ゴールディもカイザーも――国中の人間が、瞬がレオブルク公国に留まることを望んでいたのに、瞬が聖域に行くことを決意してくれたのは、瞬が俺の好意を受け入れてくれたからでも、俺の苦労に報いようと考えてくれたからでもなかっただろう。 アテナの聖闘士は 地上の平和と人々の幸福を守るために命をかけて戦う希望の闘士。 瞬はずっと自分の力がどういうもので、何のために自分に与えられたのかを迷い、悩んでいたんだ。 その力が正しく発揮される場所にいたいと、瞬はそれを望んだんだろう。 カイザーが老朽化していたアジールを修復し、更に設備を充実させて、この冬は一人の凍死者も出さないと約束してくれたことも、瞬の決意の後押しに一役買ったかもしれない。 その方が――人々の命と幸福が 不思議な力に守られているより、人の誠意と努力で守られる方が――レオブルク公国の民のためになると、おそらく瞬は考えた。 「ただし、働けるのに怠けている者には容赦しないぞ。救護施設では、病人以外の収容者にはチーズ作りやビール作りの仕事をさせる」 と、カイザーは 一国の統治者らしくアジール使用に条件をつけたが、民の自立のためには その方がいいだろうと、俺も思った。 こう言ってはなんだが、瞬は同情心が強すぎて、人を甘やかしすぎるきらいがあったからな。 例の不作法で気の利く女官が先頭に立って レオブルク公国の城の奉公人たち全員が、瞬がこの国を出ることに反対したが、カイザーは、巨大猫の引く馬車での年に1度のギリシャ慰安旅行を提案して 彼等を説得してくれた。 瞬が聖域行きの決意をゴールディに告げると、人間の言葉を解しているとは思えないのに、ゴールディは めそめそ泣き出して、そして やたらと俺を敵視するようになった。 瞬の決意から、俺が瞬と共に聖域に発つまでの数日間、ゴールディは俺に出会うたび、それでなくても凶悪なツラの凶悪さを更に増して、俺に牙を剥き 吠え立て続けた。 そして、俺の前で これみよがしに瞬にごろごろと懐いていって、俺が瞬に接近するのを妨げ続けた。 ゴールディを冷たい石牢から出してやった俺は 奴の命の恩人だろうにと、俺が不満を口にすると、例の不作法女官が、 「ゴールディは瞬ちゃんが大好きだからね。にいさんが瞬ちゃんに気があるのがわかるんだよ。それで、にいさんを瞬ちゃんに近付けまいとして牙を剥くのさ」 と言って、俺を慰めてくれた。 いや、俺は 犬か猫のようになだめられたのか。 俺は彼女の言葉に 慰められも なだめられもしなかったが、なぜかそれでカイザーの妬心が沈静化に向かうことになった。 ゴールディは主君を乗り換えたのではなく――飼い主への忠誠心を失ったわけではなく――忠誠心とは次元の違う恋という感情を瞬に抱いただけなのだと知って、ゴールディの主君としてのカイザーの自尊心は復活を遂げることになったらしい。 「恋か。恋なら仕方がない」 晴れやかな笑顔で 嬉しそうに そう言うカイザーを、俺は殴り倒してやろうかと思ったぞ。 カイザーの瞬への妬心が消えたのは、要するに、『瞬をメス猫と思えば、嫉妬する必要はない』と言っているようなものだったからな。 そして、奴は、俺をオス猫レベルと見くだして、 「ゴールディに出し抜かれぬよう、せいぜい励むことだな」 と、瞬のいるところで 俺を激励してきやがった。 二人の男(正確には、一人の男と一頭のオス)に恋されていることを知らされて、瞬が恥ずかしそうに頬を染める。 瞬が まさかゴールディの恋心を嬉しいと思ったはずはないから、多分 瞬の頬の上気は 俺の気持ちを知らされたからなんだと思うが、そうなのかと尋ねても、瞬は明確な答えを返してはくれなかった。 まるで、本心を明かさずに飼い主を焦らす猫みたいに。 おかげで俺は、悶々とした気持ちを抱えて、瞬と共に聖域への帰還を果たすことになったんだ。 聖域では、事の次第を聞いたアテナが、瞬を歓迎し、俺の仕事振りを(一応)褒めてくれた。 「あなたは、化け猫退治を命じられても、結局 殺すことができずに、魔性の猫を聖域に連れてくるに違いないと期待していたのに」 とか何とか 文句を言いながら。 その時には俺は、『気まぐれな動物は、聖域にはアテナ一人だけで十分だ』とアテナに毒づいてやったんだが――最近俺は そもそも俺の その認識が間違っているんじゃないかと思うようになってきているところだ。 「瞬、好きだ」 俺に そう告白されるたび、恥ずかしそうに頬を染め、身を ひるがえして逃げてしまう瞬。 誠実で従順なふうを装って、実は瞬こそが 聖域でいちばんの猫気質なんじゃないかと、この頃 俺は疑い始めている。 Fin.
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