――何かが起こるはずだった次の瞬間。 子供の姿の消えた児童公園に出現したのは 冥府の王の死と闇の力ではなく、その力に撃ち貫かれた人間の断末魔の声でもなく、 「はいはい。そこまでにしておきなさい」 という、まるで幼い子供たちの喧嘩を止める養護教諭のような声と言葉だった。 その例えは、だが、もしかしたら少々 失礼なものだったのかもしれない。 残照も消え 街灯に明かりが入った児童公園に、明るく温かい光を まとって登場したのは、まだ うら若き女性――むしろ少女――だったのだから。 とはいえ、その少女が ただの少女でないことは、論を待たない事実だった。 どこからともなく突然 姿を現わす登場の仕方は、エリスやハーデスと同じ。 そもそも少女の姿というのなら、争いの女神エリスの姿も そうだったのだ。 「見苦しい真似は、そのへんで おやめなさい、ハーデス。人間の運命は、生死の時以外は、神にもどうこうすることもできないもの。それは あなたも知っていることでしょう。――瞬。ハーデスの言うことは気にしないで。あなたは あなたの好きにしていいのよ」 外見は、争いの女神エリス同様、10代の少女。 だが、3番目に現れた その人物は、エリスにはない貫禄と気品と不思議な存在感を持つ神――当然、彼女も神なのだろう――だった。 「あ……あなたは……?」 「私は知恵と戦いの女神アテナ」 「知恵と戦いの女神アテナ――」 瞬の推察通り、やはり、またしても神。 だが、彼女は、エリスやハーデスとは違って、人間に何事かを命じ、その意に従わせようという意図は持っていないようだった。 彼女が告げた『あなたは あなたの好きにしていい』という言葉は、瞬の心を安んじさせた。 そして、その言葉は 瞬の中に一つの期待を運んできたのである。 『またしても神』だが、『今度こそ、まともな神なのではないか』という期待を。 もっとも、瞬の期待は、瞬が期待を抱いた約1分後には 儚く消えてしまっていたのだが。 まともそうに見えた3柱目の神は、エリスとハーデスを軽く睨みつけて 彼等を黙らせてから、瞬と氷河の方に向き直り、にこやかに言ってくれたのだ。 「ところで、決して無理強いをしようというのではないのだけど、あなた方は私の聖闘士として生きる運命にあると思うのよ」 ――と。 「……」 またしても神。そして、またしても運命――である。 『あなたは あなたの好きにしていいのよ』のという言葉の直後だっただけに、瞬(と氷河)の落胆は大きかった。 もう何を信じればいいのか わからない――というのが、瞬と氷河の本音だったのである。 「考えておきます」 他に どんな答えを返すことができただろう。 『前向きに検討します』『厳粛に受けとめます』『早急に対策を練ります』等の言葉に逃げる、某島国の政治家たちの気持ちが――わかりたくはないのだが――瞬と氷河には よくよく わかってしまったのである。 そんなふうに 曖昧な返事で お茶を濁し、この場を逃げようとした瞬たちの前で、3柱の神々は あろうことか 三つ巴の喧嘩を開始してくれた。 「アテナ! どさくさに紛れて、余の瞬を横から奪っていくつもりか!」 「氷河は この私の大切な玩具、誰にも渡さないわよ!」 「この二人が あなた方の思う通りになるはずがないでしょう。この二人を それぞれ別々に どうにかしようという考えが、そもそも間違っているわ。この二人は、二人一緒に遇することで 最も生きる二人なのに。そんなことも わからない あなた方に、この二人を渡すわけにはいかないわ」 「あー、やだやだ。アテナ。あなたの そういう、自分だけが ものをわかってるって言いたげな態度って、すごく癇に障るのよね!」 「うむ。言っていることが正しく事実であっても、その鼻持ちならない態度が、対峙する者を不快にし、反発心を生むのだ。あなたは人を苛立たせる天才だ」 「あなたたちの器の小ささを、私のせいにしないでちょうだい。私は この二人の幸福を いちばんに考えているのよ。それが たまたま私の益につながるというだけのことだわ」 「よく言うわね」 「相変わらず、屁理屈だけは立派だな、アテナ」 言いたいことを言い合う3柱の神々の喧嘩は、すぐには終わりそうになかった。 『あなたは あなたの好きにしていいのよ』 と、アテナは言った。 だから、神々が好きなことを言い争うことを止めようとは思わない。 神にもまた、好きなことを言い、好きなことをする権利はあるだろうと、氷河と瞬は思った。 ただ、その権利を、人間である自分たちも行使させてもらうだけ。 その権利によって、神々の言う“運命”を 自分たちも信じないだけだと。 否、むしろ それは 信じるべきではないもののような気がしたのである、氷河と瞬は。 一向に終わる気配の見えない神々の喧嘩。 そんな神々の前から、互いの手を握りしめ合って、氷河と瞬は そろそろと後ずさりを始めたのである。 こんな人たちの言葉には耳を傾けず、自分たちの運命は自分たちの手で決し、自分たちの力で切り開いていこう。 運命が 扉を開くのではなく、自分たちが 運命の扉を開くのだ。 そう固く心に誓いながら。 Fin.
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