄金聖闘士は不在)立っていたのである。
この金色の男たちに比べたら、氷河など常識人の内と思えるような 変な男たちが11人も。
心情的に、星矢は今、氷河を応援したい気分だった。
だから、彼は氷河をけしかけたのだ。
「氷河、なに、ぼけーっとしてんだよ! これは瞬に先に告白してもらったようなもんだぞ! 今 告白しないで、いつするんだ。今こそ正々堂々と瞬に申し込むんだっ」
と。

もっとも、星矢は、氷河をけしかけた5秒後には、そんな非常識をしでかした自分を、心の底から後悔していたが。
なにしろ、星矢にけしかけられて はっと我にかえった氷河は、実に正々堂々と、
「瞬っ、俺に おまえの裸を見せてくれっ」
と、瞬に、それこそ非常識極まりない告白を(?)しでかしてくれたのだ。
「氷河、この馬鹿! 言うに事欠いて、そんな告白があるかよっ!」
『後悔 先に立たず』とは、よく言ったものである。
『瞬、冷静になれ』と言わずに、『氷河、今だ!』と言ってしまった自分を、星矢は 悔やんでも悔やみきれないほど深く深く後悔した。

「好きな相手と同じ名の花の写真を密やかに胸に忍ばせているような少女趣味――いや、繊細な瞬相手に、その告白はないだろう」
正気の沙汰とも思えない氷河の告白に、紫龍も渋面を作っている。
氷河の恋が成就する可能性は、本日たった今 永遠に失われた。
星矢と紫龍は、そう思った。
たとえ氷河の毎日の地道な努力に 瞬が心を動かされていたのだとしても、氷河の この告白は百年の恋も冷めるほど致命的なもの。
奇跡でも起こらない限り、氷河の恋は実ることはないだろう――と。

そう確信していただけに、星矢と紫龍は、
「あの……あの……返事はあとでもいいかな? あとで、誰もいないところで……」
という瞬の答えに仰天したのである。
その上、瞬は、はなはだしく露骨で下品な告白をしでかした氷河を軽蔑するどころか、その氷河の前で ほんのりと頬を上気させてさえいるではないか。
「断らねーのかよ! こんな阿呆な告白!」
「阿呆だなんて言わないで! 氷河は とっても優しいんだからっ!」
「……」

奇跡が起こったのか、それとも実は氷河並みに瞬が非常識な人間だったのか。
星矢と紫龍には わからなかった。
本当に、わからなかった。
地上で最も清らかな魂の持ち主。
88人のアテナの聖闘士の中でも 一、二を争うほどの常識人。
皆がそう言い、瞬の仲間である星矢たち自身も そう思っていたアンドロメダ座の聖闘士の考えていることが、今 星矢と紫龍には全く理解できなかったのである。

「返事はあとでと言いながら、これはOKと言っているも同じだな」
「すげー。こんな馬鹿みてーな告白で うまくいくこともあるんだー……」
「花とケーキの力は、つくづく偉大だ」
「まあ……瞬が それでいいってのなら、こればっかりは、俺たちが脇で とやかく言っていいことじゃないけどさー……」
それにしても悪趣味である。
悪趣味以外の何ものでもない。
「返事など、いつでもいいんだ。おまえに『うん』と言ってもらえるまで、俺は100万年でも待つから」
すっかり浮かれて 瞬の両手を自分の両手で握りしめている氷河と、氷河に手を握られて嬉しそうに恥ずかしそうに瞼を伏せている瞬。
そんな二人を見て、星矢と紫龍は、つくづく世の中は 常識人に生きにくくできていると思うことになったのである。
こんな非常識が まかり通る世の中、非常識な人間が報われ幸福になる社会。
星矢たちが、己れの人生に空しさを覚えることになったのは、至極 当然のことだったろう。

そうかと思うと、これほど非常識な奇跡発動の現場に居合わせながら 驚きもせず、怒りもせず、呆れもせず、あくまで己れの勝利にのみ固執し、
「えーい、アンドロメダは使い物にならん。こうなったら、アンドロメダでなく おまえたちでもいい。誰が最も優れたストーカーなのか、裁定を下してくれ!」
などという 阿呆なことを求めてくる非常識な黄金聖闘士たちもいる。
おそらく、こんな場面でも――どんな場面でも――勝利にこだわることこそが、彼等にとっては当然で必然のこと、いわゆる彼等の常識なのだろう。

氷河には氷河の、瞬には瞬の、黄金聖闘士たちには黄金聖闘士たちの、リストマニアにはリストマニアの、常識があるのだ。
もしかしたら この世には、万人に共通する常識など存在しないのかもしれなない。
『万人に共通する常識は、この世に存在しない』
それこそが、人の世における唯一の“万人に共通する常識”なのかもしれないと、星矢と紫龍は しみじみ思ったのである。






Fin.






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