「そんな……ひどい……」
「おまえの言う通りだ。俺は ひどい男だ」
瞬の瞳から涙が零れそうになる。
氷河は、だが、瞬を離してくれないばかりか、瞬に涙を零すことさえ許してくれなかったのである。
「本当にすまない。すまん。俺は、おまえの沈黙が、まさか ハゲの俺を思い遣ってのこととは 考えてもいなかったんだ」
氷河は、傲慢な王子らしくなく 深く顔を伏せ、震える声で 瞬に謝罪の言葉を繰り返していたのだが、この深刻な場面で何ということだろう。
彼の声の震えは、後悔や自責の念によるものではなかったのである。
神妙に謝罪の念を示していたはずの彼は、瞬の前で顔を伏せたまま、盛大に笑い出してくれたのだ。
「すまん。本当にすまん。ハゲ……まさか ハゲ……いや、それは確かに重大な問題だ。思い至らなかった俺が悪い。だが、まさか ハゲ……ハゲが理由だったとは。うん、さすがだ。さすがは、俺のおまえ。おまえの発想は実に斬新だ」

氷河は、笑いをこらえるのに必死らしい。
肩を大きく震わせ 懸命の努力を続けている氷河の前で、瞬は泣くに泣けなかった。
「そ……そんなに笑わないで! だ……だって僕、隠したい人は隠したいんだろうなって思ったから――」
「そうだな。そうだ。本当に すまん。それで おまえに許してもらえるなら、俺は この髪を全部剃ってもいい」
「や……やだ、そんな! せっかく綺麗な金髪なのに……!」

悲鳴じみた瞬の訴えを聞いて、氷河が ふいに その肩の震えを止める。
そうして 顔を上げた氷河は、もう笑ってはいなかった。
憤っているように見えるほど厳しい目をして、低い声で氷河が瞬に告げる。
「よかった。おまえが 俺の髪を気味悪く思うことがなくて」
「氷河……」
氷河は、それを恐れていたらしい。
それは、瞬自身には思いつきもしない恐れだった。

氷河は、ありのままの自分――彼の母親と同じ金色の髪の自分――に誇りと愛着を持つ一方で、父の家の伝統に受け入れられない黒髪の自分に、心のどこかで引け目のようなものを感じていたのかもしれない。
だからこそ――そんな自分を自覚しているからこそ、自然のままの自分、金色の髪の自分を受け入れない彼の父の“家”への反発心も強いのかもしれない。
本来の自分の姿が瞬に受け入れられたと知るや、彼の中では、彼の自信と矜持と、父の“家”への反発心が、改めて頭をもたげてきたようだった。

「俺は、家元の座を手に入れた あかつきには、あの家の奴等に この金髪を披露し、金髪の妻でも迎えて、あの家の伝統とやらを嘲笑ってやろうと考えていたんだが――。おまえを迎える方が、あの家に より大きな打撃を与えることになるとは思わないか?」
「え……? 僕を迎える……って?」
地位も身分も持たない小さなピンクの野草の足元に跪いたまま――妙に浮かれた口調で、ひどく楽しそうに、いったい氷河は何を言っているのか。
彼の発言の意味を理解しかねて瞬きを繰り返すばかりの瞬を見詰め、氷河は王子らしい強引さで勝手に話を進めていく。

「俺の家には 広い庭があるぞ。そこに おまえの好きな花を植えて、おまえ好みの庭を作っていい。ナデシコでも藤袴でも、ハコベだろうがペンペン草だろうが、何でも おまえの好きなものを植えていいぞ。俺が許す。俺のものは おまえのものだ。おまえは 広い庭のある家に住みたいんだろう?」
「それは――」
「おまえは 奇跡のようなインスピレーションを与えてくれる、俺の芸術の女神(ミューズ)だ。離れたくない。離さない」
「……」
『離れたくない』と思ってもらえることは嬉しいし、それは瞬も同じだった――同じ気持ちを氷河に抱いていた。
だが、『離さない』とは、どういうことか。
たとえ氷河でも――絶対の権力を持つ王子にでも――そんなことを言う権利は ないはずだった。
ここは絶対君主制の国ではなく主権在民の国、今は王権神授説の17世紀ではなく、自由と平等の21世紀なのだ。
瞬は氷河に その発言の意味を問い質そうとしたのだが、強引な王子は その時間を瞬に与えてくれなかった。

瞬に拒否権を認めるつもりがないらしい強引な王子が、
「俺は 革命を起こすんだ。旧態依然の、母を受け入れなかった あの家に、おまえと一緒に」
と、大胆な革命宣言をする。
そんな攻撃的なことは 瞬の性に合わないことだったのだが、革命に尻込みすることすら、強引な王子は 瞬に許してくれなかった。

「まあ、俺が そう すんなりと家元の座に就けるとは思えないんだがな。もし駄目だったら、その時には 俺は新しい流派を興す。俺の作品は あの家の従来のものとは毛色が違って、今 既に俺は流生派内の分派みたいなものなんだが。ともかく、俺の最優先事項は、家元襲名じゃなく、革命でも復讐でもなく、おまえと一緒にいられることだ。おまえに会って、復讐や革命は 二の次三の次のことになった。おまえと一緒に。それが いちばん大事なことだ。瞬。おまえも そうだと言ってくれ」
金髪の若く美しい王子の瞳には、燃え上がるように激しい情熱の炎が宿っている。
その瞳が、射るように強く まっすぐに瞬を見詰めている。

地位も身分も武器も持たない小市民の瞬に、どうすることができただろう。
瞬にできることはただ、強引で情熱的な王子の求愛に胸を高鳴らせ、青からピンクに色を変えるアジサイの花のように、その頬を 薄桃色に上気させることだけだった。






Fin.






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