「よし。これで、めでたしめでたしだな!」
滅多に聞くことのできない氷河の『ありがとう』を聞いて、星矢も この結末には大いに満足したらしい。
満面の笑みで そう言う星矢に、瞬は――瞬もまた、視線で『ありがとう』を伝えたのである。
「でも、星矢も紫龍も、まさか本気で氷河と戦う気じゃなかったよね?」
「なに言ってんだよ。俺は いつだって本気だぜ! それに、ちょっと知りたいじゃん。俺たちの中で誰が いちばん強いのか。ギャラクシアンウォーズも中断したままだしさ」
「俺も、そうなったら面白いと思っていたぞ。俺たちは皆、あれから驚くほど力を増したし、今の実力がどれほどのものなのか、確かめてみたい気持ちもある」
「もう、冗談ばっかり」

瞬は、仲間たちの言葉を信じなかった。
アテナの聖闘士の力は――瞬の仲間たちの力は――強さを競うためにあるのではなく、人を守り救うために存在するのだ。
そんな仲間たちの強さや優しさが、瞬は誇らしかった。
彼等の仲間になることができて、アテナの聖闘士になることができて、本当によかったと思う。
瞬が、聖闘士の証である小宇宙がどういうものであるか、聖闘士がどういう存在であるのかを知ることができたのも、やはり仲間のおかげだった。

「そういえば、僕、アンドロメダ島にいた頃――島に送られて2年くらいが経った頃かな。氷河に会ったことがあるよ」
「なに?」
突然“あり得ないこと”を真顔で言い出した瞬に、氷河が眉をひそめる。
それを“あり得ないこと”だと思っていなかった瞬は、ごく 軽い口調で、修行時代の ささやかな思い出話を仲間たちに語り始めた。

「アンドロメダの聖衣を手に入れるには、サクリファイスっていう試練に耐え抜かなきゃならないんだよ。氷河が人魚姫に助けられることになったみたいに、あの頃 僕も自分の力を過信していて、それで、先生に内緒で自分の力を試してみようとしたんだ。でも、結果は氷河と同じ。無茶をして、死にかけて――それで、気がついたらシベリアの海にいたの。そう。あの時も氷河は、氷河のマーマの船のマストに掴まって、更に潜ることも 海上に浮上することもできずにいて――」
「おい、瞬……」
瞬はそれを、誰の子供時代にも よくある、ありふれたエピソードであるかのように、全く深刻さのない声と瞳で語るが、それは 瞬の仲間たちにとっては――特に氷河にとっては――決して ありふれたエピソードではなかった。

「あの時、僕は 力尽きて 死にかけていたのに、生き続けることも聖闘士になることも諦めかけていたのに、氷河を助けるためになら小宇宙を燃やすことができたんだ。僕が聖闘士になることで救える命がある。でも、なれなかったら、その命は救えない。聖闘士っていうのは、そういうふうな存在で、そういうふうに力を使う者なんだって、あの時、僕は氷河に教えてもらったの」
「だから、それって――」
「だから、僕はサクリファイスに耐えることもできた。決して 僕の力が島の仲間たちに勝っていたわけじゃない。聖闘士が なぜ存在するのか、聖闘士が なぜ戦うのか、それが わかっていたから、僕は聖闘士になれたんだ。氷河には本当に感謝してる。あの時、氷河が僕を呼んでくれなかったら、きっと僕は いつまでも そのことに気付けなかった。こうして 今、みんなと一緒にいることもできなかったよ」
「……」

言葉通りに、感謝の気持ちが こもりまくった眼差しを向けられて、氷河は――氷河に いったいどうすることができただろう。
瞬は、自分の語る物語と 白鳥座の聖闘士の人魚姫の物語の間にある符合に気付いていないのだろうか。
どうやら そうであるらしい瞬の前で、氷河は ただ ぽかんとしていることしかできなかった。
そんな氷河の様子を見て、瞬が少し不安そうな目をして尋ねてくる。
「氷河、あの時、僕を呼んでくれたんだよね?」
「マーマの許に行く前に、おまえに会いたいとは思ったが……。そんなことより、それは、俺たちが それぞれの修行地に送られて 2年が経った頃のことなのか?」
「うん。そうだよ。僕が10分くらいは海に潜っていられるようになった頃」
無邪気な笑顔で、瞬が答えてくる。
氷河は 喉の奥に妙な渇きを覚え始めていた。

「俺は、シベリアの海の――マーマの船のマストを掴んでいた?」
「そう。でも、あれ以上 先に進むのは、あの時の氷河には無理だったと思うよ。氷河、シベリアで無茶ばっかりしてたんだね」
氷河が自分の力を過信して それほどの無茶をしたのは、ただ一度きりだった。
人魚姫に命を救われて以降、氷河は(当人比ではあったが)かなり慎重な子供になっていたのだ。
アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士が ほぼ同時期に経験した出来事の共通点を――むしろ同一であることを――どう言えば、瞬にわかってもらえるのか。
驚きと混乱のせいで 適当な言葉が出てこない氷河に代わって、瞬に その可能性を示唆してくれたのは某天馬座の聖闘士だった。

「なあ、それって……瞬が氷河の人魚姫だったってことじゃないのか?」
「そうじゃないでしょう。氷河の人魚姫は、緑色の目をしていたんでしょう?」
「でも、そんなことが そう何度も何度もあるわけが……あったのか?」
「ない。一度だけだ」
「だろ。なら やっぱり――」
「でも、僕の瞳の色は――」
これだけ何もかもが合致しているというのに、瞬が二つのエピソードを別々のものだと考えている原因は、どうやら そこにあったらしい。
人魚姫の瞳の色。
だが、その謎については、紫龍が あっさりと解明してくれた。

「それは説明がつく。氷河は、その時、かなり弱っていたんだろう?」
「うん。海の中で、氷河の心は 伝わってきたけど、あの時 氷河は半分以上 気を失ってたと思う」
「氷河は弱っていた。視力も――おそらく、目の光受容細胞の錐体細胞も かなり弱っていたんだろう。そういう時、人間の目は、ものが 比視感度が最も高い緑色に見えるようになるんだ」
「あ、そういや俺、深夜アニメ見て徹夜した翌朝とか、瞬の目が緑色に見えたことあるぜ。瞬の奴、カラコンでも入れてるのかなーって思ってたんだ。へえ、そういうことだったんだ。やっぱり、氷河の人魚姫は瞬だったんだ」
「瞬が俺の人魚姫……」
やはり、結論は そういうことであるらしい。
当事者二人が気付けずにいた結論、仲間たちが導き出してくれた結論――を、氷河は抑揚のない声で呟いた。

もちろん、それは喜ばしいことである。
瞬が人魚姫であるのなら、白鳥座の聖闘士の命の恩人と 白鳥座の聖闘士が恋した人は同一人。
氷河は、感謝の心も恋の思いも、迷いなく ただ瞬一人に注ぎ、捧げればいいのだから。
だが、それは つまり、人魚姫に誠実であろうとするあまり、これまでの氷河が 人魚姫当人を傷付け 悲しませ続けていたということでもある。
喜べばいいのか、嘆くべきなのか、氷河の心は複雑だった。
氷河の仲間たちが、そんな氷河の迷いに、これまた あっさり けりをつけてくれる。
「まー、色々 誤解や 勘違いや すれ違いもあったけど、でも、『終わりよければ すべてよし』っていうじゃん」
「生きてるうちに誤解が解けてよかったではないか。瞬が海の泡になってしまってからでは、取り返しがつかなかった」

「ああ、本当に……」
星矢と紫龍が つけてくれた落ちに、氷河は しみじみと頷いたのである。
本当に、間に合ってよかった――と。

誤解も 勘違いも すれ違いも、そして後悔も――人生には つきものである。
それらのものが全くない人生など あり得ない――すべての人が、それを経験する。
違うのは、解ける誤解と 解けずに終わる誤解があること。
取り返しのつかない過ちと、やり直しのきく過ちがあること。
白鳥座の聖闘士の誤解は解け、その過ちは まだ やり直しがきく。
氷河は生きているうちに 間に合ったのだ。
氷河は、瞬を海の泡にせずに済んだ。
すべては、短気で怒りっぽく、お節介な仲間がいてくれたから。
氷河は、もちろん 彼等に感謝していた。
素直に謝意を示すのは癪で、『ありがとう』を言うことはしなかったが。






Fin.






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