俺が実は ロシアから肖像画家を探しに来たのではなく、イオニア海を挟んで すぐ隣りのギリシャ聖域からやってきたアテナの聖闘士であること。 アテナの聖闘士というのは、地上の平和と安寧を守るために 邪悪と戦う闘士であること。 俺がフィレンツェに行ったのは、聖域を統治する女神アテナの『フィレンツェに私の聖闘士がいるから連れてきて』という(極めて曖昧な)命令を遂行するためだったこと。 アテナは地上の平和を守るためとあれば過酷なほどの労働(戦い)を彼女の聖闘士に課す 人使いの荒い女神で、我儘で、気まぐれで、人を疲れさせる天才だが、悪い人間ではないこと。 そして多分、シュンはアテナの聖闘士であること――。 首尾よくフィレンツェを脱出し、陸路でもよかったんだが海路を選んでギリシャに帰還することにした俺は、その船上で、そういったことをシュンに説明してやった。 フィレンツェの町につながれていた天使から、希望に満ちた人間に生まれ変わったようなシュンの身体を抱きしめながら。 メディチの呪縛と呪われた力(という思い込み)から解放されたシュンは、自分に自由をもたらした男(俺のことだ)を 心から信じ、深く感謝しているようで、俺の望みは どんなことでも叶えてくれた。 いや、もちろん俺も、シュンの愛情と信頼に報いるため、持てる力の限りを尽くして たっぷりとシュンを可愛がってやったぞ。 そんな俺の天下も、聖域に到着するまでの ごく短い間だけのことだったんだが。 聖域はアテナ神殿で 女神アテナに拝謁したシュンは、アテナの気高い姿に(どこがだ!)すっかり心酔してしまい、俺の地位は すぐに“アテナの次”に落とされてしまったんだ。 「これまで、たくさんの画家が描いた女神アテナの絵を見てきましたが、真実のアテナは、絵など及びもつかないほど 気高くて お美しいです……!」 瞳を輝かせ、感極まったように そう告げるシュンが、アテナは えらく気に入ったらしい。 「ま、なんて正直な! 奮発して、黄金聖衣をあげちゃおうかしら」 なんてことを、上機嫌で言い出したアテナを思いとどまらせるのに、俺は 滅茶苦茶苦労した。 シュンに黄金聖衣を授けるのが悪いとは言わないが、今現在 聖域で空位になっている黄道十二宮の星座は牡牛座と蟹座だけ。 聖闘士っていうのは、黄金聖闘士に限らず、イメージが大事だ。 そういう予想外の小さなトラブルは いくつかあったんだが、シュンは今では アンドロメダ座の聖闘士として、聖域を自らの故郷にし、毎日を笑顔で暮らしている。 戦いを好む性質ではないから、その点では葛藤があるようなんだが、人生に 苦悩や迷いは付きものだ。 シュンは必ず 乗り越えるだろう。 シュンは、フィレンツェにいた頃に比べると、格段に明るくなり――というより、明るさの質が変わった。 真っすぐに前だけを見詰める明るさとでも言えばいいんだろうか。 今のシュンの笑顔には、逃げや諦めを感じさせない明るさがある。 それでも――俺の瞳に出会うと、シュンは今でも時々フィレンツェでのことを思い出すらしい。 そんな時、俺は、せっかく人間になって俺の側に下りてきてくれたシュンが 憂い顔の天使に逆戻りしてしまうんじゃないかと不安になるんだ。 シュンは、そんな俺に すぐに気付いて、 「青は、もうヒョウガの瞳だけでいい。ヒョウガの瞳の青より綺麗な青は作れない」 と言ってくれる。 もし、俺の瞳が青い色をしていなかったら、二人が初めて出会った あの日、シュンは俺という存在に心を留めてくれただろうか。 未開の国ロシアからやってきた田舎者(ということになっていた俺)に、シュンは型通りの親切を示すだけだったかもしれない。 そう考えると、俺は、俺に青い瞳を与えてくれたマーマに感謝したくなるんだ。 Fin.
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